愛していた。
おまえを、愛していた。
だからこそ──にくかったのだ。
* * *
ハヤメが宙を指先で二度叩いてシステム画面を呼び出すと、右上に、通知を知らせる赤い
おそるおそるタップし、『着信172件』と表示されたメッセージウィンドウに、ハヤメは震え上がった。
「君は私の恋人か!」
《上司だよッ!》
「ひぃ……」
魂の叫びが返ってきた。おのれがクラマの地雷をピンポイントで踏み抜いたことに、縮こまったハヤメはまったくもって気づかない。
「色々あったんですヨ」
《だからその『色々』の部分を言いなさい》
「すんません」
ハヤメは、笑ってごまかそうとしてみた。
血も涙もない鬼上司には、通用しなかった。
強制通信を決行されたのだ。
もう逃げられない。腹を決めよう。
ハヤメは床にへばりつく五体投地からいそいそと起き上がり、正座の姿勢でつらつらと経緯を説明する。
《つまり、自分を襲った狼少年を甲斐甲斐しく看病して、衣食住の面倒まで見てるってわけですか。どんだけお人好しなんです?》
「だって、放っておくわけにはいかないじゃないか。まだこどもなんだし」
うなだれた頭上にのしかかる声音は、あからさまに刺々しい。
さすがにそんな言い方はないだろうと、ハヤメも口をとがらせてしまう。
《そういうところが、あなたらしいですけど……率直に言います。ハヤメさん、いますぐにその街を離れてください》
「は……? なんで?
《放っておけ、ということです》
「言っている意味がわからない!」
クラマはひねくれた言動をするが、その心根は純粋な正義感に満ちていることを、ハヤメは知っている。
だからこそ、非情な発言をするクラマの真意が理解できない。
《残り30%》
「え……?」
《転送するついでに、教えてやりますよ》
なにを、と、ハヤメがきく間もない。
──ピロリン。
電子音とともに、【ファイルダウンロードを再開します】と無機質な光のテキストが宙にまたたく。
70%からはじまった数値が、ハヤメの意思に関係なく明滅する。
《ハヤメさんの憑依した
「……まって」
75%、80%、90%──
あんなにつっかえていたくせに、めまぐるしく推移する数値が、息もできないほどの重圧をハヤメによこす。
《
「……やめてくれ」
《梅雪に皇子の毒殺をそそのかしたのも、彼です。憂炎にとって、梅雪は目的を遂げるための駒でしかなかった》
「……ききたくない」
《事実です。何故なら、計画が失敗し捕らえられた梅雪を、処刑の日を待たずして口封じのために殺すのも、憂炎なんですから》
「あの子はそんなことしない!」
するはずがない、それなのに。
──【100%ダウンロード完了】──
《それがこの小説のストーリーなんです》
なぜ、反論ができないのか。
《本来の梅雪と憂炎は、まだ何年も後に出会うはずでしたが……これだけは断言できます。ハヤメさん、危険なんですよ。憂炎も、そんな彼に入れ込んでいるあなたも》
クラマの声音は、ひどく落ち着いていた。
《悪役を改心させて、国のひとつでも救うつもりですか? やめてください。俺たちは英雄にはなれないんです。情を感じないでください。戻ってきてください、ハヤメさん》
本当は、ハヤメもわかっているのだ。
クラマが自分を想って、こんなことを言っているのだということくらい。
「わかっているさ……
ハヤメがこぶしを握りしめると、手のひらに爪が食い込む。
だけれど、手よりも、胸が痛かった。
「……憂炎のことは、獣人にまかせる。その方向で話は進めている」
いつか、そのうちにと思っていたことだが。
なんとも、あっけないものだ。
「私は英雄にならないが、悪役になるつもりもない。後宮には行かない」
《これから、行く宛はあるんですか》
「
脇役は脇役らしく、汗水たらしてひっそり暮らすのがお似合い。ハヤメ自身が、口癖のように言ってきた言葉だ。
「……独りにさせてくれ」
絞り出したハヤメのつぶやきに、今度は、クラマも口を挟むことはしなかった。
《たまにメッセージをひと言送ってくれるだけでもいいので、連絡くださいね。……心配になりますから》
ハヤメの心情を汲み取ってくれたのだろう。憎まれ口も、このときばかりは鳴りをひそめている。
ハヤメは最後にひとつうなずいて、無言で人さし指をふれあわせたメッセージウィンドウを、上方へはじく。
「……独りきりに、なってしまったなぁ」
自分から接続を切っておいて、なにを言っているのだか。
「私にも家族がいたら……さびしくないのに」
声に出して、わらえてくる。
未練たらたらではないか。
ないものねだりをしてもしょうがないだろう。
憂炎とは、いつか別れなければならない。
その時が、思ったよりちょっと早く来るというだけ。
「おしぼりが冷めてしまった。早く戻ろう」
ハヤメは薄く笑いながら、鉛のような手足を動かす。
のそのそと立ち上がり、壁に手をついて部屋を出ようとして。
──とす。
ろくに歩み出さぬうちに、鼻先がなにかにぶつかる。