「妹も兄を愛していたんです」
ハヤメは、舌先でころがした鈴の声音を冴えた夜風にのせ、その物語を
「
淡い月明かりに照らされて、どれほど静寂を味わったろうか。
料紙の束を手に沈黙する兄は、なにを思っているだろうか。
容易に推しはかれることではない。けれども。
「……なにを言い出すのかと思えば」
それでも、ふいにこぼれた紫月のかすかな笑い声は、拾うことができた。
「これ以上の恋文が、ほかにあるか?」
紫月の言葉を聞きとどけるのに、一拍。
意味を理解するのに、さらに一拍をついやし。
三拍目。言葉をつむごうとしたそばから、ハヤメさ口唇をふさがれる。
いつぞやの、軽くついばむものとは違う。
「んっ……んんっ」
呼吸を奪われ、壁へ押さえつけられたからだが、つぶれてしまいそうだった。
荒々しくも甘い電流が、ハヤメの背筋を駆け上がる。
ハヤメは紫月の首にしがみつき、びりびりと走る甘い快感に、息とからだをはずませる。
たわむれに背筋をなぞられたなら、ハヤメはもう、猫の鳴き声のような母音しかつむげぬようになっていた。
ふいにつながりがとけ、唇と唇をつなぐ銀糸が、名残惜しげにぷつりと切れる。
「紫月、兄さま……」
「なんて
満面の笑みをたたえた紫月が、夜闇に藍玉の瞳を煌めかせる。
耳朶を食んだ唇が、ハヤメに妖しくささやいた。
「そう欲しがらなくたって、あとでもっと、気持ちいいことをしてやる……」
すりすりと指先でほほをなでられ、ハヤメもうっかりうなずきそうになる……が。
「は……えっ、いやいや、いやいやいやいや!」
ハヤメの理性も捨てたものではなかった。
間一髪で息を吹き返すとともに、甘ったるい色香をまとった紫月の胸を押し返すことに、成功したのだ。
(流されるところだった! あっぶな!)
これで十九歳とは、詐欺にもほどがあるのでは。
「安心しろ。こんな野外だなんて雰囲気もくそもないところ、俺の趣味じゃない」
「ですよね信じておりました紫月兄さま!」
ハヤメは一息に言ってやった。先ほど紫月を「人でなし」呼ばわりしたことは、完全に棚に上げている。
さらに「野外でなければいい」と揚げ足をとられていることには、まったく気づいていないハヤメである。
「っくく、あはははっ!」
そうこうしていたら、声に出して笑われるという。
紫月にしてはめずらしい、はじけるような笑みを頂戴する。
「根っこの部分は、やっぱり昔から変わらないんだよな」
「というと……?」
「おまえのことは女として愛しているし、妹としても可愛くてたまらないってことだよ」
ぽん。頭に手を置かれると、どう反応したらいいのか、ハヤメはとたんにわからなくなる。
(……いやじゃ、ない)
こころのどこを探っても、嫌悪感など見当たらないのだ。むしろ。
(……好ましいと、思ってしまう)
血のつながり。あふれんばかりの愛情。
ハヤメがひそかに切望していたものを、紫月はすべて与えてくれる。
紫月の求愛を拒めなくなっている時点で、とうに勝敗は決していたのかもしれない。
(好きに……なってしまう)
いまは親愛の情でも、そう遠くない未来に、きっと。
不条理なこの世界で頼れるのは、もう、紫月しかいないのだから。
(ふたりぼっち……か。彼となら、悪くないかもしれないな)
この世界自体が狂っているのだ。
いまさら、なにを恐れることがあろうか。
ならば、存分に溺れてやろう。
兄妹という背徳感に。男女の情愛という猛毒に。
「私を……独りにしないでね」
それは
わずかに見ひらかれた藍玉の瞳が、ハヤメを映し、まぶしげに細まる。
「独りになんか、させてやらない」
──嗚呼。
そのひと言だけで、これまでのすべてが、報われる。
薄く笑みをこぼしながらうつむいたハヤメに、紫月はそれ以上の声をかけることはしない。ハヤメの両ほほをつつみ込んで、ひたいをふれあわせるだけ。
紫月の体温と香りにしばし感じ入り、ハヤメはまぶたをひらく。
「いいか梅雪、もしものとき、おまえが呼んでいい名前はみっつだ」
真摯な面持ちが、間近にある。
ハヤメが藍玉の瞳へ見とれている間に、そっと左手をとられた。
「第一に紫月兄さま、次に
「そして?」
「
紫月が親指の腹でなぞっていたのは、ハヤメの中指におさまった、二連の指輪だったろうか。
──白姫。
ハヤメは脳内で、そっと
とたんに理解した。ふれた場所から伝わってきたのだ。