ルウルウたちは、エルフの王カイルティプシと対峙していた。
黒い岩の城の中には、無数の明かり。装飾らしい装飾のない城の中で、明るさだけが周囲を飾り立てている。灯火は、まるで闇夜に浮かぶ星のようだった。
玉座の間の奥には、当然、王が座るべき場所がある。その玉座も、黒い岩でできている。古代の巨大な巻き貝で飾った、異形の玉座であった。そこにカイルが悠然と座っている。
カイルは道化師の姿を捨てていた。白い布を幾重にもかさねたローブをまとっている。その上に真珠を連ねたアクセサリーをつけている。手元には宝石で飾った、黄金色の長い杖。彼の姿は、まるで
その場にいる全員に、沈黙が訪れていた。
「ハクーム」
口火を切ったのは、カイルだった。カイルは玉座に座ったまま、エルフの亡霊ハクームに言葉をかける。
「客人をここまで
「ははっ!」
「皆にも苦労をかけた」
「いいえ、そのような! 我らの宿願の前にはささいなことでございます!」
ハクームは嬉しそうに返事をした。空中でクルクルと回転する。
「そうか、下がれ」
「ははっ」
カイルの言葉を受けて、ハクームの姿が消えていく。
「カイル……」
ルウルウは次にかけるべき言葉を見失っていた。あまりに違う。いままで一緒にいたカイルの印象と違い、ルウルウは困惑している。
「そんな顔しないで、ルウルウ」
カイルの声は、意外なまでに優しかった。深い哀しみを帯びた、慈悲深い親のような――そんな錯覚さえ起こさせる、優しい声だった。
「ハラズーン、竜人の戦士よ」
カイルは視線をハラズーンに向けた。
「王家に連なる者でありながら、矜持のために冒険に出られるあなたに、敬意を表しよう。なかなかできることじゃない。僕もそうだからわかる」
「む……」
カイルの言葉に、ハラズーンは喉奥を鳴らした。ハラズーンはカイルの言葉に驚いたようだ。
「ランダ、辺境の弓手よ」
カイルは次に、ランダに視線をやる。
「あなたの弓は正確無比だ。その矢に助けられたことは、一度や二度じゃない。弓手の多かったエルフ族たる僕が、称賛しよう」
「……なんだい、そりゃ」
カイルの言葉に、ランダは忌々しそうに眉を寄せた。加えて、ランダは困惑しているようだった。
「ジェイド、異国の剣士よ」
ランダの次に、カイルはジェイドを見る。
「あなたの剣、あなたの技量は、ひとを守れる。ひとのために生きられるあなたに、僕はずっと尊敬の念を抱いていたよ」
「カイル……」
ジェイドの瞳に、悲しげな色が浮かぶ。カイルの言葉に、どうしようもない別離の空気を感じ取っている。
「ルウルウ、魔女の弟子よ」
カイルは最後に、ルウルウを呼んだ。
「あなたの優しさは、いつもひとを癒やしていたね。ちょっとハラハラすることもするけれど、あなたは素晴らしい魔法使いだ」
「…………っ」
ルウルウは心臓を打たれたような衝撃を感じる。カイルは本音で話している――それなのに、あまりに遠い。カイルとルウルウたちの間には、もはや埋めようのない溝がある。そう感じた。
「改めて、名乗ろう」
カイルがゆっくりと玉座から立ち上がった。杖を手に、前へ進み出る。真珠のアクセサリーが揺れて、しゃらりと音を鳴らした。
「我が名はカイルティプシ。エルフの王、輝ける少年王と讃えられし、最後の王!」
カイルの名乗りは、彼の正体を明らかにする。
「我らが宿願を果たすため、魔王の望み通りに――貴殿らの前に立ちはだかろう!」
「カイル!」
困惑を振り払うように、ジェイドが叫ぶ。
「なぜだ、と問おう。カイルティプシ王!」
「……なにから答えればよいか。僕にもわからないくらいだ、旦那」
カイルは凛と立って、目を閉じる。その佇まいにはスキがない。厳粛な雰囲気をまとったカイルに、ランダとて矢を撃ち込めない。誰も攻撃できず、カイルの言葉を待つ。
「ただ――僕の宿願、エルフの再興のためには、聖杯が必要なんだ。聖杯は魔王の手にあり、僕は彼の慈悲にすがるほかない」
カイルはゆっくりと目を開ける。紫色の瞳だ。
「見ただろう、あの膨大な数の亡霊たちを。僕を信じて、僕のために死んだエルフたちだ。彼らを再び現世に戻すには、聖杯の力に頼るほかない」
「そんなことができるのか?」
「できるさ。なにせ、魔王を神に引き上げる力を秘めた器だ」
聖杯――第一の神が、世界のための水を満たす器だ。創造神が世界を造るための水をくんだ杯だ。そこに秘められた力は、計り知れない。その力を使えば、ただの被造物を神にすることもできるだろう。
「だが――魔王の望みは、いまだ果たされていない。聖杯の魔女タージュが、聖杯を強固に守っているからだ」
カイルがルウルウを見る。
「ルウルウ、魔王はね。タージュを懐柔するために、あなたが必要なんだ。唯一の弟子たるあなたがいるなら、タージュとて魔王に従わざるを得なくなるだろう」
ルウルウは背筋が寒くなる思いだった。
「だから、皆をここで殺すつもりはない。ルウルウだけを、魔王のもとへ連れていけばいい」
「そんなことができると思ってんのかい!?」
ランダが叫んだ。
「できるとも」
カイルの言葉は、ぞっとするような冷たさと自信に満ちている。
「僕を誰だと思っている? ただの臆病な道化師、カイルのままだと思っている?」
カイルの表情は硬く無表情だ。だがそこには王者としての強靭さが秘められている。
「違う。僕は……千五百年以上を生きた、エルフの王なんだよ」
彼の瞳が、すっと細くなる。
玉座の間にある明かりたちが、揺れる。火で灯した明かりだ。縦に伸びていた火が、右横へと流れるように傾く。風だ。無数の灯火が、風によって傾いている。
「エルフは風の魔法が得意でね」
風が吹いている。カイルが語ると、風が徐々に強くなる。玉座の間に、風が渦巻き始める。灯火の芯が揺れて、風に乗ってふわりと浮き上がった。燃える火が無数に、風へと乗っていく。
「極めれば、こういうこともできるんだ」
風に乗った火が無数に集まり、空中へと浮き上がる。巨大な炎の弾へと変化する。
「全員、下がれ! 来る! 逃げるぞ!」
「紅炎の奇跡を示せ!」
ジェイドが叫んだ。カイルが杖を掲げ、振り下ろす。炎の弾となった灯火が、ジェイドたちに襲いかかる。ジェイドたちが逃げ出すと、もといた場所に炎が炸裂する。
ジェイドをしんがりにして、ルウルウ、ハラズーン、ランダたちは玉座の間から飛び出した。もときた道を走る。
「あははははは……!」
はるか後方から、カイルの笑う声がする。あざけるような、勝ち誇ったような笑い声だった。岩の城の内部に、カイルの笑う声がこだます。
カイルがいるであろう方向から、風が舞った。灯火の芯が揺れて、火が消えていく。あたりが暗くなっていく。
「どうするのだ、ジェイド!?」
「城から出る! ここはあいつの領域だ、勝ち目が薄い!」
ハラズーンの問いかけに、ジェイドが答える。ハラズーンは鼻を鳴らした。暗くなっていく城の中で、竜人の視覚と嗅覚は役に立つ。ハラズーンが前に立って、全員を導くように走る。
「水が近いな。あそこだ、出るぞ!」
ルウルウたちは城から脱出した。城の前庭へと出る。見れば、光る橋はすでに失われている。エルフの亡霊たちが、地底湖の空間中をバラバラに漂っている。
「輝ける王がお笑いだ!」
「ああ、風が心地いいなあ!」
「エルフの再興! エルフの再興!」
エルフの亡霊たちが、口々に喝采を叫んでいる。
ジェイドたちは前庭の端までやってくる。対岸までは遠い。それにもしも対岸に逃げられたとして、地底から出る方法はわからない。
城の中から、ゴウッと低い音がした。地底湖のある空間内に、風が渦巻き始める。風は地底湖に波を起こし、波は強くなっていく。あっという間に、地底湖は荒れ狂った。あまりの高波に、飛び込んで泳ぐこともできない。
強い風にエルフの亡霊たちが流されて、笑う。楽しそうに笑っている。
「あはははは!」
「あはははははは!」
「あははははははははは!!」
ルウルウたちは――追い詰められたのだ。