「私の
「
紫月と黒装束の男。
衝突した刃と刃が、火花を散らす。
「紫月兄さまッ!」
「かまうな! おまえは小僧を止めろ。このままだと『
ハヤメは、はたと我に返る。紫月の言葉どおりだ。
『千年翠玉』は、体内の気を爆発的に増幅させるもの。
(いまでこそ敵を圧倒しているが……あんな無茶を続ければ、酷い反動を受けてしまう!)
最悪の事態が頭をよぎる。
ハヤメには、迷っている時間などなかった。
ぐっと顔を上げハヤメは、明林を背に、一歩を踏み出す。
「
温度をなくしていた憂炎の声音が、そこではじめてゆらぐ。
ハヤメがひとつ呼吸をして見据えたなら、自身を射る瑠璃のまなざしに、憂炎がうろたえた。
「憂炎、
「わかんないよ!
「やめるんだ、憂炎!」
「死んじゃえばいいんだよ! 梅姐姐を傷つけるやつは、みんなみんな!」
憂炎は駄々をこねる幼子のように、いやいやと激しくかぶりをふる。
その絶叫に呼応した蒼炎が、またたく間に燃え上がる。
「くっ……!」
紫月も
ここには、ハヤメしかいない。
(私にしか成せないことは)
ハヤメはまぶたを閉じ、おとずれた暗闇へ問いかける。
自問の答えは、そう遠くない場所にあった。
「真白き乙女よ。祝福の音色を」
かかげた左手が、熱を帯びゆく。ハヤメは右手を伸ばし、中指にはめられた二連の指輪へふれる。
「詠い舞え──
鈴の声音がひびわたった刹那、まばゆい光が月光を塗りつぶした。
ハヤメの白魚のような指によって引き抜かれた指輪と、左手に残る指輪が、それぞれ細かい光の粒子となって風に舞い上がる。
ひとつは蛍のように右手にじゃれつき、五本の指をつつみ込む。
もうひとつは無数の粒子が集束し、光の雫を形成して、ハヤメの細腕へおさまる。
目のくらむ閃光が闇夜にとけたとき、ハヤメの左腕には、ひと張りの琵琶がいだかれていた。
「
いまのいままでおのれをいろどっていた指輪と、意匠をおなじくする一品だ。
紫月が曲を奏でていた、あの白琵琶に違いなかった。
ハヤメは地面へ腰を落とし、足を横へくずすと、太ももに白琵琶をのせる。
まっすぐに立て、胸と左腕で支えたなら、親指を添えて。
「力をかして、白姫」
白い義甲をはめたハヤメの指が、銀河を閉じ込めたようにきらめく梅花の飾りをなで、そっと弦をはじく。
(私の内功は、氷の性質をもつ
細い弦から、太い弦へ。
一音一音をたしかめるように
(
ハヤメはひとときの静寂を経て、四本の弦をさらう。
「
風が鳴き叫ぶ夜を、駆けぬける音階。
軽やかな音運びは、宙を跳ねる粉雪のよう。
否、比喩などではない。
ハヤメを取りまく空間が急激に気温を低下させ、きらきらと月光を反射する。
雲のない半月夜に、真白き
この旋律は、物語にもならない音の羅列かもしれない。
そうだとしても、ハヤメは爪弾くことをやめはしない。
「ひびけ、とどけ──『
この音で、こころを震わせてみせる。
──ベン。
ハヤメは胸もとで弦をかき鳴らす。
純白の粉雪をまとった旋律が月夜を
「……えっ……」
呆けた柘榴色のまなざしの先で、真白き風にもまれた蒼炎が霧散する。
あとには、ぱっとはじけた粉雪が、星のように煌めくだけで。
細かな光の粒子が、ふたたびハヤメの左の中指へ舞いもどる。
「憂炎」
名を呼ばれたと、憂炎が我に返ったのもつかの間。
無防備な憂炎の左ほほを、乾いた音が襲う。
衝撃に耐えきれず、憂炎はしりもちをつく。
遅れて熱がやってきて、憂炎はほほを叩かれたのだと理解した。
「おねえ、ちゃ……」
「憂炎」
「やだ、きらわないで……おれをきらいにならないで! おねがい、おねがい……っ!」
「憂炎!」
錯乱する憂炎の細い手首を、ハヤメは乱暴にさらう。
「私が君を、好きで傷つけているわけがないだろう!」
だけどこうでもしないと、憂炎はきいてくれないから。
「私を見て、私の声を聞いて、憂炎」
ハヤメは引き寄せた憂炎の耳を、胸へ押しあてる。
痛いくらいに抱きしめたら、いやでも鼓動がきこえるだろう。
生きている、あかしだ。
「……おれは、梅姐姐が、すきだから、だいすきだから……まもり、たくて」
「うん、そうだよね。憂炎はやさしい子だもの。ちゃんと知ってる」
「……でも、梅姐姐が怪我してるのみたら……あたまが、かっとなって……どうにもできなくて……ごめ、なさっ」
「もういいよ。……もういい」
「ごめんなさい、梅姐姐っ、ごめんなさいっ……う、あ、うぁあ! わぁああん!」
「いいこ、いいこ……」
胸にしがみついて泣きじゃくる憂炎につられ、ハヤメも目頭が熱くなってしまう。
あぁ……ここには、なにもない。
「私は、ここにいるから」
腕のなかの子以上に、だいじなものなんて。