「ここに、俺の子を」
死刑宣告にも等しい横暴に違いないのに、なぜだろう。
祈りにも似た、一音一音を噛みしめる
「
単調につむがれていた声音は、いまや内なる熱に震えている。
水の膜が張った藍玉の瞳は、目下のハヤメしか映そうとしない。
「おまえが
言葉の終わりを、紫月自身がさえぎる。
「にいさま、待っ……」
「待つのはもう
「んっ……」
噛みつくのではなく、そっとついばまれ。
一度、二度とハヤメにふれた唇が、深くかさなる。
口内に吐息を吹き込まれたら、もう。
あまい口づけだった。絶えずぶつけられる熱情に、ハヤメはどうしたらよいのかわからない。
紫月も浅く、深く、角度を変えて、夢中でハヤメに唇をかさねていた。
背を掬うように、紫月に抱き起こされる。
脱力しきったからだはなすすべもなく、背筋をなぞって腰へ回る腕の感触を、ハヤメはどこか他人事のように思うことしかできない。
拒むべきなのだろうか。
それとも、受け入れるべきなのだろうか。
なにが正解なんだろう。一体どうしたら。
あぁ……頭が痛い。割れそうだ。
しゅる、とハヤメの帯がゆるめられ、
あらわになったハヤメの白い喉笛を、紫月の濡れそぼった赤い唇が点々と食む。
そのたびに、鼻にかかった声が、ハヤメののどの奥からこぼれた。
「……猫より
紫月のあまいかすれ声が、耳もとでささやく。
いやでは、なかった。
そう……最初から、
「紫月、兄さま……兄さま、きいて」
きっと、
「あなたを疎ましく思ったこと、憎んだことなんて、ただの一度もないのです」
そうだ、
「だからこそ、あなたに『愛している』と、伝えるわけにはいかなかった」
いつしかハヤメを苛むものはなくなり、冴えわたった脳裏によみがえる感情がある。
「あの曲のとおりだったのよ。私たちは……たがいを想うからこそ、すれ違ってしまったんだわ」
「……どういうことだ。俺を、憎んでない……? おまえはなにを言って」
記憶が、ハヤメの中に流れ込んでくる。
幼きころ、無邪気に遊び回った雪の日。
琵琶を教えてもらったこと。
楽しくて、楽しくて、かけがえのない日々で。
そんな幸せが、跡形もなく崩れ去る恐怖。
これは梅雪の記憶。
「紫月兄さま、あの曲には、続きが……うっ!」
「梅雪……どうした梅雪、しっかりしろっ!」
崩れ落ちるハヤメのからだを、紫月は蒼白になって抱きとめる。
(……あれ、私は、どうして。勝手に、言葉が)
ぼんやりと、ハヤメの意識が浮上する。
見上げると、おのれを腕にかき抱いた紫月が、しきりに名を叫んでいる。
泣かないでと言いたいのに、声にならない。
はくはくと、口が開閉するだけだ。
涙ながらにハヤメを揺すっていた紫月が、突然硬直する。
まもなく、藍玉の瞳に激情が燃えさかる。
凝視していた先は、着物が乱れむき出しになった、ハヤメの右肩だ。
「なんだ、この傷は」
当て布は取り払われ、患部がさらされている。
「獣の牙を突き立てられたような傷痕……おまえ、まさか、
紫月の声音が、みる間に抑揚と温度をなくしてゆく。
「あの糞餓鬼……殺してやる、殺してやるっ!」
今度は、ハヤメの血の気が引く番だった。
「やめ、て……
「ふざけるな! 忘れたのか、俺たちの『
ハヤメはやっとの思いで声を絞り出すも、激高した紫月の前では無意味で。
「噛まれたのはいつだ」
「……みっか、まえ」
「あぁくそ……時間がない」
低くうなって舌打ちをした紫月は、ふところから『なにか』を取りだし、口に含む。
すかさずハヤメへ口づけ、その『なにか』を舌先で押し込んできた。
無味無臭の、飴玉のようなものだった。ハヤメはつばとともに、反射的に飲み下す。
「俺の作った霊薬だ。『
ハヤメは、咽頭をすべり落ちたものが、胃の噴門部ですぅ、と溶け出す感覚をおぼえた。
異様に火照った身体が、すこしだけすっきりしたような感じがする。
と同時に、ハヤメはひどい眠気にみまわれた。
「こんな状態のおまえを、置き去りにしたくない……だが」
もやがかかったように曖昧な意識のなか、ぎゅっと抱きしめる腕のぬくもりだけは、わかる。
「今晩までには。すぐに戻るから、それまで眠っていろ、梅雪」
ひとたびハヤメのほほをなぞった指が、離れてゆく。
ろくに焦点も結べない視界では、伸ばした手はなにもつかむことができず。
糸が切れたように、ハヤメの意識は暗転した。