目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第43話 旭月【後】

 あれから紫月ズーユェは、なんでもやってきた。

 目的を果たすために、溝鼠どぶねずみのような真似だって。

 復讐だけが、紫月の生き甲斐だった。


「紫月、兄さま……兄さま、きいて」


 それなのに、妹よ。


「あなたを疎ましく思ったこと、憎んだことなんて、ただの一度もないのです」


 なぜいまさら、そんなことを言う?


「だからこそ、あなたに『愛している』と、伝えるわけにはいかなかった」


 妹が自分を「愛していた」なんて、そんな。


「あの曲のとおりだったのよ。私たちは……たがいを想うからこそ、すれ違ってしまったんだわ」


 あの曲──『白雪小哥妹はくせつしょうかまい』。

 妹に裏切られた、愚かな兄の曲。

 それがいまさら、なんだって言うんだ。


「紫月兄さま、あの曲には、続きが……うっ!」

梅雪メイシェ……どうした梅雪、しっかりしろっ!」


 わけがわからず、気づいたら、紫月はうずくまる梅雪の肩を抱いていた。

 梅雪がラン族に噛まれた。

 それはつまり、不可避な死を意味する。


(梅雪が、死んでしまう……?)


 とたん、あんなにも紫月の腹の底で燻っていた憎悪が、塵のように消えうせた。


(駄目だ梅雪、おまえは俺の、俺のだいじなっ……!)


 紫月は無我夢中だった。

 この子を決して死なせてはならないと、それだけで頭がいっぱいになる。 


「紫月さま」

黒皇ヘイファン! よく来た、おまえに頼みたいことが──」


 そんなときに現れた相棒が、なぜか悲痛な面持ちをしていて、紫月は息を止めた。


「……申し訳ありません、紫月さま」

「黒皇……?」

「紫月さまに、お伝えしなければならないことがございます」


 だれよりも愛しい梅雪を抱いた紫月は、六年の時をへて、『真実』を知ることとなる。


「あの日、紫月さまがザオ家を追われることを、黒皇は知っておりました」



  *  *  *



 香り袋に『千年翠玉せんねんすいぎょく』をかくしたのは、梅雪だった。

 そのことを、桃英タオイン桜雨ヨウユイも知っていた。

 紫月が無実であることを承知の上で、犯人に仕立て上げたのだ。

 それはなぜか。


「相次いで急死した使用人が、病死ではなく殺されたことを、みなさまご存じだったからです」


 傍目はために見てはわからなかったが、遺体に不審な点があった。

 亞夢ヤーモンらに、外傷は一切見られず。

 だがその心臓は、くしゃりと丸めた紙くずのように潰れていたのだと。


「そんなことがなし得るのは、武功ぶこうの使い手……それも恐ろしく腕が立ち、残虐な者です」


 そのことに、桃英や桜雨のみならず、梅雪は気づいた。

 そして梅雪は両親のもとをたずね、こう告げたのだという。

 ──強大な力を持つ『悪なる者』によって、わが早一族は滅ぼされるでしょう、と。


「ですからせつは、紫月さまのことを任されたのです」


 ──生まれ故郷である百杜はくとを捨てて逃げることは、私たちにはできない。

 ──待ち受けるものが破滅だとしても、最期まで闘うわ。

 ──だからせめて、紫月兄さまだけでもおねがいね、黒皇。


 どうか私たちの分まで、生きて、と。


 嗚呼……そうか。

『千年翠玉』など、ただの口実にすぎなかったのだ。

 紫月が早家に戻ってこないように、仕向けるための。

 その結果として紫月に憎まれることを、桃英も、桜雨も、梅雪も、覚悟していた。


「このことは決して口外してはならぬと、梅雪お嬢さまに申しつけられておりました。紫月さまのご心痛を知りながら、ただ見ていることしかできず……本当に、本当に、申し訳ございません……!」


 めったなことでは取り乱さない黒皇が、声をふるわせ、ちいさなからだ全体を使って、何度も何度も頭を下げる。


「……ばかやろう」


 紫月は唇を噛みしめ、天井をあおいだ。


「どいつもこいつも、ばかだよ……っ!」


 つくづく、笑える話だ。

 守ろうとしていた梅雪に、守られていたなんて。

 なにも知らなかった紫月自身が、最高の大馬鹿者だ。


「……俺は、愛されてたんだな……おまえも、愛して、くれてたんだなぁっ……!」


 涙が、愛があふれる。

 紫月はみっともなく泣きじゃくりながら、抱きすくめた梅雪のほほに、ほほをすり寄せる。


「ありがとう……ごめん、独りで、背負わせて……こわかったよなぁ、つらかったよなぁ……そばにいてやれなくて、ごめんっ……!」


 薄汚い子猫を拾うような、やさしい子なのだ。

 奇妙な烏とお友だちになりたいだとか言い出す、無垢な子なのだ。

 どうして、梅雪を信じてやれなかったんだろう。


「もう独りにはさせないよ。俺がそばにいる。愛してる……梅雪」


 復讐に囚われていたおのれとは、決別した。

 泣きべそをかいている場合ではない。


「『千年翠玉』を取りに行く。おまえもついてこい、黒皇」


 ──絶対に救ってみせる。

 愛しいひとの笑顔を、取り戻すために。


「はい、紫月さま」


 闇が飲み込もうとしているのなら。

 それを消し飛ばす、旭月あかつきになってやる。

 そう、紫月は心に決めた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?