圧倒的。まさにそのひと言につきる。
十五の
見えない
紫月は荒れ狂う風を読み、それすらも味方につけて、男たちを切り裂き、着実に体力を削いでゆく。
目前でくり広げられる闘いを注視しながら、ハヤメの脳裏には、とある考えが浮かんでいた。
(ここで敵を倒してしまえば、街に戻れる。あの子を、探しに行ける……!)
危険な行為であることは、ハヤメは百も承知だ。
それでも、黙って指をくわえているわけにはいかなかった。
(私も、紫月に加勢を……!)
いまのおのれが成せることはなにか。
ハヤメの脳内は、その思考に埋めつくされていた。
ゆえに、背後からしのび寄る影に気づけなかった。
「っ、
つんざくような紫月の呼び声。ハヤメは瞬間的に意識を引き戻されるとともに、夢中で身をよじった。
ふり下ろされた刃がハヤメの右ほほをかすめ、皮一枚を裂く。
すぐさま紫月が駆け寄ろうとするも、攻撃の手がゆるんだ隙を敵は逃さない。
懐へもぐり込んできた男のひとりに、紫月は抜き払った白銀の
(……間一髪だった)
ぴり、と痛みを訴える顔をしかめ、ハヤメは背後の闇に目をこらす。
そこで料理包丁を手に、わなわなと小柄な背を震わせていた女性は。
「……お嬢さまの、せいなんです……わたしは悪くない、わたしは悪くない……」
「
ハヤメは愕然とした。
殺されかけた恐怖よりも、心のどこかに残っていた信頼を、踏みにじられたショックで。
「明林、どうして!」
「わたしを見捨てたのはお嬢さまだわッ!」
北風とともに、明林の金切り声が吹き下ろす。
「わたしは……お嬢さまにお仕えできることになって、うれしかったんです。わが子を何度も流してしまったけれど、もしあの子たちが生きていたら、おなじくらいの年ごろだったかしら……って」
「うっ……!」
頭が、痛い。
痛みと引き換えに思い出されるのは、幼き日に梅雪が見上げていた、明林の表情だ。
そのどれもが、裏表のない笑顔だった。
「でも、お乳をあげるのは奥さまの役目で……乳離れをしても、食事は
「……それ、は」
わからない。ハヤメは知らないことだ。
思い出さなければ。梅雪が、明林をどう思っていたのか。
「お嬢さまは、わたしが疎ましかったのよ。だってわたしのお茶を飲んでくださらなかったわ。まるで毒が入っているみたいに毛嫌いして!」
明林の叫びがこだまする。
はたと瑠璃の瞳を見ひらいたハヤメは、それからしばらく呼吸の仕方を失念した。
(お茶……そうだ、明林のお茶は……!)
明林がなにを言っているのか。
なにをかん違いしているのか。
そして彼女に対する梅雪の感情を、思い出した。
「あなたのひと言ですべてを失ったの! 仕事も、夫も、なにもかも! 全部全部あなたのせいよッ!」
半狂乱になって凶器をふり上げる明林。
明林のからだを突き飛ばし、凍てついた地面へ打ちすえることだってできた。
それなのに、ためらってしまった。
ハヤメは唇を噛みしめ、胸に抱いた黒皇へ覆いかぶさる。
駆け抜ける一陣の風。
どっと鈍い衝突音ののち、ハヤメの頭上にかかる影が消えうせた。
「きゃああっ!?」
ひびきわたった悲鳴は、いままさにハヤメへ襲いかかろうとしていた明林のものだ。
はじかれたように、ハヤメは視線を上げる。
ふいに雲間から射した白い月明かりが、突如割り入った小柄な影と、力まかせに突き飛ばされた明林を照らし出した。
「
月光をやどしたまばゆい白髪と、燃える
その持ち主を、ハヤメが見まごうはずがない。
「
全身が
無事でいてくれた。それ以上に尊いことがあろうか。
炎につつまれた街を目の当たりにし、憂炎も恐ろしかったはず。
たった独りで、心細かっただろう。
まだ幼いこどもなのだからと、憂炎を知った気になっていた。
名を呼ばれた憂炎が、ゆらりとハヤメをふり返る。
「血の、においがする……」
うわ言のようにつぶやく一方で、真紅の双眸が、
「怪我してる……だれに、やられたの」
右ほほの切り傷のことを言っているのか。
かすり傷だ、問題ないと、普段なら笑い飛ばせたのに。
「おれの梅姐姐を傷つけたのは、おまえ?」
ハヤメは息を飲む。
ただならぬ空気、尋常ではない威圧感を発していたのは。
開ききった瞳孔で、尻もちをついた明林を見下ろしていたのは。
憂炎、だ。
「……る、さない……ゆるさないゆるさないゆるさない」
こちらに背を向けた憂炎が、人の身からのぞかせた大きな三角の耳としっぽの毛を、ぶわりと逆立てる。
「──ころしてやる」
淡々とした声がひびきわたった刹那、信じられない光景を目にする。
憂炎のまわりに、ぼう、と灯る、烈火を。