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第3-2話 螺旋状の想い(2)

 ルウルウたちは、エルフの王カイルティプシと対峙していた。


 黒い岩の城の中には、無数の明かり。装飾らしい装飾のない城の中で、明るさだけが周囲を飾り立てている。灯火は、まるで闇夜に浮かぶ星のようだった。


 玉座の間の奥には、当然、王が座るべき場所がある。その玉座も、黒い岩でできている。古代の巨大な巻き貝で飾った、異形の玉座であった。そこにカイルが悠然と座っている。


 カイルは道化師の姿を捨てていた。白い布を幾重にもかさねたローブをまとっている。その上に真珠を連ねたアクセサリーをつけている。手元には宝石で飾った、黄金色の長い杖。彼の姿は、まるで上代むかしの王朝を描いた絵のようだった。


 その場にいる全員に、沈黙が訪れていた。


「ハクーム」


 口火を切ったのは、カイルだった。カイルは玉座に座ったまま、エルフの亡霊ハクームに言葉をかける。


「客人をここまで案内あないしたこと、大儀である」

「ははっ!」

「皆にも苦労をかけた」

「いいえ、そのような! 我らの宿願の前にはささいなことでございます!」


 ハクームは嬉しそうに返事をした。空中でクルクルと回転する。


「そうか、下がれ」

「ははっ」


 カイルの言葉を受けて、ハクームの姿が消えていく。


「カイル……」


 ルウルウは次にかけるべき言葉を見失っていた。あまりに違う。いままで一緒にいたカイルの印象と違い、ルウルウは困惑している。


「そんな顔しないで、ルウルウ」


 カイルの声は、意外なまでに優しかった。深い哀しみを帯びた、慈悲深い親のような――そんな錯覚さえ起こさせる、優しい声だった。


「ハラズーン、竜人の戦士よ」


 カイルは視線をハラズーンに向けた。


「王家に連なる者でありながら、矜持のために冒険に出られるあなたに、敬意を表しよう。なかなかできることじゃない。僕もそうだからわかる」

「む……」


 カイルの言葉に、ハラズーンは喉奥を鳴らした。ハラズーンはカイルの言葉に驚いたようだ。


「ランダ、辺境の弓手よ」


 カイルは次に、ランダに視線をやる。


「あなたの弓は正確無比だ。その矢に助けられたことは、一度や二度じゃない。弓手の多かったエルフ族たる僕が、称賛しよう」

「……なんだい、そりゃ」


 カイルの言葉に、ランダは忌々しそうに眉を寄せた。加えて、ランダは困惑しているようだった。


「ジェイド、異国の剣士よ」


 ランダの次に、カイルはジェイドを見る。


「あなたの剣、あなたの技量は、ひとを守れる。ひとのために生きられるあなたに、僕はずっと尊敬の念を抱いていたよ」

「カイル……」


 ジェイドの瞳に、悲しげな色が浮かぶ。カイルの言葉に、どうしようもない別離の空気を感じ取っている。


「ルウルウ、魔女の弟子よ」


 カイルは最後に、ルウルウを呼んだ。


「あなたの優しさは、いつもひとを癒やしていたね。ちょっとハラハラすることもするけれど、あなたは素晴らしい魔法使いだ」

「…………っ」


 ルウルウは心臓を打たれたような衝撃を感じる。カイルは本音で話している――それなのに、あまりに遠い。カイルとルウルウたちの間には、もはや埋めようのない溝がある。そう感じた。


「改めて、名乗ろう」


 カイルがゆっくりと玉座から立ち上がった。杖を手に、前へ進み出る。真珠のアクセサリーが揺れて、しゃらりと音を鳴らした。


「我が名はカイルティプシ。エルフの王、輝ける少年王と讃えられし、最後の王!」


 カイルの名乗りは、彼の正体を明らかにする。上代むかしより生き抜いたエルフが、そこにはいる。遥かな時の流れの果てから来た、エルフの王が敵として立っている。


「我らが宿願を果たすため、魔王の望み通りに――貴殿らの前に立ちはだかろう!」

「カイル!」


 困惑を振り払うように、ジェイドが叫ぶ。


「なぜだ、と問おう。カイルティプシ王!」

「……なにから答えればよいか。僕にもわからないくらいだ、旦那」


 カイルは凛と立って、目を閉じる。その佇まいにはスキがない。厳粛な雰囲気をまとったカイルに、ランダとて矢を撃ち込めない。誰も攻撃できず、カイルの言葉を待つ。


「ただ――僕の宿願、エルフの再興のためには、聖杯が必要なんだ。聖杯は魔王の手にあり、僕は彼の慈悲にすがるほかない」


 カイルはゆっくりと目を開ける。紫色の瞳だ。


「見ただろう、あの膨大な数の亡霊たちを。僕を信じて、僕のために死んだエルフたちだ。彼らを再び現世に戻すには、聖杯の力に頼るほかない」

「そんなことができるのか?」

「できるさ。なにせ、魔王を神に引き上げる力を秘めた器だ」


 聖杯――第一の神が、世界のための水を満たす器だ。創造神が世界を造るための水をくんだ杯だ。そこに秘められた力は、計り知れない。その力を使えば、ただの被造物を神にすることもできるだろう。


「だが――魔王の望みは、いまだ果たされていない。聖杯の魔女タージュが、聖杯を強固に守っているからだ」


 カイルがルウルウを見る。


「ルウルウ、魔王はね。タージュを懐柔するために、あなたが必要なんだ。唯一の弟子たるあなたがいるなら、タージュとて魔王に従わざるを得なくなるだろう」


 ルウルウは背筋が寒くなる思いだった。


「だから、皆をここで殺すつもりはない。ルウルウだけを、魔王のもとへ連れていけばいい」

「そんなことができると思ってんのかい!?」


 ランダが叫んだ。


「できるとも」


 カイルの言葉は、ぞっとするような冷たさと自信に満ちている。


「僕を誰だと思っている? ただの臆病な道化師、カイルのままだと思っている?」


 カイルの表情は硬く無表情だ。だがそこには王者としての強靭さが秘められている。


「違う。僕は……千五百年以上を生きた、エルフの王なんだよ」


 彼の瞳が、すっと細くなる。

 玉座の間にある明かりたちが、揺れる。火で灯した明かりだ。縦に伸びていた火が、右横へと流れるように傾く。風だ。無数の灯火が、風によって傾いている。


「エルフは風の魔法が得意でね」


 風が吹いている。カイルが語ると、風が徐々に強くなる。玉座の間に、風が渦巻き始める。灯火の芯が揺れて、風に乗ってふわりと浮き上がった。燃える火が無数に、風へと乗っていく。


「極めれば、こういうこともできるんだ」


 風に乗った火が無数に集まり、空中へと浮き上がる。巨大な炎の弾へと変化する。


「全員、下がれ! 来る! 逃げるぞ!」

「紅炎の奇跡を示せ!」


 ジェイドが叫んだ。カイルが杖を掲げ、振り下ろす。炎の弾となった灯火が、ジェイドたちに襲いかかる。ジェイドたちが逃げ出すと、もといた場所に炎が炸裂する。


 ジェイドをしんがりにして、ルウルウ、ハラズーン、ランダたちは玉座の間から飛び出した。もときた道を走る。


「あははははは……!」


 はるか後方から、カイルの笑う声がする。あざけるような、勝ち誇ったような笑い声だった。岩の城の内部に、カイルの笑う声がこだます。


 カイルがいるであろう方向から、風が舞った。灯火の芯が揺れて、火が消えていく。あたりが暗くなっていく。


「どうするのだ、ジェイド!?」

「城から出る! ここはあいつの領域だ、勝ち目が薄い!」


 ハラズーンの問いかけに、ジェイドが答える。ハラズーンは鼻を鳴らした。暗くなっていく城の中で、竜人の視覚と嗅覚は役に立つ。ハラズーンが前に立って、全員を導くように走る。


「水が近いな。あそこだ、出るぞ!」


 ルウルウたちは城から脱出した。城の前庭へと出る。見れば、光る橋はすでに失われている。エルフの亡霊たちが、地底湖の空間中をバラバラに漂っている。


「輝ける王がお笑いだ!」

「ああ、風が心地いいなあ!」

「エルフの再興! エルフの再興!」


 エルフの亡霊たちが、口々に喝采を叫んでいる。

 ジェイドたちは前庭の端までやってくる。対岸までは遠い。それにもしも対岸に逃げられたとして、地底から出る方法はわからない。


 城の中から、ゴウッと低い音がした。地底湖のある空間内に、風が渦巻き始める。風は地底湖に波を起こし、波は強くなっていく。あっという間に、地底湖は荒れ狂った。あまりの高波に、飛び込んで泳ぐこともできない。


 強い風にエルフの亡霊たちが流されて、笑う。楽しそうに笑っている。


「あはははは!」

「あはははははは!」

「あははははははははは!!」


 ルウルウたちは――追い詰められたのだ。

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