エルフとは、第一の神が空の雲を集めて造りし者。清浄なる雲からできた、麗しい容姿を持つ長命種。創世の神が造るにふさわしい被造物。エルフたち自身もそれを誇りに思っている。驕りとしている者さえいる。
そのエルフが、遠い遠い昔の話をしよう。そう、千五百年前の話だ。
すでにエルフという種族は、限界に達そうとしていた。エルフはもともと、生殖機能が弱い。人間や獣よりはるかに弱い。ごく普通のエルフは、数年に一度しか、子供を生める周期が来ない。それを逸する者が増えると、子供の数も少なくなる。
逸する者が増えた。ゆえにエルフは数を減らしつつあった。衰退期、というやつだ。
そんな種族の衰退期に、王となったエルフがいる。エルフの王族は特に寿命が長く、成長も遅い。少年のような姿のエルフ王が即位した。輝ける少年王、とエルフたちは讃えたものだ。
実際、少年王は若かった。百三十歳ほどの若いエルフだった。通常のエルフは五百歳ほどまで生きる。王族であれば、その二倍――千歳ほどまで生きる。その中で百三十歳というと、若造も若造である。
それでもエルフたちは歓喜して、若き王を迎えた。こんなに若い王の即位は千年に一度のことだと喜んだ。比喩ではなく実際そうなのだから、エルフは気長な生き物だと思う。
期待を背負った少年王は、エルフたちを再興しようと努力した。聖域シュヴァヴ山の森に、エルフたちを集めた。大陸中からエルフたちを呼び寄せた。そうして男女の出会いの機会をつくった。婚姻するエルフたちを祝福し、生まれた子供のエルフは手厚く保護した。
すこしずつ、すこしずつ、エルフの数が増えようとした。種族に限界を感じていたエルフたちは、少年王をさらに讃えた。慈母神のごとき少年王――などと、不可思議なことを言うエルフもいたものだ。
エルフたちは少年王を讃えて、石像を多く作った。母親のようなイメージが混じった少年王の石像に、王はひどく照れたのを覚えている。
だが、すべては無駄だった。
魔王がエルフ族を打ち砕いてしまった。
最初は、エルフの誰かに、魔王の意識が憑依していたのだと思う。悪意に満ちたエルフの行動が、エルフ族をすこしずつ蝕んだ。そうして数年。エルフの感覚でいうと、あっという間に――魔王の悪意がエルフを包んだ。エルフたちは悪意という病に苛まれ、たがいにいがみ合うようになっていた。
そこに魔王が率いる魔族の軍勢がやってきた。エルフたちはろくに抵抗もできず、滅ぼされてしまった。いまも覚えている。魔王がエルフの死骸を山にして、その前で高笑いしているのを――。
輝けるエルフの少年王は、生き残った。魔王の捕虜となったのだ。捕虜といっても、少年王を取り戻そうというエルフはもう残っていなかった。少年王がエルフをシュヴァヴ山というひとつの場所に集めたことで、エルフは一網打尽にされてしまったのだ。
わずかな数のエルフが逃げ延びたが、もはやエルフは再興できないだろう。
魔王は、捕虜となったエルフの少年王にこう言った。
「我が試練を超えれば、再度、望みを持つことを許そう」
エルフの少年王は、魔王に屈した。魔王の奴隷となった。
最初は魔族よりも下の者として、過酷な労役があった。魔族が少年王を見て、あざけるように笑うことなど日常茶飯事だった。少年王は屈辱に耐えた。生き延びるために、下級魔族にへつらうこともあった。耐えて、耐えて、耐え忍んだ。
なぜ耐えられたのか。少年王は時おり、シュヴァヴ山の地底湖に連れられていった。地底湖にはエルフ族の亡霊が多数眠っていた。彼らを見ると、少年王はどんな屈辱にも耐えられた。
やがて魔王は、少年王に一杯の水を恵んだ。
「もっとだ。もっと試練に耐えねばならない」
魔王に与えられた水を、少年王は飲んだ。奴隷の労役が少年王の肉体を蝕み、弱らせていた。魔王の水はそんな少年王を回復させた。寿命さえ伸ばされたようだった。
魔王は少年王に道化師の格好をさせた。道化師とは本来、王のそばでおもしろおかしくおどけて見せる役目の者だ。魔王の悪趣味さが少年王を包むようだった。
「世界を見せてやろう」
魔王はそう言うと、少年王を人間の奴隷にした。人間のヒト買いに売られ、買われ、また売られ――少年王は大陸中を流浪した。エルフは珍しい種族として、高値で取引された。少年王はそこでも耐えてきた。
そうするうちに、シュヴァヴ山のエルフが滅びて千五百年のときが過ぎた。
とあるヒト買いに売られたとき、そのヒト買いはこう言った。
「求めるものがある」
魔王の声だ――とエルフの少年王は悟った。ヒト買いに、魔王が憑依していた。実に数百年ぶりに、少年王は魔王と話した。魔王は少年王にこう言った。
「我が求めるもののそばに。その任を全うすれば、望みを叶える」
少年王の望み――エルフ族の再興。そのために、魔王が求める者のそばに行かなければならない。そのくらい軽い任務だ。ずっと耐えてきた千五百年が、これで終わるはずだ。
それにしても、嗚呼、エルフ族の数は減った。
ごくまれにハーフエルフと邂逅したが、彼らもまた屈辱の中を生きる者たちであった。ハーフエルフは千里眼を持つが、それゆえに気味悪がられる運命を背負っていたのだ。
ハーフエルフの中には、賢人もいた。賢者たる彼女は、僕がエルフの王だと気づいたはずだ。だが彼女は素知らぬ顔をして、近い未来を視てみせた。僕のウソに付き合ってくれたのだ。
そんな者たちがいながら。
なぜ、エルフ族はここまで衰退したのだろうか。
後悔しても、しきれない。
僕は――どうすればよかったのだろうか。
答えは、いまだに見つからない。