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第1-2話 王の矜持(2)

 ルウルウは目を開けた。まぶしい。あたりが明るいのがわかる。寝転がっていた上半身を起こす。


「え……」


 ルウルウの周囲は、静かな花園になっていた。春に咲く小花を植えた花壇。青々とした園芸種の草木。透明な水をたたえる池。白い小石を敷いてつくった小道。――田舎の田園風にあつらえた、花園だ。空は青く澄み渡っている。太陽の柔らかな光が、そよ風に揺れる花園を照らしている。


「ここは……? う、ううん、皆は!?」


 ルウルウはハッとして、あたりを見回した。ジェイドたちの姿がない。ルウルウはたったひとりになっていた。


「どうしよう……! 途中で気を失ってたから……」


 どのくらい時間が経ったのだろうか。地底湖にいた時間もわからないのだ。もしかしたら、魔王の居所に向かう時を逸してしまったかもしれない。


「あ、でも……」


 ルウルウは思い出す。カイルは「魔王が呼んでいる」と言っていた。ならばこの庭は、魔王の居所なのではないだろうか。そう考える。ならば自分がたったひとりである意味も、あるのかもしれない。


「行こう……! 行かなきゃ!」


 ルウルウは自分を奮い立たせ、立ち上がった。幸い、杖は手元にある。タージュが残してくれた、護符のついた杖だ。それを握りしめて、地面に立つ。あたりを見回すと、ここは袋小路のようだ。先へ進むには、足元の小道を前に歩くしかなさそうだった。


 ルウルウは歩き出す。白い石を敷いた道を歩いていく。植えられた花のかすかな香りが、鼻先をかすめる。甘い、蜜のような香りだ。暖かく明るい空間を、花の香りが漂う。


 庭はところどころ、背の高い生け垣で区切られている。ひとつ生け垣を抜けると、また別の小庭に出る。植えられた花の色が、絶妙なバランスをなす美しい小庭だ。


「…………」


 ルウルウの心の中を、不安が満たしていく。小庭は美しい。天気もよい。風はいい匂いがする。死した人々が行く天国という場所があるなら、こういう感じだろうか――とさえ思える。


 だが静かすぎる。人の手で造られた雰囲気があるのに、人はいない。魔族も魔獣もいない。もちろん仲間たちもいない。不安が煽られていく。


「……あ」


 いくつかの小庭を抜けて進んだ先。

 ルウルウはすこし広さのある庭に出た。見事な大輪のバラが咲いている。ひとつ咲かせるのも大変であろうバラが、何百輪と咲いている。バラ園だ。


 バラ園の中心に、四阿あずまやがある。庭で休憩するための、小規模な建屋だ。


 そこに――人影がある。

 ルウルウはドキリとした。四阿までまだ距離があるが、足がすくんでしまう。声を上げて誰何すいかしたいが、言葉が出ない。誰だ、と叫びたいのに声にならない。


「……っ」


 ルウルウは杖を強く握った。師匠タージュの残した杖だ。タージュの祝福がこめられた杖に、ルウルウは自分の頭を当てる。自分を落ち着けて、思考をクリアにしようとする。


「落ち着いて……落ち着いて……」


 いま頼れるのは、自分しかいない。幸い、だるさはない。肩の痛みも不思議と引いている。ルウルウはおのれを奮って、前へ足を出す。一歩、また一歩と四阿へ近づいていく。


ぞ?」


 四阿にいる人影が、ルウルウに話しかけてくる。誰であるか、と問われる。

 ルウルウは迷った。返答すべきか否か。相手が何者かもわからない。もし返答して戦闘になれば、勝ち目はないだろう。ルウルウはひとりなのだから。


 それでも――。


「ルウルウ……聖杯の魔女タージュの弟子、ルウルウです」


 ルウルウは答えていた。

 人影がルウルウのほうを向く。


「あ……」


 それは女性のようであった。真っ黒なドレスをまとい、真っ黒な紗のベールを被っている。ベールは透けており、かの女性が淡い髪色であろうことは推測できた。女性の目は固く閉じられている。


 美しい女性だった。整った容貌は陶器の人形のようだ。きめ細やかな肌を、漆黒のドレスで包んでいる。ドレスは黒い布に、黒い糸でびっしりと刺繍がされている。ドレスの凝った上品な仕立てからすると、かなりの貴人だ。そんな女性が、四阿に据えられたテーブルの前に座っている。


「タージュの弟子。ルウルウ」


 女性は繰り返した。そして右手をスッと前に出す。いつの間にか、女性が座っている対角線上に、椅子が置かれている。ルウルウに座れ、ということだ。


 ルウルウは決意を胸に、椅子に座った。テーブルを挟んで、美しい女性と対峙する。


「……あなたは?」


 ルウルウは尋ねた。女性がルウルウの声のするほうを見る。相変わらず、女性の目は閉じられたままだ。


「トオミ」


 女性はそれだけ言うと、黙った。ルウルウの反応をうかがっているようだ。


「……トオミ、さん」


 ルウルウはそう繰り返した。本当の名のようには聞こえないが、この女性にはあれ以上の問答をしても無駄だと直感した。おそらく女性は、尋ねれば尋ねるほど、違う名を出してくることだろう。なぜか――そう思えた。


「…………ふふ」


 女性――トオミはふと笑い出した。クスクスと軽く笑い、そしてルウルウのほうを向く。

 ルウルウはすぐ前から、馥郁ふくいくとした香りが立つのを感じた。いつのまにか、自分の目の前にティーセットが置かれている。赤い茶が満ちた、上品な茶器が置かれている。


 赤い茶は温かいようで、湯気が立っている。茶の苦い香りに、甘い蜂蜜の香りが重なる。どうやら茶の中にすでに蜂蜜が入っているようだ。


「どうぞ、召し上がれ」


 ハスキーな響きのある声で、トオミが促す。トオミの前にも、赤い茶の入ったカップが置かれている。給仕の気配もなかった。本当に「いつのまにか」としか言いようがない。


 ルウルウは迷った。口にしてもいいものだろうか。もし毒が入っていたら――と思うが、ひどく喉が乾いて仕方がない。甘い茶の味を思い出して、固唾を飲んでしまう。


「わたくしも、いただきます」


 トオミはそう言うと、自分のカップを取った。カップに口をつけて、中身を飲む。カップを置いて、ルウルウに語りかける。


「毒など入っていませんよ」


 内心を見透かされ、ルウルウはドキリとした。

 トオミはまたクスリと笑った。そして右手を軽く差し出した。ルウルウに「飲め」と言っているジェスチャーだった。


 ルウルウは意を決して、カップを手に取った。

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