ハヤメから料紙を受けとった
「『
「えぇ。紫月兄さまもよくご存知のものです。そこに書いてあるものに関しては」
「……なんだって」
だがハヤメの意味深長な言葉の意図までは、理解できないようで。
「あの曲には、続きがあるんです。あまりの難度に演奏できる弾き手がおらず、いつしか忘れ去られてしまったようですが」
我に返ったように、譜面をめくる紫月。
二枚目、三枚目……と目を通すたび、その整った
そうさせるのは悲哀の情か、それとも。
「幻となってしまった譜面を、わが
紫月の悲痛な想いをぶつけられたことで、断片的ではあるが、ハヤメも思い出すことができた。
「妹だって、兄を、愛していたんです」
* * *
だれもを魅了する美人に成長しても、おごり高ぶることなく、謙虚さを忘れなかった。
それは「どんなときも誠実であれ」という、兄、
宮仕えをはじめてしばらく。後宮がやけにざわめいていた。
甘ったるい香りと目に痛い極彩色の入り乱れる光景のわけを、静燕は知らない。
あるとき、下級貴族の娘である宮女が、親切に静燕へ教えてくれた。
「あら、知らないの? 似顔絵師にとびきり美人に描いてもらうのよ」
まぁ、あなたには関係ないことでしょうね──と白粉に塗りつぶされた低い鼻をならして、宮女はせせら嗤った。
静燕は聡明な少女だった。
皇帝の寵愛を勝ちとるため、宮女たちがこぞって似顔絵師に
静燕は、沈黙を貫いた。
これに似顔絵師は腹を立て、賄賂を寄越さなかった静燕の似顔絵を、わざと醜く描いた。
皇帝が静燕のもとをおとずれることは、なかった。
それから数年後。晴風らしき人物が都をおとずれていることを、静燕は風のうわさで聞く。
すぐさま有り金すべてをはたき、高級な衣と装飾品で着飾った。
(追い返さなきゃ)
(
(だから……追い返さなくちゃ。まっすぐで家族想いな兄さんを)
宮女と似顔絵師の間で、当然のように取り引きされる賄賂。
それに気づかない、愚鈍な皇帝。見て見ぬふりをする官僚たち。
そんなことがまかり通る腐りきった場所に、正義感の強い晴風が、大切な妹を置いておくはずもない。
だが、予想外のことが起こった。
着飾ったことで美しさに磨きをかけた静燕を、偶然皇帝が目にし、妃にするなどと言い出したのだ。
静燕が予想しうる、最悪の事態に違いなかった。
(……兄さんが殺されてしまう。皇帝の妃をかどわかそうとした重罪で)
だから静燕は、うそをついた。
「おまえのような小汚い坊主など、知らない」
静燕はおのれが知らぬ間に、両親が亡くなったことを知った。
髪を切った兄が、それを売ってむしろにかえたことも。
父に会いたかった。
母に会いたかった。
兄に合わせる顔がなかった。
無知なおのれに憤りしかなかった。
「出て行け、二度と姿を現すな!」
いっそ叫んでしまいたい静燕の本心は、かん高い金切り声にしかならなかった。
これでいい。
たったひとりの家族を守るためには、こうするしか。
静燕は、そう自分に言い聞かせた。
それから間もなく、晴風が行方知れずになったと、静燕は耳にした。
故郷の雪山へ向かう兄の姿を、目撃した者がいるらしい。
静燕は聡明な少女だった。
兄がどこにいるのか、即座に理解した。
皇帝との初夜を拒んだ静燕は、後宮を飛び出す。
ひとり向かったのは、幼きころに兄と駆け回った故郷だ。
冬は真白き怪物と化す、やさしくて無慈悲な雪山。
「ふたり一緒なら、さびしくないよね……」
白い風に巻かれながら、静燕はわらっていた。
それから彼女が戻ることも、なかった。
だれが手向けたのか。
不思議な