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第17話 会いたい人

 店内はカウンターに六つの椅子、壁にそって四つのテーブルとひとり掛けのソファーが向かい合って置かれた小さな店だった。

 そして、お店の隅にはアップライトのピアノが置かれている。

 メニューにはコーヒーや紅茶、それにパンケーキやサンドウィッチなどが書かれている。

 僕たちはカウンターの席に座り、リモもそれに倣う。

 カウンター席に座る狸……なかなかシュールな光景だ。

「飲み物、何がいいかな?」

 カウンターの向こう側に立つ、黒いエプロンを纏った未來さんはメニューを僕たちに見せながら言った。

「俺はカフェオレで」

「僕は……えーと……オレンジジュースでお願いします」

 僕はコーヒーが苦手だ。

 というかカフェイン自体が苦手なので、紅茶も余り好きじゃない。

 なのでカフェインが入ってない飲み物を選ぶことになり選択肢が限られる。

「君たち高校生?」

「はい、翠明すいめい学園に通ってます」

「あー、じゃあふたりとも頭いいんだね」

 それは社交辞令だろうけれど、よく言われる言葉だった。

 私立の六年一貫校でキリスト教の学校。と聞くと、人は勝手に金持ちの頭のいい学校だと決めつけてくるらしい。

 そんなことはないと思うけど。

 僕は笑って誤魔化し、臨は、そうですねー、なんて、適当な返事をする。

「若い子と話すのなんて久しぶりかも」

 笑いながら未來さんは言い、僕たちの飲み物を用意してくれた。

「若い子はこういうお店には来なくて」

「なかなか喫茶店て入りにくいですからね。駅前のカフェに行っちゃいます」

 臨が言うと初芝さんは笑いながら、

「そうだよねー。綺麗だし、お洒落だもんね」

 と言った。

 臨は取り繕うようなことを一切言わないので、聞いていると冷や冷やしてしまう。

「ほんとお前素直だよな……」

 内心呆れつつ、僕は臨のほうに視線を向ける。

 臨は僕の方を向くと、驚いたような顔をして首を傾げた。

「そう?」

「あぁ」

「素直なことはいいことだからいいや」

「それであの……君たち本当にこの子と話せるの?」

 僕たちの前にコースターと、飲み物が入ったグラスを置いた初芝さんは、戸惑った様子でリモをちら見した後言った。

 あぁ、そういえばそんな話をしていたんだっけ?

 僕はストローに口をつけ、飲み物をひと口飲む。

「おいら、水ください!」

 そう言って、リモが手を上げた。

「水が欲しいそうですよ」

 臨が言うと、初芝さんは、あ、と言った後慌ててガチャガチャと動き出す。

「……コップがいいのかな、お皿……?」

 戸惑った様子で呟くので、僕はリモを指差して言った。

「コップでも大丈夫ですよ」

 というか、店の衛生的に狸入れて大丈夫なんだろうか、と言う事を今更ながら心配する。

 客が使うものと一緒で大丈夫なのかなとか心配している間に、初芝さんは水を入れたコップをリモの前に置いた。

 ちゃんと、コースターを置いて。

 リモは頭を下げてお礼を言った後、コップを両手で掴んだ。

「あ、ほんとに持てるんだ……ちょっと変わった狸だなと思っていたけど、ちょっとどころじゃなかったんだね」

「喋りますしね」

 臨が言うと初芝さんはリモの方を見て、首を傾げながら言った。

「本当に、本当に喋るの?」

「それを証明するのは無理ですけど……俺たちには喋っているように聞こえるんですよね、不思議なことに」

 確かに、リモが喋っていることの証明なんてできるわけがない。

 僕は隣に座るリモに視線を向け、そして身体ごとリモの方に向けた。

「リモ」

「はい」

「お手」

「はい」

 リモはコップをコースターに置いた後、身体ごとこちらに向けて右手をちょん、と出し僕の手にのせた。

「おかわり」

「はい……て、おいらは犬じゃないですよ!」

 なんていうノリツッコミまでしてくる。

 そのやり取りを見ていた初芝さんは、驚いた様子で呟いた。

「何を言っているのかわかんないけど、なんかこう、ツッコミしてる感じがする」

「この子、妖怪らしいですからね。だから賢いみたいですよ」

「賢いみたいじゃないです、賢いんです!」

 リモは腰に手を当てて胸を張る。

 初芝さんは言葉はわからないもののなんとなく何か言っているのはわかるらしく、

「よくわからないけれど、自慢してる……のかな?」

 なんて言い、マグカップを手にした。

 初芝さんはカップを見つめ、ちょっと思いつめたような顔をする。

 何かあったのだろうか?

「彼女の事……何かわかるかな」

 ぼそりと、初芝さんが呟く。

「おいらは犬じゃないですよ! 由緒正しき狸の妖怪です!」

 僕が差し出した手をぺしぺし叩きながらリモが言う。

 狸の妖怪に、由緒正しいも何もないんじゃないだろうか?

「紫音さんたちよりずっと年上なんですからおいら。ちょっとは尊敬してほしいもんです」

「……リモ、お手」

 胸を張るリモに向けて僕が言うと、条件反射なのか、リモはさっと、僕が差し出した手にその手を重ねてくる。

 賢いなほんと。

 リモは僕の顔と重ねた手を交互に見た後言った。

「僕は狸ですってば!」

「はいはい」

 そのやり取りを見ていた初芝さんは、思いつめたような顔をしてぼそり、と言った。

「本当に喋れるなら……この子が一緒にいた女性の事、何かわからないかな?」

「女性?」

 初芝さんの言葉を受け、僕はリモの方を見る。

 リモは首を傾げ、

「女の人がどうかしました?」

 と言った。

「四月の満月の夜に、この子と一緒にいた女性がいて。俺はその人の事を知りたいんだけど何も手がかりがなくて」

 寂しげに初芝さんは言った。

「リモ、誰かわかるか?」

 リモは僕の顔をじっと見つめ、頬を掻いた後首を傾げた。

「何のことでしょう?」

 棒読みで言うあたりが怪しすぎる。

 こいつ嘘をついている。

「リモ?」

「ひより……って名前しかわからなくて」

 初芝さんが言うと、リモはびくん、と尻尾を震わせたあとさっと正面を向き、コップを握り思い切り水を口に流し込んだ。

 飲みきれない水が顎から流れていく。

 こいつ、なんか知ってるな?

「リモ」

「はい!」

 コップを握ったまま、リモはガクガクと震えながら僕の方を見る。

「何でしょうか紫音さん」

「ひより、って誰?」

「お、お、お、おいらしらないデス」

 棒読みで言い、リモは首を横に振る。

「知ってるだろお前」

「知らないデスよ」

「知ってるだろ絶対」

「しらないですってば」

「何を」

「日和ちゃんのこと何て知らないデスよ」

 ひよりちゃん。

 という言い方が引っかかる。

 リモはしばらく沈黙した後、口を押え、ふるふると首を振る。

「この子、さっきから何を言ってるんですか?」

「ひよりちゃんなんて知らない、と言ってますね」

 初芝さんの問いに答えたのは臨だった。

「そのひよりって誰なんですか?」

「えー……と」

 初芝さんは迷ったように視線を下に向け、そして首を振り、顔を上げた。

「俺が会いたい人、何だけど。四月の満月の夜、この子と一緒に現れて、会ったのは三回だけなんだよね。六月に会ったきり、一度も姿を見せなくなって」

 そして、寂しそうに笑う。

 僕でもわかる。

 きっと初芝さんは、その人に恋心があるんだろう。

 でも今時名前だけで何にもわからないとかあるか?

 スマホなんて誰でも持っているだろうに……

 あ、でも。

 僕はリモの方を見る。

 リモは空のコップの中身を必死に飲んでいる。

 こいつは今、超動揺している。でもここで何かを聞きだすのは無理そうだな。

「どういう人なんですか?」

「薄い、茶色の髪で……切れ長の瞳の綺麗な人だよ。年齢は……聞かなかったからわからないけど二十代半ばくらいかな、と思う」

「その人に会いたいんですか?」

 臨が言うと、彼は遠い目をして呟くように言った。

「そうだねえ。会いたいけど……何にも手がかりがないからもう忘れようって思ったんだけど。でも忘れられないんだよね」

 それはそうだろう。

 恋慕の想いはそうそう消せるものじゃない。

 臨がちらっ、と僕の方を見たかと思うと、僕を指差しにこやかに言った。

「紫音ならその辛い記憶、消せますよ?」

「臨! なんてこと言うんだよ!」

 今の話、辛い記憶か? いや、違うだろう。

 僕が消せるのは、あくまでその人が生きていくうえで必要ない、悲しみや苦しみの記憶だ。

 恋の痛手なんて対象外だ。

「え? 消せるってどういう……」

「あー! 何でもないです、何でも! 臨、変なこと言うんじゃねーよ!」

「でも生きていくのに必要のない記憶なら、消したほうがよくない?」

「それを決めるのは俺らじゃねーよ! 本人自身だ!」

「でも辛そうだよ」

「恋の痛手の辛さなんて誰もが経験するもんだろーが! そんなんいちいち消してられるかよ」

 俺が言うと、臨は顎に手を当ててしばらく考えた後、言った。

「恋なんてしないからよくわからないけど、そうかもね」

 なんて言いだす。

 そうだった。

 こいつは来るもの拒まず去る者追わず。

 追って来ようとしたら排除する奴だった。

 よくこいつ刺されねーよな。これがモテるんだから世も末だ。

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