(……あかい、瞳)
覆面からのぞく色彩は、
おびただしい血を吸ったような、不気味な
こちらの血まで吸い取られたかのように、ハヤメの四肢が凍りつく。
得体の知れぬ男がまとう『気』に、あてられたのだ。
「
「も、もちろんでございます! わたくしどもは、あなたさまの御為に……!」
「御託はいい。私は利用価値のないもの、役に立たぬものが好かんのだ」
言葉をかぶせた緋眼の男が、血色のまなざしをハヤメへよこし。
「息をする価値がないとさえ、思える」
その手前、妹の目前へ立ちふさがった
「──『
それは、まばたきのうちの出来事。
まっぷたつにへし折られる、白銀の刃。
一瞬で間合いを詰めた男の手掌が、紫月の鳩尾に叩き込まれる。
時が止まったかのような無の空間に、ごり、と嫌な音がひびき。
ともすれば女人のごとく華奢な紫月の体躯が、いともたやすくふき飛ばされてしまう。
「……かはッ!」
石造りの塀へ叩きつけられた拍子に血の塊を吐き出した紫月が、力なくくずれ落ちた。
「兄、さま……紫月兄さまッ!」
「
ハヤメ、そして憂炎が駆け寄るも、紫月は応えない。
夢中で紫月を抱き起こしたハヤメは、完全に顔色をうしなう。
もとより細い紫月の腰回りが、その腹部が、異様にへこんでいたために。
「わが『滅砕掌』は、
「そんな、こと……」
あり得ない。できるはずがない。
「
これは、人の所業ではない。
「……起きてください、紫月兄さま……ねぇ」
ハヤメはうわごとのように、紫月を呼ぶ。
「私を独りにしないって約束したじゃない! 紫月!!」
みっともなく泣き叫びながら、どこか
あぁ……そうか。現実を受け止めたくないのは、胸が張り裂けてどうにかなってしまいそうなのは。
紫月を、愛しているからなのだ、と。
「……あなたはいつも意地悪だったけど……こんな意地悪って、ない……」
相次ぐ喪失感と絶望は、ハヤメを非情に押しつぶそうとする。
「
なんと声をかければよいのかがわからず、どもる憂炎だったが、伸ばしかけた右手をはっと引っ込める。
「……泣くな、ばか」
「は──」
ハヤメのもとにとどいたのは、聞き慣れた意地悪で。
そのくせ、ひどくやさしい声音で。
「んぅっ……」
文句は言わせないとばかりに、ハヤメは唇をふさがれる。
ふいの口づけは、にがい鉄錆の味がした。
藍玉の瞳が、そばにある。
ハヤメを、見つめている。
それだけで、ハヤメはこころが高鳴った。
「おまえが、泣いてるのに……俺がくたばるわけ、ないだろが……うぐっ!」
「無茶はやめてください、紫月兄さま!」
よろよろと上体を起こした紫月は、ふたたび血の塊を吐いた。
あばらが折れ、臓器がひしゃげている事実には変わりないのだ。
「ほう、これは。化け物だな」
みじんも賞賛していない単調なつぶやきで、緋眼の男はすこしばかりの驚嘆を表現した。
「ハッ……こちとら、だいじなだいじな妹が脅かされてるんでね……修羅にでもなってやるさ」
「なぜ、みずから苦しむ道をえらぶ?」
「一生わからんだろうよ……なぜなら俺とおまえは、まったく別の生き物だからな」
いけない。これ以上は。
ハヤメだってわかりきったことなのに、言葉にならない。
「
意識を保っていることすら奇跡だろうに、紫月は立ち上がるのだ。
「なぁ、
そういう紫月は、背が伸びた。昔はちいさくて弱々しい子猫だったのに。声だって低くなって……
(あ、れ……私……)
ふとハヤメの脳裏によぎるのは、梅雪の記憶。
いや、違う。
「愛してる。おまえだけを、ずっと」
ふり返った紫月は、美しく、それでいてあどけなく笑う。
そうして、唇だけをそっと動かすのだ。
──
「うぅっ……あぁあッ!!」
とたん、ハヤメはすさまじい頭痛にみまわれる。
思い出してはいけない『なにか』が、顔を出そうとしているかのように。
ハヤメの視界が、激しく明滅する。
ぐらぐらと、ゆさぶられているようだ。
「おい小僧、ぼさっとしてんな、行け!」
「でも……!」
紫月がなにかを叫んでいる。
それなのに、くぐもってよく聞こえない。
「いいから梅雪をつれて逃げろ、憂炎!」
だけれども、憂炎はしかと聞きとどけた。
おのれの名を呼んでくれた、ふたりめのひとの言葉を。
紫月は背を向けている。敵と闘おうとしている。
だから憂炎も、もうふり返ることはしなかった。
「いこう、梅姐姐」
「ゆう、え……」
ハヤメの腕を引いた憂炎は、これまでからは考えられないほどに力強い。
吹けば飛びそうな朦朧とした意識のなか、ハヤメの足は意思とは関係なく土を蹴る。
「紫月……だめ紫月、いやぁっ、紫月ぇえッ!!」
一心不乱に叫ぶ自分の声すら、くぐもっていて。
「愛してる……愛してる……おまえは生きろ、梅雪……俺の可愛い、早梅」
紫月の悲痛なつぶやきは、のどの奥で、雪のように溶けて消えた。