閉じてしまった目が、開けられない。
聖杯をキャッチした勢いで、地面に倒れた。思わず目をつぶってしまった。
遠くで、大量の水が砕ける音がした。複数の叫び声がする。きっとジェイドたちだ。トオミさんが起こしたあの波に飲まれれば、彼らとてただでは済まないだろう。
自分はまだなんともない。早く目を開けないと。開けて、みんなを助けないと。
怖い。目が開けられない。
手の中に、冷たい器の感触がある。華麗な装飾の、フタのある器――聖杯。第一の神が世界を潤せし、聖遺物。魔王が神となるための、キーアイテム。師匠タージュが称されし、現世に遺る神の器。
ああ、お師匠様。タージュお師匠様。
わたしは、あなたのことを知らなさ過ぎる。いまになってそう思う。
幼い頃は、実の母親のように慕った。お師匠様から「あなたは庵の前に捨てられていた」と聞かされたときは、それなりにショックだった。けれどもお師匠様の態度はいつも変わらなかった。
つまりは――愛情を注いでくれた。
文字を教えてくれた。本を読んでくれた。魔法を解き明かしてくれた。薬の作り方を指導してくれた。ともに薬草を摘み、ともにお茶を淹れ、ともに笑い、ともにいてくれた。
わたしの望んだことを、なんでも教えてくれた。
ゆえにわたしは、あなたのことを知らずに育ってきた。
そんな必要がなかったから。いまが幸せだったから。
お師匠様は、神殿に仕える巫女だったそうですね。聖杯を収めた神殿で、なにが起こったのでしょう。お師匠様はなぜ追放されたのでしょうか。
もう一度会えたら、あなたのしてきた冒険を聞きたいです。お師匠様。
わたしにとって、あなたは世界です。お師匠様。
どうかわたしに、勇気をください。
目を開ける、小さな小さな勇気を――。
つづく