アァアアァァーーーーーーーーーー!
空気を切り裂くような叫び声が辺りに響き渡る。
僕はリモを抱きしめたまま、ぎゅっと目を閉じて俯いた。
本当は耳を押さえたかったけれどリモを離すのは嫌だった。
叫び声が僕の中の恐怖を増幅し、僕はぎゅっとリモを強く抱きしめた。
「ひえっ……」
僕の腕の中で、リモが短く呻くのが聞こえた気がした。
それくらい叫び声が続いただろう。 声がやみ、僕はゆっくりと目を開く。
初芝さんに伸びていた黒い手はいつの間にか本体に戻り、だらん、とぶら下がっていて、その腕を日和ちゃんは掴んだままだった。
そして、臨が日和ちゃんの背後に回り、その腕に電撃を絡ませている。
あの黒い物体を引きはがせば、日和ちゃんは元に戻れるかもしれない。
何もできない僕は、ただ事の成り行きを見つめるだけだけだった。
僕の背後から足音が聞こえる。
初芝さんがゆっくりとした足取りで僕の横を通り、彼女に近づいて行く。
「来るなぁ!」
と、女の叫び声が響き、手がしゅるしゅると伸びていくけれどやっぱり途中で動きが止まった。
「だから、やらせないって言ってるでしょう」
「うるさい! この身体は私の物だ!」
叫び声と共に、黒い手が日和ちゃんの首に絡みつく。
って嘘だろ? あの幽霊、何考えてんだ?
身体が死んだらお腹の赤ちゃんだって死ぬだろうに。そんなのも分かんない位おかしくなってんのか?
「俺は君がどんな姿になっても受け入れる」
初芝さんはそう言いながら、彼女に歩み寄っていく。
「来るなと言ってるだろ! それ以上近づいたらこの女は死ぬぞ!」
言ってることとやってることが滅茶苦茶じゃねえか。
「俺は君を死なせない」
強い口調で言い、初芝さんは彼女に近づいて行く。
幽霊は初芝さんの方しか見てないようで、背後に回った臨には気が付いていないようだった。
彼女の身体を傷つけるわけにはいかないから、下手に攻撃を仕掛けられない。
だから背後に回ってあの黒い影だけを攻撃するしかないだろう。
臨、やれるよな。
僕は心の中で祈り、事の成り行きを見守った。
「うるさい! この女は、お前となんかいたくないんだよ! だからお前に会いに行かなかったし、ひとりでいることを選んだんだ!」
彼女は泣きながら叫び、一歩後ずさる。
その背後に立つ臨は、両手を胸の前でひろげて、電撃の網を作っている。
マジで網を作れんのかよ?
あいつやっぱすげえな。
「日和さん」
初芝さんが彼女の目の前に立つ。
手が届くほど近くに。
「う、あ……」
呻き声を上げる彼女に向かって、初芝さんは腕を伸ばして言った。
「君が何者でも、俺は君と一緒にいたいんだ」
「やめろぉ! くるなぁ!」
叫ぶ日和ちゃんの背に生える黒い幽霊に臨が作った電撃の網が絡みつく。
驚いたのか、日和ちゃんは大きく目を見開き背後を振り返ったけど、もう遅い。
臨は、雷の網の両端を掴むと、ぐい、とそれを引っ張った。
「よ、よせ! 何をする!」
声が二重にこだまするのは、日和ちゃんと幽霊の声だろうか。
「貴方はあのまま成仏すべきだったんですよ。ここは生者の世界。死者のいる場所なんてないから」
言いながら臨は、幽霊に絡みついた電撃の網を思い切り引っ張る。
ぐぐぐ、と黒い影は日和ちゃんの身体から引き抜かれていく。
臨のやつすげえ……
完全に黒い塊が日和ちゃんから引き抜かれそして、彼女はその場に膝をついた。
そこに初芝さんが駆け寄り、彼女の身体を抱きしめる。
「日和ちゃん!」
それまで僕の腕の中にいたリモが、僕の腕から飛び出して日和ちゃんに駆け寄っていく。
僕もつられてリモの後を追った。
臨の網に囚われた黒い塊の幽霊は、人の形をとっている。
『どうして邪魔するの! 子供がいらないのなら私がもらってもいいでしょう? なにがいけないの!』
「貴方の子供じゃないでしょ? だって、貴方の子供はもう死んで、成仏しているんだから」
『お前が殺したんだろう! 私の大事な子供を……私と、彼の……大事な……』
幽霊は、自分の都合の悪いことは忘れているんだろうか。
できるかな。
でも、やるしかねえか。
僕は意を決して、網に囚われた幽霊に歩み寄る。
「ならその記憶、忘れさせてあげるよ」
そう声をかけると、黒い影がこちらを向き、真っ赤な目と視線が絡む。
やばい、怖い。
恐怖心を抱きながら僕は、震える手で幽霊の頭に手を伸ばした。
黒い影に触れたとき、幽霊の記憶が僕の頭に流れ込んでくる。
彼とのデートの場面、プロポーズに結婚式。妊娠した事、それを彼に告げた人の事。たくさんの幸せな記憶が流れ込んでくる。
でもそんな日々は終わりを告げる。
追突され、前にいたトラックに突っ込んでしまいそして……彼女は死ぬ。でも死にきれなくて彷徨い、この山にたどり着いたこと。僕らに出会い、腹を斬られたこと。そして成仏しようとしたのに、日和ちゃんに出会ってしまったこと。
それらの記憶が一気に流れ込んできて、僕は幽霊から手を離しその場に膝をついた。
気持ち悪い。
頭がガンガンするし、心がぐちゃぐちゃだ。
『え……あ……ここ、どこ……?』
幽霊の戸惑った声が聞こえてくるけれど、僕は何も言えずただ、口を押えてへたり込むばかりだった。
幽霊の旦那さんには見覚えがある。
間違いなくあの人は僕が記憶を消した男性だ。
こんなことあるのかよ……やばい、涙が出てきた。こんなの初めてだぞ。
「貴方がどうすべきか、わかりますよね?」
臨の声が遠くに響く。
『……えーと……私、死んだのよね。早く逝かないと』
『そうだよ、ママ、いっしょにいこう!』
そんな小さな子供の声が聞こえてきて、僕は驚き顔を上げた。
さっきまで黒い塊でしかなかった幽霊が女性の姿になり、小さな女の子と見つめあっている。
……子供?
って、こんなことあるのかよ?
女の子、だろうか。
白いワンピースを着た女の子は、幽霊に抱き着きその顔を見上げて言った。
『ママ、やっといっしょにいけるね!』
その言葉を聞いた幽霊は、笑顔で頷き少女を抱きしめそして、社の方へと向く。
いつの間にか社の前に光の塊ができていて、ふたりはそちらへと歩いて行った。
あれはあの世への入り口? あの女の子は幽霊の子供?
だめだ、何が起きているのか思考が追い付かない。
ふたりが光の塊の中に消えたとき、ふっと、その光は何事もなかったかのように消えてしまい後には静けさだけが残った。