(…さん!兄さん!もう朝だよ!)
「!」
ばっと布団から飛び起きると、すでに窓からは木漏れ日が差し込んでいた。ジャレドは身支度をしている。
「ジャレド、なんで起こしてくれなかったんだ?」
「まだ出立には時間があるし、疲れているようだったからな」
ジャレドはそうなんでもないかのように言うと、荷物を詰め終わったようでベッドに腰掛けた。
「色々なことが一気にあって混乱もしているだろう?ゆっくり休むのが一番だと思ったのさ」
そう言われるとぐうの音も出ない。ジャレドの優しさはありがたく受け取ることにして、俺はのそのそと身支度をはじめた。
「にしても、毎度思うがお前の寝起きの髪型は凄いな」
ジャレドが少し含み笑いをしながら言う。俺は元々寝相が悪いようで、朝起きたら頭が凄いことになっているのが常なのだ。真に言わせれば芸術的ですらある、らしいが。
洗面所に向かい、頭から水をかぶる。水でぺったりした髪を後ろに撫で付け、髪型はこれでオッケーだ。元の世界にいた頃にはワックスなどを付けていたが、そんなものはこの世界でお目にかかったことがないのでこれがやれる精一杯だった。
(兄さん、後ろの方がまだハネてる気がする)
真の言葉に、水をつけた手で後ろの方の髪を弄る。あくびを噛み殺しつつ、顔を洗うと、少しスッキリした。
「今日からまた野宿か。身体が痛くなるんだよな」
「デュークスバリーは歩いて5日とはいえヴァージルから比べるとかなり寒いし、その準備が必要だな」
「準備が必要なほど寒いのか?」
「少なくとも今の装備より一枚多く羽織る必要はあるだろうな」
「なるほど…そんな寒い中野宿して大丈夫なのか?」
「焚き火を切らさなければ大丈夫だろう。不寝番は必要だが」
「それは交代でやれば負担は減らせそうだな」
会話を続けつつ、ゆっくり身支度を整えていると、部屋のドアからノックの音がした。
「入っていいかしら?」
エレナの声だ。別に見られて困るものもないので、躊躇いなく許可する。
「入るわよ…ってリン、あなた上半身裸じゃないの」
「悪かったか?」
「レディの前でなんてこと…私はともかく、ダーシーも居るのよ」
「え」
そう言われてドアの方を見ると、ダーシーが顔を真っ赤にして硬直していた。何故か俺の顔も真っ赤になる感覚がした。2人して固まっていると、ジャレドが俺の服を投げて寄越してくれた。
「はあ…早く着ろ、朴念仁」
「なんでいきなりディスられてるんだ!?」
「そういうところよ、リン」
(そういうところだよ、兄さん…)
納得がいかないまま服を着ると、ダーシーも落ち着いたようで硬直が解けた。なんだか悪いことをしてしまった。
「で、なんで部屋に来たんだ?集合時間にはまだ早いと思うが」
「ああ、それなんだけれど。宿代を払おうと思ってたら、女将さんが来て、もう騎士さんが払っていかれましたって言うのよ」
「…騎士さん?」
「ええ。おそらくルードヴィグだと思うのだけれど。それと、いくらかお金を持たせてくれたから、デュークスバリーに行く前に防寒装備を整えようという話をしに来たの」
「至れり尽くせりだな。今度会ったら礼を言わないと…」
「全くね。シェリントンからもらったお金はだいぶ減ってたけど、このお金があればデュークスバリーへの旅費としては十分だわ」
エレナはほくほくとした顔で言う。本当にルードヴィグには礼を言わないといけないな、と思いつつ、デュークスバリーへの旅路に思いを馳せる。
「デュークスバリー方面は寒いのか…寒いのは苦手なんだよな」
(そう言えばそうだったね。運動効率が落ちるとかなんとか言ってたっけ)
「寒いと身体が十全に動かない気がするんだよ。なんとなくだけどな」
「あら、リンにも苦手なものがあったのね。意外だわ」
「俺をなんだと思ってるんだ…」
エレナの言葉に少しむすっとするポーズをとるも、エレナは気にする様子もない。エレナに気を遣ってもらおうなんてのは無茶な話だったか。
「じゃ、出発まであと少しあるから私たちは部屋に戻るわね」
エレナはそう言ってダーシーと共に去って行った。
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出発の時間になったため、まとめた荷物を持って宿屋の一階に降りる。すでにエレナとダーシーは降りてきており、椅子に座って待っていた。
「悪い、待たせたか?」
「いいえ、私たちも今降りてきたところよ」
「ところで、朝食はどうするんだ?」
「旅路の食料も兼ねて、パンでも買いましょう。女将さんに良いパン屋さんを教えてもらったわ」
「抜かりないな」
相変わらずのエレナの食へのこだわりに苦笑しつつ、宿を出てそのパン屋に向かう。パン屋はヴァージルの東地区、比較的裕福な層が暮らしている場所にあった。
「どれもこれも美味しそうね!」
パン屋に入ると、様々な種類のパンが置いてある。と言っても元の世界の日本のパンというよりはドイツパンのような固いパンが主なようだ。これなら日持ちもしそうだな、と俺も物色を始める。目の端でエレナが山のようにパンを選んでいる(選んでいるのか?)のが見えたが、一旦それは頭の隅に追いやった。
(ポピーシードのパン、美味しそうだね)
「確かに美味そうだな…これにするか」
俺はポピーシードが表面にふんだんに飾られたパンと、カボチャの種が入ったパン、シンプルなライ麦のパンを選んだ。ダーシーとジャレドもそれぞれ好きなパンを3〜4種類選んだようで、会計に向かう。エレナは店のパン全てを買おうとしていたようだったが、ジャレドに咎められ泣く泣く5種類ほどに選別していた。
「ああ…私のパン…」
「流石にあれはやりすぎだ。旅の邪魔になる」
店を出てからもエレナは嘆いていたが、ジャレドの正論パンチにやられてさらに落ち込んでいた。まぁ確かに全て美味しそうだったが、だからといって全て買おうというのは流石に色々ネジがぶっ飛んでると言わざるをえない。
「次は装備品ですね。デュークスバリーは寒いらしいので」
ということで、俺たちは旅人用の服飾店に来ていた。普通の服飾店とは違い、色々な場面に適応できるような装備が売られているのが特徴だ。元の世界でいうと登山用品店のような専門店がイメージに近いかもしれない。
俺たちは防寒装備のコーナーを見にいく。ふわふわの毛皮の、明らかにあったかそうなコートやあたたかい裏地のついたズボンなどが売られている。デュークスバリーに行くにはどのくらいの防寒が必要なのか分からないため、店員さんに聞くことにした。
「すみません、デュークスバリーに行きたいんですが、どれくらい防寒すればいいですかね?」
「デュークスバリーですか?それなら…そうですね、今のお召し物に1枚上着を羽織るくらいでよろしいかと思います。おすすめはこちらのメーカーのこの商品で…」
と、流れるように商品説明をしてくれた。俺たちはそれに流されるまま上着を1枚ずつ買い、店を後にした。
「じゃあ、出発しましょうか!いざデュークスバリーへ!」
ダーシーが明るく言う。エレナを励まそうとしているのだろう。エレナも気を取り直したようで、買ったパンを齧りながら頷いた。
「ええ、行きましょう。【ペルディダ】の根城に」
格好つけたつもりのようだが、口の端についたパン屑で台無しだ。この自称女神、そういうところがある。
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さて、俺たちはデュークスバリーへ向かう旅路についた。デュークスバリーへの道は途中までは綺麗に舗装されているようで、歩いて行くのにも大して苦労はしないようになっているようだった。とはいうものの、デュークスバリーはさほど大きな都市ではないらしい。
(だからこそ【ペルディダ】のような反社会組織が牛耳るにはちょうどいいスケールだったんだろうね)
「なるほどな」
「マコトの見解は当たっていそうね。小さな都市なら握ればいい権力も分かりやすいでしょうし」
(小さいからこそ心臓部を握って仕舞えばあっという間…だったのかもね)
それにしても、と俺は声をあげた。
「カボチャの種のパン、美味いな」
俺は朝食のパンを食べながらてくてくと歩いていく。こっちの世界に来てからの旅で歩くのには随分慣れた気がする。基本徒歩移動なため、慣れざるを得ないというのが実情だが。
「リン…ひとくち…」
エレナが今まで見たことないような上目遣いでおねだりしてきた。
「はいはい。そんなお願いの仕方しなくても一口くらいならやるって」
俺はパンをちぎりエレナに寄越す。エレナは嬉しそうにパンを口に運び、ニコニコとして食べた。
「カボチャの種のパン、美味しいわね!ナイスセレクトだわ、リン!」
「お褒めに預かりどうも。エレナは本当に食べ物が好きだな」
「だって私の世界にいた頃にはこんなに色々なものを食べられなかったもの!」
「なるほどな」
確かに、あの空間には食べ物がある様子はなかった。
「エレナはリンと出会うまで何をしていたんだ?」
「世界の情勢を眺めていたわよ。今までは介入するまでもなかったから本当に眺めていただけだったけれど」
「…やはり女神なんだな…」
「なに、ジャレド、私を疑ってたの?」
「だってこんな食い意地のはった女神がいるとは思わないだろう。きみはかなり俗っぽいし」
「ぐ…ま、まあ否定はしないわ…」
エレナが見事に言いくるめられているのを見て、はははと声をあげて笑うとエレナから冷たい視線が飛んできた。エレナが俗っぽいのは事実だと思うのだが。
「リンだって勇者の割にへなちょこだって言われたら嫌でしょう?そういうものよ」
「そうか…なんか悪かったな」
なんとなく分かるような分からないような言い分で丸め込まれ、謝った。多神教の神話なんか神様が俗っぽいのなんてよくあることだからそんなに気にすることじゃないと思うのだが。というか、この世界の宗教事情はどうなっているんだろう?女神が受け入れられているということは多神教なのは間違いないと思うが…。
「なあエレナ、この世界ってどういう宗教観なんだ?」
「あら、そう言えば説明してなかったわね。この国…ウェンセスラス王国では主神デネルを頂点としたギリガン神話を元にしたギリガン教が主に信仰されてるわ。これは多神教ね。リンのいたところも多神教なんでしょう?理解はしやすいと思うわ」
「俺の国は多神教というか…なんでもありというか…いやまあそれはいいか、そうなんだな」
「隣国のモルトハウス共和国では唯一神ジュリオルを信仰するキアラン教が幅を聴かせているわね。隣国で私女神です、なんて言ったら吊し上げられるわ」
「なかなか過激なんだな」
「一神教が宗教面で過敏になるのは致し方ないわね。問題はモルトハウス共和国がキアラン教を広めようとしているところなんだけれど…」
「あの、エレナさん。エレナさんは女神…ってことはデネルさまにお会いしたことがあるんですか?」
おずおずとダーシーがエレナに尋ねる。確かに、自分の信仰している神様に会ったことがあるかもしれない人物がいたらかなり気になるだろう。
「デネルなら会ったことあるわよ?」
「え!ほ、ほんとですか!?」
「嘘をつく意味がないじゃない。おおらかで優しいおじさんだったわ」
「お、おじさん…」
仮にも主神をおじさん呼ばわりはどうなんだろう。そう思いつつも、特に口を挟むことでもないかなと思い黙っておいた。
「じゃ、じゃあウィスラーさまとか…ナン・メルさまとか…!」
「会ったことあるわね。取り立てて仲がいい訳ではないけれど」
「凄い…!エレナさんって凄い女神さまなんですね!」
「そうかしら?知り合いが凄いだけで私はそうでもないわよ」
エレナが褒められすぎて珍しく謙遜している。というか、エレナは本当に女神だったんだな…。
「あらリン、何か言いたいことがあるのかしら」
エレナは俺の表情を目敏く見分けてくる。
「いや、特に何もない」
(エレナさんって凄いんだなって思ってただけだよ)
「…こうも褒められると照れるわね…」
エレナは居心地悪そうに頬をぽりぽり掻いた。少し顔が赤くなっている。
「にしても、そんな反応をするなんてダーシーはギリガン教の熱心な信徒なのかしら」
「親が結構信心深くて…その影響ですかね」
「なるほどね」
「ジャレドはどうなんだ?」
「宗教みたいな腹にたまらないものは信じていないな」
「ふふっ。ジャレドらしいわね」
ジャレドのそっけない態度に逆に安心したのか、エレナは少女らしく可愛らしく笑った。そうして、俺たちはそんな会話をしながらデュークスバリーへの旅路の1日目を終えたのだった。