社に向かおうとすると、背後から声がかかった。
「あぁ、やっぱりいた」
聞き覚えのある青年の声に振り返ると、そこに喫茶店のマスターである初芝さんが息せき切らせて現れた。
ってなんでこの人がいるんだよ?
彼は僕らに歩み寄ると、僕が抱きかかえるリモを見つめて言った。
「……ここに来たら彼女に会えるんじゃないかって……そう思ったらいても立ってもいられなくなったんだ」
「彼女って……」
人に化けて初芝さんに会いに行っていたという狐か。
ふたりの間にそれほど深い繋がりができていたんだろうか。でも数回しか会ってないって言ってたような……?
不思議に思っていると、臨がサラッと言った。
「彼女と寝たんですか?」
「ちょっとお前何言ってんだよ!」
おもわず声を上げると、臨は不思議そうな顔で僕を見る。
「だって、そこまで感情を抱くってそれしかないかなと思って」
「誰もがお前みたいにほいほい寝ると思うなよな!」
「俺はいちいち寝た相手に深い感情なんて抱かないよ」
……それはそれでサイテーじゃねぇか?
いや、こいつはそういうやつだった。来るもの拒まず去る者追わずなんだ。でも恋人は作らないし作ったことがないはず。
僕には
全然理解できないけど。
「……いや、まあ……言いにくいけど……えーと、臨君だっけ。彼の言う通りだよ」
まじかよ……
苦笑して言う初芝さんにこちらが気まずくなってしまう。
臨はやっぱりそうですよね、なんて言っている。
僕は慌てて、
「すみません、こいつ節操なくて」
と言うと、初芝さんは首を横に振り、
「大丈夫だよ」
と言った。
でも恥ずかしげに頬を指先で掻き、
「まさか高校生にそこまで突っ込まれると思わなかったけど……まあ、そういうのもあって彼女の事、ずっと気になってるんだよ」
と言い、目線を下げた。
っていうかなんだよこの空気、気まずいんだよ。
「えーと、初芝さん。僕たちこのまま社に向かいますけど、一緒に来ますか?」
とりあえず空気をかえようと尋ねると、彼は顔を上げて頷いた。
「彼女が何者なのか、俺は知りたいんだ」
彼女は狐の妖怪だ。僕たちはそれを知っているけどこの人は何も知らないんだよな。
真実を知ることが果たして幸せなことなんだろうか。
臨の方をちらり、と見るが彼は森の奥へと目を向けている。どうやら初芝さんへの興味は薄れてしまっているらしい。
ここで僕がごちゃごちゃと考えても仕方ないか。
烏は相変わらず空をぐるぐると回り騒いでいる。
「早く行こうよ」
臨は笑顔で告げ、社の方へと歩き出した。
進めば進むほど烏の声が大きくなっていく。
辺りはだいぶ暗くなり、枝の隙間から星が見える。
社のある開けた場所にたどり着くと、僅かに血の匂いが漂って来て烏が舞う中にそれはいた。
ぴちゃ……ぴちゃ……
烏の鳴き声の中に水音が響く。いいや、水じゃない。何かを舐める音だ。
社の鳥居の中に女がいた。
真っ白な長い髪、真っ赤な瞳、それに白いセーターを着たその女は、地面に座り込み何かを喰っていた。
それがなんなのか、僕は考えたくもなかった。
やばい、気持ち悪い。
僕は口を押えその女から目を反らす。
「日和ちゃん……?」
僕の腕の中にいるリモが呟いたとき、烏の鳴き声が遠ざかっていった。
何があったのかと思い驚き顔を上げると、ゆらり、と女が立ち上がり手に紅いものを握りしめたままこちらを睨み付けていた。
ぞくり、と背中に冷たい物が走る。
「人じゃないのは確かっぽいね」
臨がそう呟くのが聞こえてくる。
こいつはなんでこんな冷静なんだよ。俺は早くこの場を立ち去りたいってのに。
この間会った幽霊のとき感じた恐怖とは種類が違う。
この化け物はまずい。下手したら殺される。
僕が恐怖に苛まれていると、ゆっくりと動きだす人影に気が付いた。
「日和さん」
その声は初芝さんのものだった。
彼は化け物に向かって歩き出している。
止めないと。そう思うのに全然身体が動かない。
ふらふらと歩く初芝さんの腕を、がしり、と臨が掴む。
「あ……」
「近づくと危ないと思いますよ?」
冷静な臨の声に、初芝さんははっとした顔をして臨と、化け物を交互に見る。
「……でも、あれは……」
「貴方が捜している人、なんですか?」
臨の問いかけに初芝さんは戸惑った顔で頷く。
「姿かたちは確かに彼女だけど……でも髪色と目の色が違う」
「あれは日和ちゃんだけど日和ちゃんじゃないですよ!」
そう叫んだのはリモだった。
「怖い何かが憑りついてます! だから近づいたら危ないですよ!」
「こ、怖い何かってなんだよ?」
やっと出た僕の声はかなり震えていた。
リモは僕の顔を見上げ、首を傾げる。
「怖い何かとしか……ただ、なにかこう、どす黒いものが僕には見えるんですが……何なのかまではちょっと。おいら、化け物関係に詳しくなくって」
妖怪なのに分かんねえってそういうことだよ? 妖怪とは違うものとか? それってなんだよ。
女――日和ちゃんはゆらりと一歩前に出たかと思うと、背中から黒い手のようなものが二本伸び、僕らの前の地面に突き刺さった。
「ひっ……」
僕はリモを抱きかかえたまま思わず一歩後ずさった。
なんだよあの手みたいなやつ。
「ほら危ないですよ」
と言い、臨は初芝さんの腕を思い切り引っ張った。
危ないって言うか……このままここいたんじゃ殺されるんじゃねえのか?
そう思うとリモを抱きしめる腕に力がこもる。
「紫音さん、怖いんですか?」
リモの不思議そうな声に、僕は頷いた。
怖いに決まっている。
あんな化け物目の前にして、平静でいられるわけねえよ。
ただひとりを除いて。
その時、空気がバチバチと音を立てた。
臨だ。
彼の髪が静電気でふわり、と浮かび身体を電気が包み込んでいる。
こいつ、存分に力がつかえる状況を楽しんでる。
「敵意があるって事でいいのかなあ。それなら俺も、遠慮なく力がつかえるし」
臨は嬉しそうに呟きそして、右手を前に出した。