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第14話 薫風を聞く【後】

 覚悟はしていた。満を持して、ハヤメはあらかじめ用意していた文言を声に出す。


「ごめんなさい、実を言うと私、ここ数年のことをおぼえていないんです」


 その名も、記憶喪失大作戦。

 そんなことがまかり通るかというご都合手段だが、ハヤメもきちんと算段をつけての実行である。


 梅雪メイシェが近しい人々にどういった態度で接していたかという記憶は、もやがかかったように曖昧だ。

 そこで良家のお嬢さまらしく、無難におしとやかな言動を演じてみせる。

 いつだったか、西洋ファンタジー作品で社交パーティーに参加した令嬢Dとして、ガヤを担当した経験が活きる。

 数々のモブを演じたということは、それだけ世界観に対応した知識があり、経験値も高いことをさす。

『NPCのカメレオン』とまで評された変幻自在な演技力が、ハヤメの強みなのである。


「気づいたら、よく知らない、雪深い場所に倒れていたの」


 これは本当。こちらにやってきて開口一番にすっとんきょうなこだまをひびかせたことは、記憶に新しい。


「そんな私を、この憂炎ユーエンが見つけて、街まで案内してくれたんです。親はいないらしくて、冬場は狩りをして暮らしているのですって」

「狩りを? こんなちいさな坊やがねぇ……」

「本当ですよ。元気に雉をかついでいたでしょう?」


 真実は一割くらいでいい。残る九割の作り話を、ハヤメはあたかも本当のようにたたみかける。

「ねぇ、憂炎?」とハヤメが笑いかければ、ぶんぶんと勢いよくうなずかれた。

 条件反射だったらしい。憂炎の首が取れてしまわないか、心配だ。

 なんにせよ、憂炎がともに行動する舞台づくりも完璧だ。

 必要な役者もそろっているので、ハヤメはここらで、一歩踏み込んでみるとする。


「お父さまやお母さまはどうされているかしら。明林ミンリンは知っていますか?」


 わかりきった問いだった。

 ハヤメの読みどおり、明林の表情が目に見えてくもる。


百杜はくとには……ザオ家の邸宅があるあの山には、戻られないほうがよろしいかと」

「まぁ、それはどうして?」


 ハヤメはなにもわかっていない箱入り娘のふりをして、首をかしげてみせる。

 凍りついたような沈黙が、しばしのときを支配した。


「お嬢さまは避寒のために深谷しんこくへいらしたのですよ。そう文をいただいておりましたもの。ですが、予定の日時になってもおみえにならず……道中、雪崩に襲われたんですわ。きっとそうです」


 記憶がないのはそのためだ、と。

 自分が息を切らして駆けつけたのは、梅雪のものとおぼしき街の男衆のうわさを耳にしたからなのだと、明林は涙ぐみながら話す。


「さぁさ、お身体がお冷えでしょう。あたたかい白湯鍋をお持ちします。いただいた雄雉おすきじは叩いて肉団子にしましょうねぇ」


 えくぼを刻んだ明林が、はつらつと言い放って客室をあとにする。


「うまいこと話を逸らされたな」


 ふたりきりになった室内で、ハヤメは低くうなった。


「あいつ、やましいことがあるの? だからにげたの?」

「そうか、憂炎にはそう見えたか」

「ちがうの?」


 うそつきとあらば、ハヤメもどっこいどっこいだ。しかし平静をよそおった明林の異変を、こどもの敏感な感性ゆえか、憂炎は怪訝けげんに感じたようだ。


「憂炎、私にはね、お父さまもお母さまもいない。もう、いないんだ」

「捨てられたの……?」

「いいや。わるいやつに食べられてしまった」


 柘榴色の瞳が見開かれる。ハヤメがやんわりと伝えたことは、つっかえながらも、飲み下してくれたことだろう。


「不憫に思ってくれたのかもしれない」


 だって、乳母なのだ。

 幼いころから知っている梅雪は、明林にとって、か弱いこども。

 そんな少女に「あなたのご両親は何者かに殺されました」だなんて、どうして言えよう。


 つらいかと問われれば、わからないと思う。

 あくまで家族を亡くしたのは梅雪であって、ハヤメではないから。

 自分のことではないのに、傷痕のごとく脳裏に刻まれた記憶が、ときおり疼く。

 あぁ、ままならない。ここまで『役』に浸かったことがあったろうか。


「だいじょうぶ、へいきだよ」


 緑漆の茶杯へ添えたハヤメの右手の甲に、ひと回りちいさい手がかさなる。


「おれが梅姐姐メイおねえちゃんを、あっためてあげる。だから、さむくないよ」


 いけない。まだ幼いこの子に、こんなことを言わせてしまうなんて。


「どんどんたのもしくなるなぁ、憂炎は。まばたきをする暇もない」


 辛気くさい空気は、からからと笑い飛ばしてしまおう。


「ねぇ憂炎、こっちに来てくれるかい?」


 ぱちりとまばたく柘榴色の瞳。

 それから音を立てて椅子から立ち上がった憂炎がぱたぱたと駆け寄ったかと思うと、ハヤメの首へ抱きついた。


「えへへ! おれがぎゅーってしてあげる!」


 無邪気な体温を包み返して、じんわりと胸にともったぬくもりに、ハヤメは感じ入る。

 茶はすこし冷めてしまったけれど、この身はどこもかしこもあたたかい。


 ──離れたくないなぁ。


 そんなわがままを、ハヤメは頬肉を噛みしめて飲み込んだ。

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