(世話係はなにをしていた!? 『ヒョウドク』? なんだそれは!)
邸宅を駆けずり回る使用人たちの叫び声は、断片的な情報しかもたらさない。
梅雪が口にするすべてのものには、毒がまぜられていた。
ここ
だが無知で愚かな乳母が、致死量をはるかに超える毒の入った茶を、梅雪に飲ませてしまった。
これを受け、乳母、食事の管理をしていた
梅雪と喧嘩をして紫月が飛び出した、一晩のうちの出来事だった。
腑に落ちると、今度は燃えさかるような怒りが、紫月にわき上がる。
(
そんな考えがよぎったけれども、やめた。
なにより腹立たしい相手は。
第一に責めるべきは。
──ねぇ、
紫月の脳裏に、母の言葉がよみがえる。
──だから『その力』は、あなたが一番だいじだと思うひとのために、使いなさい。
そうだ、報復なんかしている場合ではない。
おのれには、やるべきことがある。
考えるまでもなく、紫月は駆け出した。
* * *
梅雪が床に伏して三度目の夜。
わずかに開いた窓のすきまからすべり込んだ紫月は、音もなく床へ降り立ち──
母と死別し、ただの猫のふりをして生きてきた紫月にとっては、最後に人の姿になったのがいつだったか、もう覚えていない。
「梅梅……」
寝台に横たわった梅雪の顔色は、真っ白だった。
唇は紫で、ひゅう、ひゅうと、ひどくゆっくりな呼吸を、やっと続けている状態。
思わず目を背けてしまいたくなる。紫月はそんな自分を叱咤し、唇を噛みしめた犬歯で──人のものよりするどい牙で、おのれの親指を噛み切った。
「口をあけて、梅梅」
うつろな瑠璃の瞳が、ふいの声の主を探し、闇をさまよう。
「だ、れ……なん、で……?」
「いいから! おねがいだから!」
梅雪は紫月だと気づいていないのだ、ろくに見えず、聞こえてもいないだろう。
そんななか、弱々しい呼吸をくり返す梅雪のちいさな唇が、すこしだけひらく。
すかさず紫月は親指を突っ込んだ。
「んぅうっ!」
驚きと息苦しさで、梅雪が口を閉じようとする。その拍子にガリ、と歯が食い込んだ。
(こんな痛み、梅梅にくらべたら……!)
紫月は奥歯を噛みしめて、異様な熱をもつ親指を梅雪の
噛み傷からあふれた紫月の血液が、毛細血管からみるみる吸収されてゆく。
どれだけ経っただろう。ふっと、親指の痛みが引く。
紫月がそっと引き抜けば、脱力した梅雪の寝顔が目に入った。
「……息、してる」
さきほどのたよりないものとは違う。
徐々にだが唇に赤みが差し、なにより苦悶にゆがんでいた梅雪の表情が、おだやかだ。
とたん、眠る梅雪へ折りかさなるように、紫月はくずれ落ちた。
「ごめん……ごめんね、梅梅、おれがばかだったっ……!」
あのとき、しょうもない癇癪を起こさなければ。
梅雪のそばを離れなければ。
そうしていたら、この子はこんなに苦しまずにすんだかもしれない。
「……まもるから」
愚かな自分をゆるしてくれとは言わない、だから。
「おまえを傷つけるやつは、おれがやっつけてやるから」
もう離れない。離さない。
そのためなら、なんだって投げ出してやる。
紫月の脳内は、ただただ、その思いだけで埋め尽くされた。
「そこにいるのはだれだ! お嬢さまから離れろ!」
あぁ、だれかきた。
なんのために? だれのために?
「──うるさい。おまえが消えろよ」
深い眠りに沈む梅雪を抱きしめて、紫月の藍玉の眼光が、夜闇にまたたいた。