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第1-3話 王の矜持(3)

 ルウルウは不思議な女性と相対していた。

 女性――トオミと名乗った女性は、上等なドレスをまとっている。ドレスには、漆黒の布地をふんだんに使ってある。おまけに黒い紗のベールをかぶっている。まるで世間で「喪服」と呼ばれる格好をしている。


 彼女が座すテーブルには、赤い茶の入ったティーセットがある。ティーセットは淡いアイボリー色を地色にして、淡い青色の模様が入っている。赤い茶からは、蜂蜜の混じった香ばしい匂いがする。


 トオミはルウルウに、茶を飲むように促した。

 ルウルウは意を決して、カップを手に取る。温かい。甘い香りがする。ゆっくり口に近づけて、ほんのわずかな量を口にする。


「甘い……」


 思わず、ルウルウはつぶやいた。茶にはたっぷり蜂蜜が溶けていて、気持ちをほぐす甘さが舌に乗る。もっと飲みたい、と思ってしまう。


「おいしい?」

「……はい」


 トオミが尋ねる。ルウルウは素直にうなずいた。ルウルウは名残惜しさを感じつつ、カップをティーソーサーに置く。カチャ、と軽い音がした。


「トオミさん、あなたは……魔王をご存知ですか?」


 我ながらなんと間抜けな質問だろう。ルウルウは内心そう思った。だがそこから話を始めたいと思った。


「知っています」


 トオミの答えはシンプルだった。


「月と星が完全に並ぼうとしています。ゆえに魔王は呼んだのですよ、ルウルウ」


 トオミはルウルウを深く知っている。目は固く閉じられているのに、まるでルウルウの姿が見えているかのようだ。


 トオミの姿かたち、たたずまい、言動――どれを見ても、高位の魔族だろう。魔王の側近かもしれない。ルウルウは気を引き締める。居ずまいを正したルウルウに、トオミが言う。


「魔王はずっと楽しみにしていました、あなたに会うことを」

「どうして、ですか?」

「もちろん、あなたがタージュの縁につながる者ですから」


 トオミがタージュの名を出す。ルウルウはドキリとした。トオミの口調は、まるで長い友人の名を呼ぶようだったからだ。


「トオミさん、お師匠様を知っているのですか!?」

「ええ、ルウルウ」

「お師匠様は……やっぱり、聖杯を守っているのですか? 魔王のところにいる?」


 ルウルウが前のめりになって尋ねる。トオミは柔和にほほ笑んで、クスクスと笑った。


「あわてないで、ルウルウ。魔王のことを知らずして、タージュのもとへは行けないでしょう」

「あ……」

「魔王はまもなく、神になる」


 トオミの言葉に、ルウルウは何度目かの心臓を打つ衝撃を感じる。トオミが続ける。


「神になるために、すでに多くの魔族を召し上げ、その生命を聖杯に注ぐ準備をしています。ですが聖杯にはいま――フタがされている」

「フタ……」

「ええ。聖杯の魔女タージュのことです」


 トオミはタージュのことも知っているらしい。

 ルウルウは思い出す。ハーフエルフの賢者アシャが言ったことを。


『タージュはな、いま聖杯の守護霊となっとる』

『魂だけを離し、聖杯に宿る。まるで鍵のかかった宝箱のように――』


 いまは遠き山で出会った、老賢者を思い出す。千里眼を持つ、彼女の言葉がルウルウの頭の中に響いた。


 トオミの言葉とアシャの言葉が重なる。タージュが聖杯の守護霊となって、魔王から聖杯を守っている。そのことはどうやら事実のようだ。


 そして、ルウルウは確信する。トオミは聖杯のありかも知っている――と。魔王と聖杯のことを聞き出せれば、ルウルウたちにとって有利になる。


「魔王は……神になって、どうするのですか?」

「悪意をばらまきます」

「どうして?」

「楽しいのですよ、なにも持たぬ魔王にとって唯一の楽しみなのです」


「なにも持ってない、とは?」

「そのままの意味です。彼は魔族に生まれてこのかた、孤独でした。そして孤独を自覚しました。いまや悪意をばらまくことだけが、孤独を知った彼を慰める手段です」


 トオミが目を閉じたまま、ルウルウに顔を向ける。


「ですが確信しました。ルウルウ、あなたは――」


 トオミが何か言いかけたとき、彼女はスッと茶の入ったカップを掲げた。カップ内に残っていた茶が、フルフルと揺れ――人間の体ほどの大きさに膨れ上がり、カップから漏れ出る。茶は赤茶色のスライムに転じて、トオミの左隣に壁を造る。


「!?」


 スライムの体に、矢が突き刺さる。スライムは震えたが、矢を完全に防ぐ。


「あ……ランダさん!?」

「ルウルウ! 大丈夫かい!?」


 四阿あずまやから十数メルテ離れたところに、ランダの姿がある。構えた弓に矢がない。放ったばかりの様子だった。


「行きなさい」


 トオミがスライムに命じた。次の瞬間、スライムが針のように鋭く尖り、矢が放たれた方角へと飛んでいく。


「――ッ!」


 スライムの針と、金属がぶつかる音が響く。男が構えたショートソードに、スライムの針が遮られる。スライムは剣に巻き付こうとした。そこに棍棒が振り下ろされ、スライムは核を破壊される。


「ジェイド! ハラズーンさん!」


 剣を持つ男――ジェイド。棍棒はハラズーンのものだ。ふたりは連携してスライムを沈黙させる。そしてルウルウに向き直る。


「無事か、ルウルウ!」

「ふう、えらく歩かされたぞ。なんだ、なんだ、ここは?」


 ハラズーンが軽口を叩く。ランダ、ジェイド、ハラズーン――ともに冒険してきた仲間たちだ。


「カイルティプシ、あなたの手引きですか?」


 トオミが空になったカップを置く。彼女が顔を向けた先、ジェイドたちの後方にカイルもいる。


「ルウルウ、そいつから離れろ!」


 カイルが前に進み出た。


「そいつは、そいつが――!」

「残念です」


 トオミの手元にあったカップが、変化している。

 言うなれば、西洋大陸風のカップから、異国風の器に見た目が変わっている。白地の表面に、水の流れを示す大仰な浮き彫りと、水の輝きを示す淡青色の宝石があしらわれている。持ち手はなくなり、深さが増している。そして――器の大仰さに対して、シンプルなデザインのフタがされている。


「……!」


 ルウルウは直感した。


「聖杯――」


 そうつぶやいたルウルウに、トオミが口角を上げた。笑っている。


「そら」


 トオミがフタのされた器――聖杯をポンと投げ上げた。聖杯が宙を舞い、ルウルウは駆け出す。聖杯を受け止めなければ、と思う。あれが地面に落ちれば、悪いことが起こる――と予感する。


 宙を舞った聖杯と動き出したルウルウに、その場にいる者たちの視線が囚われる。トオミの口元が、そのスキを突いて動く。


「水よ、この世にあまねく満ちる大海となるものよ」


 トオミの唱える呪文は、しくもルウルウと同じものだ。


「我が願いに応え、波濤はとうたる奇跡を示せ」


 トオミは立ち上がり、両手を広げた。彼女を中心として、膨大な魔力が放たれる。

 四阿のそばにある小さな池に、変化が出た。中央から水がゴボリ、と盛り上がる。盛り上がった水は小山ほども大きくなり、全員の上に影を落とす。


「――っ、は!」


 ルウルウは宙を舞っていた聖杯をキャッチした。足がもつれて、聖杯を抱えて倒れる。それと同時に――。


「ゆけ」


 トオミが指を示す。うず高く盛り上がった水が、ジェイドたちのほうへと倒れる。ジェイドたちが退こうとするが、膨大な水は容赦なく彼らの上へと落ちかかった。

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