ルウルウは目を開けた。まぶしい。あたりが明るいのがわかる。寝転がっていた上半身を起こす。
「え……」
ルウルウの周囲は、静かな花園になっていた。春に咲く小花を植えた花壇。青々とした園芸種の草木。透明な水をたたえる池。白い小石を敷いてつくった小道。――田舎の田園風にあつらえた、花園だ。空は青く澄み渡っている。太陽の柔らかな光が、そよ風に揺れる花園を照らしている。
「ここは……? う、ううん、皆は!?」
ルウルウはハッとして、あたりを見回した。ジェイドたちの姿がない。ルウルウはたったひとりになっていた。
「どうしよう……! 途中で気を失ってたから……」
どのくらい時間が経ったのだろうか。地底湖にいた時間もわからないのだ。もしかしたら、魔王の居所に向かう時を逸してしまったかもしれない。
「あ、でも……」
ルウルウは思い出す。カイルは「魔王が呼んでいる」と言っていた。ならばこの庭は、魔王の居所なのではないだろうか。そう考える。ならば自分がたったひとりである意味も、あるのかもしれない。
「行こう……! 行かなきゃ!」
ルウルウは自分を奮い立たせ、立ち上がった。幸い、杖は手元にある。タージュが残してくれた、護符のついた杖だ。それを握りしめて、地面に立つ。あたりを見回すと、ここは袋小路のようだ。先へ進むには、足元の小道を前に歩くしかなさそうだった。
ルウルウは歩き出す。白い石を敷いた道を歩いていく。植えられた花のかすかな香りが、鼻先をかすめる。甘い、蜜のような香りだ。暖かく明るい空間を、花の香りが漂う。
庭はところどころ、背の高い生け垣で区切られている。ひとつ生け垣を抜けると、また別の小庭に出る。植えられた花の色が、絶妙なバランスをなす美しい小庭だ。
「…………」
ルウルウの心の中を、不安が満たしていく。小庭は美しい。天気もよい。風はいい匂いがする。死した人々が行く天国という場所があるなら、こういう感じだろうか――とさえ思える。
だが静かすぎる。人の手で造られた雰囲気があるのに、人はいない。魔族も魔獣もいない。もちろん仲間たちもいない。不安が煽られていく。
「……あ」
いくつかの小庭を抜けて進んだ先。
ルウルウはすこし広さのある庭に出た。見事な大輪のバラが咲いている。ひとつ咲かせるのも大変であろうバラが、何百輪と咲いている。バラ園だ。
バラ園の中心に、
そこに――人影がある。
ルウルウはドキリとした。四阿までまだ距離があるが、足がすくんでしまう。声を上げて
「……っ」
ルウルウは杖を強く握った。師匠タージュの残した杖だ。タージュの祝福がこめられた杖に、ルウルウは自分の頭を当てる。自分を落ち着けて、思考をクリアにしようとする。
「落ち着いて……落ち着いて……」
いま頼れるのは、自分しかいない。幸い、だるさはない。肩の痛みも不思議と引いている。ルウルウはおのれを奮って、前へ足を出す。一歩、また一歩と四阿へ近づいていく。
「
四阿にいる人影が、ルウルウに話しかけてくる。誰であるか、と問われる。
ルウルウは迷った。返答すべきか否か。相手が何者かもわからない。もし返答して戦闘になれば、勝ち目はないだろう。ルウルウはひとりなのだから。
それでも――。
「ルウルウ……聖杯の魔女タージュの弟子、ルウルウです」
ルウルウは答えていた。
人影がルウルウのほうを向く。
「あ……」
それは女性のようであった。真っ黒なドレスをまとい、真っ黒な紗のベールを被っている。ベールは透けており、かの女性が淡い髪色であろうことは推測できた。女性の目は固く閉じられている。
美しい女性だった。整った容貌は陶器の人形のようだ。きめ細やかな肌を、漆黒のドレスで包んでいる。ドレスは黒い布に、黒い糸でびっしりと刺繍がされている。ドレスの凝った上品な仕立てからすると、かなりの貴人だ。そんな女性が、四阿に据えられたテーブルの前に座っている。
「タージュの弟子。ルウルウ」
女性は繰り返した。そして右手をスッと前に出す。いつの間にか、女性が座っている対角線上に、椅子が置かれている。ルウルウに座れ、ということだ。
ルウルウは決意を胸に、椅子に座った。テーブルを挟んで、美しい女性と対峙する。
「……あなたは?」
ルウルウは尋ねた。女性がルウルウの声のするほうを見る。相変わらず、女性の目は閉じられたままだ。
「トオミ」
女性はそれだけ言うと、黙った。ルウルウの反応をうかがっているようだ。
「……トオミ、さん」
ルウルウはそう繰り返した。本当の名のようには聞こえないが、この女性にはあれ以上の問答をしても無駄だと直感した。おそらく女性は、尋ねれば尋ねるほど、違う名を出してくることだろう。なぜか――そう思えた。
「…………ふふ」
女性――トオミはふと笑い出した。クスクスと軽く笑い、そしてルウルウのほうを向く。
ルウルウはすぐ前から、
赤い茶は温かいようで、湯気が立っている。茶の苦い香りに、甘い蜂蜜の香りが重なる。どうやら茶の中にすでに蜂蜜が入っているようだ。
「どうぞ、召し上がれ」
ハスキーな響きのある声で、トオミが促す。トオミの前にも、赤い茶の入ったカップが置かれている。給仕の気配もなかった。本当に「いつのまにか」としか言いようがない。
ルウルウは迷った。口にしてもいいものだろうか。もし毒が入っていたら――と思うが、ひどく喉が乾いて仕方がない。甘い茶の味を思い出して、固唾を飲んでしまう。
「わたくしも、いただきます」
トオミはそう言うと、自分のカップを取った。カップに口をつけて、中身を飲む。カップを置いて、ルウルウに語りかける。
「毒など入っていませんよ」
内心を見透かされ、ルウルウはドキリとした。
トオミはまたクスリと笑った。そして右手を軽く差し出した。ルウルウに「飲め」と言っているジェスチャーだった。
ルウルウは意を決して、カップを手に取った。