「そうだ君、こっち向いて。口のなかのものをぺっとしなさい。美味いもんじゃないだろう」
ハヤメがふところを探ったところ、
そこで血にまみれた
「っ……かはッ!」
こぽりと吐き出された、血糊。
どさりと床板をはねたからだを見おろして、ハヤメは血の気が引く思いだった。
卒倒した憂炎の口からとめどなくこぼれているものは、血糊ではない。
──血だ。
「憂炎? どうした憂炎、憂炎っ!」
肩の痛みも忘れて憂炎へ駆け寄るハヤメ。
夢中でちいさなからだを抱き起こすが、状況は深刻なものだった。
「うぁっ……!」
「憂炎! 一体どうし──」
「いたい……痛い痛い痛い! うるさいうるさいうるさいッ!!」
指先がふれただけでも「痛い」と。
ささやき声まで落として名前を呼んでも、「うるさい」と。
憂炎の錯乱具合が、尋常ではない。
脇腹や手足には打ち身の痣があるものの、それが原因とは考えにくい。
そもそも憂炎に目立った外傷はないのに、ふれただけでこんなに痛がるなど、おかしい。
(聴覚に……なにより、痛覚異常……神経系の病でもわずらっていたのか?)
いや、それもない。
憂炎に持病があったなら、先ほどまで問題なく会話ができていたことの説明がつかない。
「みえない……なにも、みえない……さむい、さむい……」
「憂炎……っ、これは!」
とっさにふれた憂炎のからだが、冷たい。四肢の末端から、凍りついているように。
うつろな柘榴色の瞳は闇をさまよい、焦点があわない。
(なんだ……なにが起きているんだ)
視覚に、体温調節機能までやられている。
ハヤメが次の行動を決めあぐねているうちに、かは、と憂炎がふたたび血しぶきを散らした。
突然の全身症状。
これが外傷や病によるものでないとすれば。
(まるで、猛毒でも飲んだみたいじゃないか……!)
そこで、はたと我に返る。
──梅雪は作中屈指の悪女だ。
皇子の
稲妻に撃たれたかのように、ハヤメは思い出した。
(そうだ、梅雪は……体内毒をもつ少女だ!)
ハヤメが知らなくとも、このからだが知っている。
梅雪の血中には、高濃度の神経毒がふくまれている。
微量でも摂取をすれば神経を破壊し、感覚器異常をきたす。
最終的には全身の血流がとどこおり、凍てつく寒さに苦しみながら死に至るのだ。
人呼んで『
(私に噛みついたことで、憂炎が『氷毒』を摂取したなら、解毒法は……)
……あぁ、だめだ。思い出せない。
それがどこにあるのかはわかるのに、余計なものが邪魔をして、すぐには取り出せない。となれば。
「悪いがクラマくん、ここまでだ」
《ハヤメさん、なにをするつもりですか》
「またあとで連絡する」
《ハヤ──!》
ハヤメは人さし指でふれた空中のメッセージウィンドウを、思いきり上方へはじく。
接続は中断。【70%ダウンロード完了】と表示された画面が、ぷつりとブラックアウトした。
ハヤメは深く呼吸をする。
まぶたを閉じ、雑念を極限までそぎ落とした状態で、からだに刻まれた記憶を掘り起こす。
(毒そのものを消し去る方法は、ない……が)
ひとつだけ、活路があった。
「いたい、さむい……もういやだ、つらい、しにたい……ころして」
「馬鹿なことを言うもんじゃない!」
そんな弱気を口走られては、ハヤメも意地になるというもの。
「死なせない。死なせないったら死なせないからな」
ハヤメは襟に指を引っかけ、力任せにひろげる。
同時に帯をほどき、着物を床板へ落とす。
ためらいはなかった。
下着のみの姿になったハヤメは、倒れた憂炎を抱き寄せ、素肌をふれあわせる。
「私がそばにいる。だから憂炎、きいてくれ」
痙攣にも似た凍えを訴えるからだを包み込み、振り乱された月白の髪へ指を通す。
成功するかどうかは、運次第。
そうだとしても、心から信じている。
君なら成し遂げられると、信じている。
──憂炎。
「君の炎で、氷をとかすんだ」