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第38話 愛故に堕つ【後】

 紫月ズーユェは夢中で駆けていた。

 一睡もしていないことなど忘れ、ひたすらに邸宅を駆けぬけた。

 太陽すら起き出していない早朝に、紫月は慌ただしく扉を開け放つ。

 寝台に、やはり梅雪メイシェの姿はなかった。

 すでに起きていた梅雪は、寝間着のまま、窓の外の雪をながめている。


「紫月? どうし──」


 紫月はたまらず、両腕を伸ばした。

 腕に閉じ込めた梅雪のからだは、ちいさくなっていた。

 正確には、紫月が大きくなっていたのだけれど。


梅梅メイメイ……あぁ、梅梅」


 これから、どうしよう。

 胸にほとばしるこの感情を、どう形容したら。


「……すきだ」


 紫月も、結局はそんな陳腐な言葉しかつむげない。

 でもなんだっていい。

 この想いを、伝えられるのなら。


「すきだ」


 はっと、梅雪が息をのむ気配がある。


「お父さまたちから、きいたのね」


 それは、紫月より先に『真実』を知っていたゆえの言葉だ。

 梅雪がどこかうわの空だったのは、当然のことだったのだ。


「おれたち、兄妹きょうだいなんだって」

「うん」

「血がつながった、家族なんだって」

「……うん」

「だから、結婚できるんだって」

「……そうね」

「我慢、しなくていいんだな、梅梅……おれの梅梅……!」


 昨晩告げられた、衝撃の『真実』は。


「──彼女を愛していた」

「──彼女が大好きだったわ」


 なにを言われたのか、紫月はすぐには理解できなかった。けれど。


「紫月、私が、おまえの父親だ」

四宵スーシャオはね、私の親友だったのよ」


 梅雪の父が、自分の父でもあった。

 あぁ、だから、無性に胸がざわついたのか。


 父が男として愛していたのは、自分の母。

 父が兄として愛していたのは、梅雪の母。


ザオ一族は、実のきょうだいで夫婦となり、子を成さなければならない。そんなことを強いる慣習など、馬鹿げている」

「もしかしたら、私たちは絶望の果てに、梅雪を手にかけていたかもしれない」

「だが四宵がいたから、私たちは人の道を外さずにすんだ」

「血の呪いに屈しない彼女の強さにふれて、微力でも、あがいてみようと思えたの」


 よく似た顔のふたりが、口をそろえて告げた。

 だから梅雪を愛すことができるのだ、と。

 桃英、桜雨、四宵。宿命にさいなまれた三人の若者が出会い、数奇な運命をもたらした。 なんて歪んでいて、美しい愛のかたちなのだろう。


「おまえたちのことを見つけられなかった。つらい思いをしてきたろう。至らぬ父ですまない」


 桃英と四宵。人間と獣人の愛。

 道は険しく、敵も多かったろう。

 いいんだ、母が、自分が、愛されていたことがわかったのだから。


「紫月、あなたには、幸せになる権利がある。それをとやかく言う権利は、私たちにはありません」


 自分にとっての幸せとはなにか。

 それを、紫月はとっくの昔に知っていた。気づかないふりをしていたけれど。


「おまえは梅雪の兄だ。それを思う存分、利用してくれ」

「大切なひとを想う気持ちは、だれであっても、罪になど問えないわ」


 何度も何度も脳裏に呼び起こした言葉をなぞって、紫月はわらいが止まらない。


「『おともだち』なんかじゃ足りないよ。本当の家族になろう。おれが一生愛してあげる。ね、梅梅」


 だって自分は、この子の兄なのだから。



  *  *  *



 獣人は成人をむかえると、劇的に姿かたちをかえる。

 マオ族の男にとってのそれは、十三を数える年のことをいう。

 ある朝に目を覚ますと、寝間着の裾がやけに短くなっていて、のどに違和感がある。

 紫月はおあつらえむきに用意されていたふじ色のきものへ袖を通し、象牙の櫛ですず色の髪を梳く。

 それから髪を半分結い上げてまげをつくり、翡翠玉の簪でとめたら、のこる半分は背に流した。


「おはよう」

「あ、おは、よ──」


 その日はじめてあいさつを交したときの、梅雪の表情といったら。

 紫月は可笑しくて可笑しくて、忘れられない。


「なんだ、俺に見惚れたか? 可愛いやつだ」


 男とも女ともつかぬ美貌をたたえた妖艶な青年が、ちいさな少女を抱き上げて、情愛のままに、そのほほをやわく食んだ。


「愛してるよ、梅梅。可愛い可愛い、俺の梅雪」


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