「あなたはね、特別な力を持つ勇者なのよ」
…何を言っているんだ、この少女は。そもそもからして、これが現実なのかどうかすら怪しい。死の間際に夢でも見てるのか?そう思い、頬をつねってみると、確かに痛い。現実かよ。
「なにをしているの?」
「ちょっと現実と向き合ってたところだ」
「あらそう」
少女…自称女神のエレナはコロコロと笑う。鈴が転がるようなその声はとても美しいが、今の気が立っている俺にとっては神経を逆撫でするものでしかなかった。笑い事か?こちらからすれば笑えることでは無いのだが。それに…
「死に損なったのか、俺…」
その現実が重くのしかかる。最後の頼みの綱であった死さえ取り上げられた気分だ。本当に、最後の手段だったのだ。覚悟を決めて、両親や友人たちへの懺悔を抱えつつ、やっと出した答えだったのに。それがよりにもよって世界を救えだの、最早笑えてくるまである。
「…こんな死に損ないに何が出来るってんだ」
「あら、そう悲観しないで」
消沈する俺にエレナはそう言うと、俺の身体の近くをタップした。すると、俺の目の前に先ほどエレナが展開したようなディスプレイが表示される。
「あなたは伝説の職業に適性のある、選ばれし者なの。」
「伝説の職業…?」
「伝説の職業っていうのはね、この100年間誰も適性を持たなかった職業のことを言うのよ。次は、職業欄を見てみて」
「…職業欄」
ディスプレイをざっと見ると、どうも俺のステータスやら何やらが表示されているようだ。その中に、確かに職業欄があった。しかし…
「2つ職業が書かれているが」
そう、そこには2つの職業が書かれてあった。名前は【大地の勇者】と【天空の賢者】。なにやら説明らしきものがうじゃうじゃと書かれてあるが、どう考えても両立できるような職業ではなさそうなのに、なぜ2つ表示されているのだろうか。
「ああ、それはね」
エレナはニコニコとした顔をやめて、真剣な眼差しで俺を見た。
「貴方の魂に、弟さんの魂が融合しているからよ」
「…は」
どういうことだ。訳がわからない。魂が融合している?弟は死んだはずだ。だからこそ俺は自ら死を選んだのだから。
「混乱するのも仕様がないわ。でも貴方、弟さんの声が聞こえるでしょう?」
「…ああ」
「おそらく貴方たちが事故にあった時、双子で魂が近い存在っていうのもあったのでしょうけれど、弟さんの抜けた魂が偶然貴方の体に入り込んだのね」
「…そんな、まさか…」
最近ではすっかり無視することが日常になっていたが、俺の頭を悩ませ続けていた真の声は、魂が融合していたからだった…ということか。すると、ちょうどタイミングを見計らったかのように真の声が聞こえた。
(兄さん!聞こえる!?)
その声の明瞭さに驚く。今まではこんなにはっきりとは聞こえなかったその声に、その懐かしさについ鼻の奥がツンとする。
「今、弟の声が明確に聞こえたんだが」
「それはきっと貴方がいた世界とは世界の作りが違うからね。私たちの世界では魂をとても大事にするから、魂の存在も明確なのよ。」
なるほど、分かったような分からないような説明に曖昧に頷きつつ、真の声に返事をすることにした。
(聞こえてるぞ、真。久しぶりだな)
(やっと聞こえたんだね、兄さん。ずっと待ってたよ)
真には悪いことをしたなと頬を掻きつつ、エレナに向き直る。
「で、俺と真2人分の魂があるから職業も2つってわけか」
「そういうこと。今の貴方たちは表に出る人格を変えられるし、その際に職業も変わるってわけね」
「…真が生きかえるってことか…?」
「厳密には違うけど。でも、それとは別に生き返らせる手段はあるわ。」
俺の食いつきを見て、エレナは今までと打って変わって悪そうな笑みを浮かべる。見事にしてやられている気はするが、こちらからすれば藁にもすがる思いだ。仕方あるまい。
「私には分身を作る力があるの。この体もその一つ。」
「…それが真を生き返らせるのにどう繋がるんだ?」
「要はね、弟さんの体も作ってあげられるってこと。そこに弟さんの魂を入れてあげれば、弟さんを生き返らせることができるわ。」
「…!」
そんな。そんな上手い話があっていいのか。俺は一度失くしたものを取り戻せるのか。歓喜と狼狽、疑心が混ざり合って俺は何も言えなくなる。
「でも、タダでとは行かないわ。分身を作るのに素材が必要だし、弟さんの魂は弱っているから、その強度を上げるための薬も必要。魂の強度が足りないと魂を移す時に壊れてしまうから。それになにより…」
「なにより、なんだ」
エレナはふふっと笑ってくるりとターンをする。シンプルなローブが風を纏って広がり、とても美しい。それはまさに女神という言葉が相応しい姿だった。
「私の協力が必要」
つまり。
「世界を救え…ということか。」
「話が早い人は好きよ。」
エレナはニコニコと笑う。底知れない少女だ。少し恐怖を覚えつつも、俺の答えは決まっていた。
「世界を救えば、弟を生き返らせてくれるんだな」
「ええ、約束するわ」
なんなら誓約書でも書きましょうか、とエレナは茶目っけたっぷりに言う。ふと、頭の中で真の声がする。
(兄さん、僕のために危険な橋を渡らなくても…!)
(真、俺が決めたことなんだ。協力してくれ)
(…仕方ないな。昔から言い出すと聞かないんだから。)
エレナは俺たちの様子を見て、パンと手を叩き、
「さて、世界救出の旅に出ましょうか」
と言った。
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「と言っても、どういう危機が迫ってるんだ?」
とエレナに疑問を投げかける。世界の危機だなんてスケールの大きいこと、そうそう起こることではないだろう。それがどう言った種類のものなのか知らなければ、手の打ちようもないというものだ。
「この世界にはね、【喪失者】と呼ばれる存在がいるの」
「【喪失者】…?」
「そう。この世界では皆職業親和性というものに頼って職業を選択するのだけれど、どんな職業にも適性がなかった人達のことよ」
「…それは大変なことだが、世界の危機と何の関係があるんだ?」
「【喪失者】は古来より不吉な存在として遠ざけられてきた歴史があるわ。でも近年、その【喪失者】たちをまとめ上げて世界の秩序を壊そうとする組織が出てきたのよ。」
「…」
「それが【ペルディダ】。伝説の職業のひとつ、【混乱の無序者】であるロックスが率いる組織。」
「その人たちを倒すのが主たる目標…ってことか」
「ええ。【ペルディダ】を壊滅させることが世界の救出に繋がると言ってもいいでしょう」
エレナは真剣な顔でそう言い切った。自称女神であるからして、言うことに間違いは無いのだろう。問題は…
「【ペルディダ】はどのくらいの規模なんだ?」
「それがね、実態は不明なの。なんて言ったって【喪失者】たちは見つかった端からみんな追い出されてしまうから、実数がわからないのよ」
それは厄介だ。それにそもそも、俺には対人戦闘の経験もないし、この世界のイロハも分かっていない。
「安心するといいわ。旅には私も着いていくから」
「えっ」
意外な申し出だ。女神ってポジションからして、てっきり後ろでふんぞりかえっているのかと思っていた。
「この世界…アルトレア大陸を救うのになりふり構ってられないわ。大したことはできないけど、分からないことに答えることくらいはできるから」
「それだけで充分ありがたい話だけど…」
「対人戦闘は慣れるしかないわね。【大地の勇者】の説明を読んでごらんなさい」
言われるがまま【大地の勇者】の職業説明欄を読む。
「感覚が極限まで高まり、地面に立っている限り体力が衰えない…認識するものが武器として握られると、その性能が向上する…例えそれが枝であっても鋼鉄以上の硬度を持ち、戦闘能力を高めたり他人を守ったりする魔法を使用できる…」
何だこのチート職業。木の枝で戦えるってことか?ちょっとふざけすぎじゃないだろうか。
「ね、安心したでしょう?よっぽどの事がない限り貴方は負けないわ」
「確かにそうかも知れないが…」
ついでに【天空の賢者】の方も確認してみる。
「なになに…晴れた日には全能力が大幅に向上し、ほぼ無限の魔力を持つ…全ての魔法を使用でき、その効果は通常の職業よりも顕著に向上する…」
これまたとんでもないチートだ。わざわざ異世界から喚び出してくるだけのことはある。
(僕の方も戦闘に問題はなさそうだね。晴れた日っていう制限には気をつけないといけないけど…)
真の声だ。確かに、制限付きなのが少し気になるところだが、晴れじゃない日は俺が戦えばいい話だ。さして問題はないだろう。
「さあ、心の準備は出来た?アルトレア大陸に行くわよ」
「…ここはアルトレア大陸じゃないのか?」
「ここは私が作った隔絶世界、【閉じこもりの世界】。アルトレア大陸とは断絶されているわ」
「そうなのか…分かった、行こう」
「それじゃあアルトレア大陸への扉を開くわね。」
そうエレナが言うと、何もなかった空間に突如として扉があらわれる。神々しいその扉が開くと、森の中につながっているようだった。
「さあ、行きましょう。救世の旅へ」
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「ここ、どこかしら」
ズコッと転ける。知らないのかよ。
「とりあえず街に行きましょう。装備を整える必要があるわ。」
森は鬱蒼としていて、果てしなく続いているように見える。なにか獣道でもいいから見つけることが出来たらいいのだが…。そう思った時だった。
「やめてください!」
女の子の悲鳴が聞こえた。左の方だ。何か事件かも知れない。一も二もなく駆けつけると、少し開けた場所で、女の子が3人の男に囲まれて、今にも襲われそうになっているところだった。
「その子から離れろ」
出来る限りドスを効かせて威圧する。男たちは俺の存在に気がついたらしい。舌打ちをすると、腰に下げている短剣を抜いた。明らかにゴロツキといった風情の3人は、俺のデカい図体を見て少し怯んだようだったが、俺が手ぶらなのを見てすぐに気を取り直し強気に出てきた。
「痛い目見たくなかったらどっか行ったほうがいいぜ兄ちゃん」
そう脅してくる。俺は落ちている木の枝を手に取り、構えると、3人の男たちは爆笑しはじめた。
「こいつは傑作だ!そんなもんで俺らに勝つ気かよ!」
「頭おかしいんでちゅか〜?」
べろべろばあとこちらを煽ってくる。とりあえず、お試し戦だ。ぶっちゃけ短剣は怖いが、【大地の勇者】の職業補正のおかげか負ける気はしない。
クイクイッと手をこまねくと、今度は激情したのか男たちは顔を真っ赤にして襲いかかってきた。
まず先頭の男の短剣を木の枝で受け止めて、腹に蹴りを入れる。その男がよろめいている間に右から来た男の喉に木の枝を突き、呼吸を妨害する。ガフッと言って倒れ込んだ男の頭に蹴りを入れて1人仕留める。左から来た男は短剣を腰の位置で持ち突撃してきたので避け、無防備な背中に一撃を喰らわせる。よろめいていた男が体勢を立て直して切り掛かってきたので、短剣を持つ手を狙い木の枝で打撃する。短剣を落としたところで顔に肘打ちして仕留める。最後の1人は戦意喪失していたので、金的するふりをして気絶させた。
「あら、中々の手筈ね」
エレナの褒め言葉が聞こえる。心臓がバクバクしているのが聞こえる。かなり緊張していたようだ。うまく事が運んで良かった。
「ねえ貴女、大丈夫かしら」
エレナは女の子に声をかけに行ったようだ。襲われかけた女の子のところに俺のような図体のでかい男が行ってもいいものか悩み、静観することにした。女の子は亜麻色の髪をおさげにしていて、そばかすが目立つ顔をしていた。この世界の生活水準がわからないが、身なりからしてそれなりに裕福そうな印象を受ける。歳の頃は18くらいだろうか。
「だ、大丈夫です…ありがとうございました」
女の子はぺこぺこと頭を下げている。ふと、何か女の子に違和感を覚えた。
「あら貴女…もしかして…」
「は、はい!ごめんなさい!【喪失者】です!ごめんなさい!」
「いえ、そうではなくて…」
エレナは何か言いかけたが、結局やめたようだった。女の子はひたすらあたふたしている。【喪失者】というのは、そんなにもへりくだらなければならないものなのだろうか。エレナは話を切り替える事にしたようで、女の子の目を見て安心させるように笑いながらこう言った。
「ねえ、お名前を聞いてもいいかしら」
「あ、はい!私はダーシー、ダーシー・グラッドストーンです!」