夢を見た。
これは僕の記憶じゃない。
たぶん、今まで消してきた事故や事件の夢。
車に轢かれたり、銃で撃たれたり、包丁で刺されたり大切な人を目の前で殺されたりと、ろくな内容じゃなかった。
どの記憶も僕は覚えていないけど、その断片は僕の中に残っているんだろうか。
こんな夢を見るのは初めてだと思う。
僕が記憶を吸い上げた人たちがどうしてるかなんて知らない。
でもきっと、彼らはこんな夢を見ることもないだろう。
僕がみんな消したんだから。
誰かが死ぬ瞬間の夢なんて見たいもんじゃねえのに、夢はどんどん場面が切り替わっていく。早く目が覚めないかと思い始めたとき、あたりが白く染まった。
それまでの悪夢が嘘かのように、真っ白な空間がただ広がっている。
辺りを見回していると、どこからともなく声が聞こえた。
『お兄ちゃん、ありがとう』
いつの間にか目の前に現れた女の子がそう告げたかと思うと、笑顔で手を振る。
ありがとう。
記憶を吸い上げた相手に僕はそんなこと言われたことはない。
相手は僕がそこにいる理由さえ忘れるから。
「別に。僕は自分ができることをやっているだけだから」
そう少女に向かって言うと、彼女は僕を見上げて言った。
『私がいくら話しかけてもお母さんに届かなくって哀しかったの。でも、お兄ちゃんがいたから私、お母さんに近づけたし一緒に逝くことができたから』
そう言って笑い、彼女はすっと消えてしまった。
僕は臨みたいに戦うことはできない。消せる記憶だって、本人が忘れたいと願う辛い記憶や哀しみの記憶だけだ。
そして記憶を吸い上げるたびに僕は苦しんだり寝込んだりする。
でもそんな記憶はすぐに忘れ去るし、それで誰かが生きる希望を抱けるのなら僕はこの力を使い続けるだろう。
そう思った時、ゆっくりと目が開く。
そして、すぐに臨の安心したような顔が視界に入った。
それに消毒液の匂いに……点滴……?
「おはよう、紫音」
そう微笑んで言い、臨は僕の額に触れる。
ひんやりとした手が心地いい。
僕は視線を巡らせ、小さく呟いた。
「……ここ……」
「病院だよ。さすがに僕ひとりじゃ君を運べないし容体もわからないから、救急車呼んだんだ」
まじかよ……
救急車を呼ぶほど僕は消耗したんだろうか。そんなの初めてだ。
「力の使い過ぎによる過労だろう、て。俺、真梨香さんや色んな人に怒られたから、紫音も覚悟しておきなよ」
「か、覚悟って……」
「力を使いすぎれば死ぬこともあるからって。子供だけで無茶するなって。依頼してきたのは真梨香さんなのにね」
と言い、僕の額から手を離し、臨は苦笑する。
確かに、僕らに猫襲撃事件の犯人を捜せと言ったのは真梨香さんだ。
そして僕らは言われた通り犯人を見つけ出した。
もう、事件は起こらないだろう。
「あ……日和ちゃんは……? どうなった?」
「あぁ……彼女も入院してるよ。嫌がったけどね、ほら、彼女は人じゃないから」
そうだ、だからもし、彼女が妊娠していてそして人として生きるなら、と思い僕らは事前に根回ししておいた。
ここの産婦人科に入れるように。彼女に戸籍を与えられるように。
「彼女の戸籍は研究所の所長がどうにかしてくれるって言ってたし。まあ、そのかわり日和ちゃんや生まれた子供の検査させろ、とも言ってたけど」
まあ、そうなるよな。
人ひとりの戸籍を作るのがどういうことなのか僕にはよく分からねぇけど、普通の手続きじゃ無理だろうからな。
大学病院の隣りにある総合科学研究所は国立であり異能研究を行うという名目の元、たくさんの能力者を抱えていて、政治的な力を持っているらしい。
能力があれば人知れず暗殺、なんてこともできちゃうからなあ……
その政治力を使って日和ちゃんの戸籍を作るように頼んだわけだけど、僕らはどんな代償を支払うんだろうか。
「紫音の目が覚めたし、先生呼ぶね」
臨はそう告げると、ナースコールのボタンを押した。
やってきた医師から僕の状態を説明され、しばらく入院するよう厳命された上、説教を喰らった。
厳しめに怒られたのは相手が僕の事をよく知る医者だったからだろう。
その後やってきた真梨香さんには泣かれた上に怒られた。
「生きててよかった……心配したんだからね」
と、布団の上から抱きしめられて言われたのは恥ずかしさで死にたくなった。
両親にも怒られ、研究所の所長にも無茶するなと怒られさすがに嫌気がさしはじめたころ、別の見舞いがやってきた。
初芝さんと、日和ちゃん。それに、ショルダーバッグに隠れたリモだった。
「紫音さーん!」
バッグから飛び出したリモは一直線に僕のベッドに飛び乗り、顔を擦り寄せてきた。
「死んじゃったかと思ったじゃないですか、もう」
病院は動物厳禁のはずだけど、そんなことにかまってる余裕はなかった。
あれから二日経ってるらしく、吸い上げた記憶はすでにおぼろげになっている。
それでも気持ち悪いのは変わらないし、覚えてないはずの記憶に心がざわつき落ち着かなかった。
「あれくらいじゃ死なねえよ」
そう言いつつ僕はリモを抱きしめる。
冬毛に変わったリモはふわふわのもこもこで、抱きしめると心地いい。
「あの……」
遠慮がちな女性の声が響く。
リモを抱きしめたまま僕は声がした方を見た。
日和ちゃんが、申し訳なさそうな顔で僕を見下ろしている。
社で見た化け物の表情とは違う、穏やかで儚げな雰囲気の女性だった。
確かこの人は半妖なんだっけ……
彼女の記憶を吸い上げたとき、そう思ったような気がする。
日和ちゃんは深々と頭を下げ、
「ありがとうございました」
と言った。
真正面から感謝されるのは慣れていないし恥ずかしい。
僕は顔が熱くなるのを感じながら、首を横に振り、リモを強く抱きしめて言った。
「別に、僕はできることをしてるだけだから」
そう答えて彼女から視線を逸らす。
こういうとき、どんな顔をしたらいいのか分かんねえんだよ。
「記憶を……消してくれたんですよね。だから私、覚えてないんです。ここ数か月の事」
申し訳なさそうに日和ちゃんが言う。それはそうだろうよ。僕があんたの記憶、消したんだから。
どういっていいかわからず考えて考えて、僕は答える。
「覚えてなくてよかったよ。生きていくのに必要のない記憶なんて、忘れたところで支障ねえよ」
「……そうですね。覚えていたら私、ここにいられなかった」
「そうだよ、だから覚えてなくていいんだよ」
そう答えて、僕はリモを抱きしめる。
「……? どうしたんですか、紫音さん。いつもより抱きしめる力強すぎません?」
「気のせいだよ」
「そう、ですかねえ」
いいや、気のせいじゃねえけど、恥ずかしいなんて言えるかよ。
とりあえず僕はもう少し寝ていたい。
しこたま怒られてばかりでもう疲れた。
「ふたりのお陰で俺は彼女にまた会うことができた。ありがとう」そんな初芝さんの声が響く。
だから感謝されることには慣れてねえんだよ、僕は。
「俺たちはただ、事件の解決をしたかっただけですから。すみません、紫音、疲れてると思うから今日はこれで。また今度、お店の方に伺わせていただきますね」
僕の様子を察したらしい臨がそう言ってくれて、リモが僕の腕から取り上げられてしまう。
ふたりには帰ってほしいけど、リモにはいて欲しいのに。
そんな願いは虚しく、リモは初芝さんの持つショルダーバッグの中に詰められて、病室を出て行ってしまった。