かつてタージュは神殿の巫女だった。
神殿に祀られているのは、第一の神。西方大陸の創造神である。
しかも、神殿には聖遺物が所蔵されていた。第一の神が世界を潤すために使ったという、聖杯だ。水魔法の神髄がそこにはあると言われていた。
タージュは水の魔法を学び修めたこともあり、聖杯に干渉できうる者として、神殿に仕えることになった。神殿がタージュの能力を認めたということだ。
実際、タージュには才能があった。彼女は、聖杯が帯びた魔力の一部を取り出すことができた。ほんのわずかな量の魔力だが、第一の神がこめたものだ。奇跡のような御業も、その魔力で可能だった。
タージュも自分の能力に誇りを持っていた。上位の神官たちに認められ、宮廷の魔術師たちもかなわない魔法を使える。そのことがタージュに盛名を持たせた。
つまり彼女を称える言葉ができたのだ。それが「聖杯の巫女」である。巫女のもつ神秘的な雰囲気を言い当てたような称号だった。
あるとき、タージュはひとりの巡礼者を助けた。行き倒れた巡礼者だった。
巡礼者は、美しい男だった。真珠色の髪に、淡青色の瞳。人間であるのにまるでエルフのような美しさを持つ彼は、ただの貧しい巡礼だと名乗った。タージュは熱心に、その巡礼者の世話をした。
巡礼者は西方大陸中の聖地を旅したと語った。タージュに世界の広さを語った。
山の高さ、湖の広さ、森の深さ、海の青さ――王都と神殿しか知らなかった巫女は、巡礼者のたどってきた旅の話に夢中になった。神殿の本で読んだ世界の広さを、巡礼者の話と照らし合わせては楽しんだ。
「いつか私も、旅に出たいですね」
タージュが巡礼者にそう語ると、巡礼者は「出られるとも」と答えた。自分の途方もない夢を肯定してもらい、タージュはますますその巡礼者に夢中になった。
「美しいひと、私のひと……」
タージュは巡礼者に恋をしていた。巡礼者もその想いに応えた。密やかだが情熱的な恋だった。
タージュは巡礼者の望みをなんでも叶えたくなった。
「あなたはなにを見たくて巡礼しているのですか?」
そう巡礼者に尋ねたタージュ。巡礼者は答えて言った。
「旅の最後に――聖杯を、見てみたい」
聖杯を見せれば、彼の旅は終わる。彼の旅が終われば、タージュとともに在れる。タージュはそんな言葉に絡め取られた。神殿の最奥にある聖杯のもとに、密かに巡礼者を連れて行った。
数日後、巡礼者が姿を消した。タージュのもとから、忽然と。
――聖杯が失われた。
間もなく、神殿は大騒ぎになった。大切に秘蔵されていた聖杯もまた、忽然と消えた。捜索が行われ、尋問が行われ、タージュだけでなく多くの神官や巫女たちも問いただされた。
タージュは巡礼者のことを話さなかった。冷静に考えれば、彼に裏切られた可能性が高い。それでもタージュは、巡礼者をかばって話さなかった。
タージュは神殿を追放された。聖杯消失の責任を問われた末の処分だった。
はからずも、タージュは旅に出ることとなった。流浪の旅だ。大陸の東へとあてどもなく旅をした。途中、タージュは魔法を使って人助けをした。その過程で彼女の来歴を知るようになった者も、幾人かできた。
――聖杯の魔女タージュ。
彼女はそう呼ばれるようになった。聖杯の神殿からやってきた、女の魔法使い。そういう意味だった。
半年の旅ののち、タージュはレハームの森に居を構えた。そうせざるを得ない事情ができていた。