僕たちが社を離れようとしたときだった。
ごぉっと大きな音を立てて風が吹いた。
「おおう」
腕の中でリモが驚きの声を上げる。
風は大きく枝を揺らし、がさがさと音を立てる。
あぁ……アァ……
その風の中に泣き声が混じっているような気がした。
リモも気が付いたようで、辺りを見回している。
「聞こえたか?」
「はい。泣いているように聞こえましたが……なんですかねぇ……?」
もしかしてさっきの日和ちゃんだろうか?
今この時間に人がこの山の中にいるとは思えないしな……
彼女は泣いているのだろうか。でもなんで?
さすがにこの暗い山の中を探し回るわけにもいかないし、僕にはそんな力はない。
「紫音、どうかした?」
臨に問われ、僕は首を横に振る。
「何でもねえよ。帰ろう、明日学校だし」
僕たちは社に背を向け、その場を後にした。
明日学校かあ……そう思うと気が重い。
ここ数日色々とあり過ぎだろ。
できれば一日休んでいたいけど、さすがに親が休ませてくれねえだろうな……
山を下りる間、僕たちは無言だった。
僕は疲れていたせいもあったけど、初芝さんになんて声をかければいいかわからない、っていうのもある。
臨も珍しく無言だ。
こいつはこいつで何考えてんのかわかんないけど、もしかしたら疲れているのかもしれない。
普通の生活をしていたら、あんな風に力を使う事なんてないもんな。
臨の力は日常生活で役に立つことはないだろう。
扱いを間違えれば誰かを傷つけるし何かを壊すから。
これからどうしようか。
化け物の正体はわかった。
でもどうしたらあの憑りついたものを彼女から引き離せるんだろうか。憑りついているものの未練、てなんなんだよ。
分かんねえなら本人から聞くしかないんだろうけど、あの様子じゃあ聞きだせるとは思えねえんだよな。
ごちゃごちゃと考えていると、初芝さんの声が響いた。
「いくら考えても俺には何にもできないんだなって。そう思うと悔しいよ」
悔しい、の意味が分からず僕は後ろを歩く初芝さんを振り返る。
「人にはそれぞれ役割ってあるんじゃないかな。俺には貴方みたいにコーヒーを淹れることはできないし、ひとりの人を愛するとかできないから」
僕の前を歩く臨は振り返らず、さらっととんでもないことを口にする。
ひとりを愛することはできないって、それ高校生が言うことかよ……達観しすぎじゃね?
少し先を行った臨は立ち止まり、振り返りながら言った。
「俺には力があるし、紫音もだけど。彼女に憑りついた何かを倒せばいいだけでしょ? その後彼女を救うのは貴方しかできないんじゃないかな。まあいざとなったら紫音が記憶を消せばいいだけだから」
「って、そう簡単に記憶消すとか言うなよ! それを決めるのは本人なんだぞ」
臨の方を向きながら言うと、彼は笑って言った。
「あはは、紫音は真面目だね。覚えていても生きる上で必要のない記憶を君は消せるんでしょ? なら今夜の出来事なんてほんと、必要のない記憶じゃないかな」
「そうかもしれないけど、そんなの俺らが決めることじゃねえよ」
臨に言ったあと、僕は再び振り返り初芝さんを見つめる。
彼は下を俯き首を振り、
「俺の記憶を消すことは望まないけど……もし、彼女が望むなら、彼女の記憶を消してほしいかな」
と言った。
……彼女の記憶?
意味が分からず僕は目を見開く。
「彼女がした事、今夜の事、憶えていてもたぶん辛いんじゃないかな。だとしたら……すべてが終わって日和さんが元に戻って、もしそのことを全部憶えていたら……彼女が望むのなら消してほしい」
「え、と……まあ、本人が望むなら……」
あくまで僕が力を使うのは、本人が記憶を消したいと望んだときだけだ。むやみに力を使いたくない。
僕が戸惑いつつ答えると、初芝さんは顔を上げて微笑み言った。
「その時はお願いします。俺が頼れるのは君たちだけだし、どうか、彼女を救ってあげてください」
そして彼は頭を下げる。
救えるだろうか。僕たちにそんなこと、できるだろうか。
「俺たちが頼まれたのは化け物探しと退治ですから。俺たちはただ仕事をこなすだけですよ」
なんて言い、臨は歩き出してしまう。
まあ確かにそうだけど、そこはわかりました、だけでよくねえかな。
何か方法があるだろうか。臨の力であの化け物を引きはがせたらいいけど。日和ちゃんに電撃浴びせて……いいや、それは下手すると日和ちゃんにダメージがいくか。
ってなるとあの黒い化け物にだけ攻撃しかけるしかねえよなあ……
山を下りながらごちゃごちゃと考えていると、出口が近づく。
自転車のそばまできて再び僕は山を振り返った。
黒い塊のような山がそこにあり、風に枝を揺らして不気味な音を立てている。
この山のどこかに日和ちゃんは隠れているんだろうか。でもどこに……?
次この山に来られるとしても、週末だよな……それとも満月の夜の方がいいんだろうか。
今日は満月じゃないのに現れたから、もしかしたら別の日でも会えるのかもしれねえよな。
どちらにしろ明日は学校だ。
現実に戻らないと。
「ねえふたりとも」
初芝さんに呼ばれて、僕らは振り返る。
彼は少し迷った顔をした後、
「できればその……明日、学校の後お店に来られるかな」
と言った。
まあ、色々話したいこと、あるよな……
僕も聞きたいことあるし。
「別にいいですけど」
僕が言うと、彼はほっとした顔をする。
「良かった。じゃあ、よろしく。今日は疲れたし、また明日」
と言い、彼は僕らに背を向けた。