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第10話 山麓の街にて

 はるか彼方まで澄みわたる淡青の空に、太陽が南中する時分。

 山麓さんろくの街に、北風がめずらしい客人をつれてやってきた。

 瑞々しい翡翠の髪に、空よりも深い瑠璃の瞳。

 とんでもない美貌をまとった少女が、おもむろに往来を歩いている。

 それは枯れ色ばかりの景色に飛び込んできた、極彩色の花。

 少女とすれちがった男の十人中十人が、目をひん剥いてふり返った。百発百中だ。


 これほどの命中率ならだれかひとりでもお茶にさそってきそうなものだが、そうは問屋が卸さない。

 なんせその美少女、弓を背負い、雉をかついでいたのである。

 花を手折るのもためらいそうな華奢きゃしゃな乙女が、だ。


 ──仕損じてみろ。られる。


 急激に現実へと引きもどされた男衆は、二の腕をさすりながらそそくさと立ち去ったのであった。賢明な判断である。


「やぁ、さすがにくたびれたねぇ」


 さて。注目の的となっていたハヤメはというと、雉をかついだ美少女という衝撃的な風体ふうていの自覚なく、のんきに笑っていた。

 天気の話でもするような他愛ないひと言だったのだが、これに過剰な反応をみせたのは、となりを歩いていた憂炎ユーエンである。


「おれ、もてるよ。かして!」

「このくらいの手荷物、だいじょ──」

「もてるもん!」

「っとと!」


 元気に立って歩けるようになってからだ。憂炎は、やけにハヤメの手荷物をほしがった。

 おてつだいさんがしたいお年ごろらしい。


(本当に大丈夫なんだけどなぁ)


 右肩の傷は膿んでいないし、弓だって問題なく引けた。

 すこし熱っぽいのも、寝ずの番からの山くだりをキメたためだ。

 疲れはあるだろうが、倒れるほどではない。

 そういう憂炎のほうこそ、生死の境をさまよっただろうに。

 病み上がりなんだからとたしなめてきたが、辛抱たまらんとばかりに雉を引ったくられてしまったので、ハヤメはお言葉に甘えることにした。


「憂炎はたのもしいねぇ」

「……梅姐姐メイおねえちゃんの、ためだから」

「ははっ、そうかそうか!」


 と、しばし実の姉弟のようなほほ笑ましいやりとりを交わしていたが、ハヤメとて考えなしにぶらついていたわけではない。

 すべきことは、決まっていた。

 何事も、先立つものは必要だからである。


「あっちのほう面白そうだな~、行ってみよう」

「わっ、まって、梅姐姐!」


 碁盤の目のように規則正しくととのえられた大通りの、みっつめの分かれみちにさしかかったときだ。

 孔雀緑の裾をひらめかせて、ハヤメが左の路へ曲がった。

 慌てて雉を背負い直した憂炎が、あとを追う。


 不思議なことに、その先は異様にせばまっていた。

 路をはさんで向かいあう民家の塀が、たがいに押し出ているためだ。

 すごい圧迫感だ。両者ともにゆずらない。ご近所づきあいに支障はないのかと、ハヤメは勘ぐってしまう。

 人がひとりやっと通れるほどの薄暗い路地を、なんの臆面おくめんもなくハヤメは進んでゆく。憂炎も駆け足で続いた。

 じきにひらけた場所へ出る。行き止まりではあったものの、ふいにかぎ慣れないにおいがして、憂炎は身をこわばらせる。


「いい天気だね。もうかってるかい?」


 だれかへ言葉を投げるハヤメの背にくっつき、その肩から、憂炎はそろそろと柘榴色の瞳をのぞかせる。

 陽の当たらぬ裏路地には、とある露天商が絨毯をひろげていた。

 色もかたちもごっちゃな宝玉だとか、どこぞの民芸品が、趣味が良いのか悪いのかよくわからない幾何学模様の上へまばらに置かれている。

 絨毯の端にすわり込んだ店主は、笠をまぶかにかぶっている。

 そこから垂れた白妙がへだてているため、店主の素顔をうかがうことはできない。

 ただ、合間からのぞいた藤色の衣は襦裙じゅくん。ハヤメも身につけている女性用の着物だ。


「ご用件は」


 お世辞にも愛想がいいとは言えない、単調な問いが、店主から投げかけられる。

 かといって冷やかしかと、ハヤメに怒っているようでもない。


「買ってもらいたいものがあってね」


 つと、笠をかぶった店主が上を向く。

 一歩、憂炎はあとずさった。

 直接目が合っているわけではない。それなのに、ただならぬ圧を感じて。

 うろたえる憂炎の視界を、ハヤメの背がさえぎった。


「売りたいのは雉じゃない。この子でもない」


 ハヤメはそう言うやいなや、右腕をもち上げる。

 きれいに結い上げられていた翡翠の髪が、さらりと帳をおろした。


「これで、どんなもんだろう」

「っ、姐姐!」


 あっと声を上げた憂炎だが、遅かった。

 ハヤメの手をはなれたかんざしは、得体の知れない店主のもとへ、わたってしまっていたから。


「赤珊瑚ね」


 赤珊瑚の簪は、正真正銘梅雪メイシェの持ち物だ。

 だがいまの梅雪の境遇を思えば、人目につかず、個人経営である『こうした店』で売却する方法が、もっとも安全といえる。

 品物の出どころを追及される心配がすくない、それすなわち、『梅雪の足跡も残らない』ことを意味するがため。

 さっと簪に指先をすべらせた店主は、返事の代わりに、どこからか取り出した巾着の紐をゆるめてハヤメへ手わたす。

 ずしりとハヤメの手のひらへ乗っかってきた巾着には、つぶ銀がぎっしりと詰まっている。


「たしかに」


 ねらいどおり、充分な路銀ろぎんは手に入った。

 巾着の紐を締めてふところへしまったハヤメは、再度店主と向き合う。


「助かる。今夜は贅沢な宿にとまれそうだ。ところで」


 瑠璃色の視線が向けられた先は、すわり込んだ店主の腰もと。


「すてきな装飾品だね。その佩玉はいぎょく──子羊の角だろう?」


 ざわ……


 憂炎は、にわかに肌が粟立つ感覚をおぼえる。


「あなたは『獬幇かいほう』の方とみて、相違なかろうか」

「そういうあなたは人間ね」


 風ひとつふかないこの場の空気が、一変した瞬間だった。

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