ルウルウたちは、エルフの亡霊で形成された橋の上を渡っていく。
橋の下には、輝く水が満ちる地底湖。この光は、すべてエルフの亡霊なのだろう。橋を形成してもありあまるほどの数の亡霊たちが、地底湖に沈んでいるようだ。
橋の上は空気がひんやりとしていて、不思議と爽やかな気持ちになる。暑さで奪われていた体力が戻って来るようだ。湖上の城に向かってやや上っていく橋を、ルウルウたちは慎重に歩む。
ルウルウのそばに、ハクームが飛んでくる。
「いかがですか? 我らの橋の渡り心地は!」
「えっと、大丈夫です」
「それはようございました! 我々も千五百年もここにおりましたので、不手際があるやもしれぬと危惧しておりました!」
ハクームは嬉しそうに言う。光の玉に生えた短い手足をピコピコと動かす。彼の敵意のなさに、ルウルウはすこしだけ警戒心を解いた。橋の上を歩きながら、ルウルウはハクームに話しかける。
「ハクームさん、あの……」
「はい! なんでしょうか、ルウルウ様!」
「答えにくかったらごめんなさい。エルフ族は、どうして滅びたのですか?」
「フフフ、聞きにくいであろうことをおっしゃいますね! さすがはルウルウ様だ!」
褒めているのか皮肉っているのか。まるでわからない口調で、ハクームは答えた。
「簡単なことでございます! エルフは長命ゆえに生まれる子が徐々に少なくなっておりました! 子が少なくなればエルフの数は減り、やがて衰退してまいります」
昨日のことのように、ハクームはエルフの栄枯盛衰を語る。衰退を口にしているのに、陽気な口調なのがなんともチグハグだ。
「衰退をお止めになろうとしたのが、新たに王になられたカイルティプシ様でございます。ですが時すでに遅し……我らエルフは、魔王様の前に滅びたのです!」
魔王の前に滅んだ――つまり、魔王の力がエルフ族の衰退にトドメを指したということだろう。戦争があったのか、はたまた。もしかしたら一方的な虐殺だったのかもしれない。
ルウルウは眉を寄せた。
「では……エルフにとって、魔王は敵では?」
「左様でございます。ですが、生き残られたカイルティプシ様は別の道を選ばれました」
カイルが別の道を選択した、とハクームは語る。ルウルウはハクームが続きを言うのを待つ。
「その道とは、魔王様の
魔王が持っている聖杯――ルウルウの師匠タージュが守る聖杯。第一の神が世界を潤した聖杯。そんな聖杯の力で、エルフ一族を再興させる。どのような方法なのだろうか。
「聖杯で再興する……ってどんな風に?」
「さて、それは存じ上げません! おそらくカイルティプシ様のみが存じ上げているのでは?」
ハクームの言葉は、亡霊たちの限界を示している。彼がこのように言うのであれば、ここにいる何千という亡霊たちも知らないのだろう。
「ですがそれでよいのです! 私たちはカイルティプシ様を信頼し申し上げております!」
ハクームの言葉から推測すると、彼らは千年以上もこの地底湖に留まっている。エルフは寿命が長いというが、どうやら気も長いらしい。死してなお、悠久の時の中を漂い続けるとは。
――カイルを信じている。ハクームはそう言っている。
王としてのカイルを、信じているからこそ。この誰も知らない地底湖にいられたのだろう。
「カイルティプシ様のご苦労といったら、最初は魔王様の奴隷として労役をお勤めなさることから始まりまして――」
ハクームは勝手に、カイルの身に起こったことを語りだす。
カイルは魔王の捕虜となった。完全に降伏したカイルは、奴隷として魔王に仕えた。過酷な労役、苛烈な試練。屈辱的な身の上を魔族たちが笑っても、カイルは耐えてきた――と、ハクームは物語る。
「しかしいまや、カイルティプシ様は魔王様の右腕とも称されるお立場で――」
ハクームは自慢げに言う。ランダが怒りの表情を浮かべ、ハラズーンが呆れたように息を吐く。ジェイドが考え込み、ルウルウは悲しく思う。
ずっとずっと、裏切られていた――。
その思いがルウルウたちの心の奥底にある。
ルウルウは悲しく思った。怒りよりも、悲しみが先に来ている。カイルの笑った顔、困った顔、怒った顔――さまざまな表情が、脳裏に浮かんでくる。
「カイルが本当はどう思ってるか……」
ルウルウはぽつりと言った。
「カイルに会って、ちゃんと話したいな……」
ルウルウの淡青色の瞳に、涙が浮かんでくる。だが泣かないように、ルウルウは必死でこらえた。杖を強く握りしめる。タージュがルウルウに残した杖だ。杖は、悲しむルウルウを力づけてくれる気がする。
「ルウルウ」
ジェイドがルウルウの隣に立ち、彼女の肩をぽんと叩いた。
「俺も同じ気持ちだ」
「ジェイド……」
ジェイドにそう言われると、心強く思える。彼とてカイルに失望していないはずはない。悲しく思っていないはずはない。ルウルウにはそう思える。
ジェイドは先を行くランダとハラズーンに声をかけた。
「ランダ、ハラズーン」
「なんだい?」
「なんだ?」
ふたりが足を止めて、ジェイドのほうを向く。ジェイドはランダとハラズーンに頭を下げた。
「すまない。カイルに遭遇しても、攻撃は控えてくれ。まず、俺たちが話す」
「しかし……」
「頼む。話したいんだ」
カイルと話したい――すでに敵と判明したカイルと話す。なにが語られるかは未知数だ。それでも、ジェイドはそれを望む。ルウルウも同じ気持ちだ。
ジェイドに言われて、ランダが頭を掻いた。ランダは困ったように眉を寄せる。
「仕方ないねぇ……弓をブチ込むのは待ってやるよ」
「だが
ハラズーンの問いかけに、ジェイドは首を横に振った。
「カイルは……いきなり攻撃はしてこない、と思う」
「……思う、かい?」
「寝首をかくつもりだったのなら、いままででもできたはずだ。いまもそうだ。だがカイルはそうしなかった……なにか、事情があるのだろう」
「事情か」
ハラズーンがひとつ鼻を鳴らした。
正直なところ、カイルの抱えた事情の本当のところはわからない。彼がとんでもなく邪悪な存在に堕ちた可能性も否定できない。だがジェイドの言葉だ。ランダとハラズーンは肩をすくめた。
「わかった。カイルと付き合いが深いふたりの言葉であれば、彼奴も聞くやもしれん」
「ありがとう……」
「だが」
ハラズーンが
「我らを害そうとするならば、ためらいなく反撃する。それでよいな?」
「わかった。ランダもそれでいいか?」
「あいつは風魔法の使い手だから、アタシの得物は通用しないだろうねぇ」
ランダがやれやれと肩をすくめた。カイルは風魔法の一種である、矢避けの魔法が使える。ランダの弓矢では攻撃できないだろう。もし矢を放っても、魔法で避けられてしまうのは目に見えていた。
「でも、あいつの考え次第では、アタシは矢を
ランダの意志は堅い。カイルの語る内容によっては、即座に矢を放つと言っている。つまりはカイルと敵対する、ということだ。
「ああ、それでいい」
ジェイドがそう返答した。ランダは心得たようにうなずいた。
「行こう」
ルウルウたち四人は言葉をおさめ、橋を渡っていく。橋は終わりに近づいている。まもなく、対岸へと至りそうだ。目の前には、岩を削り出したかのような城がそびえている。黒い岩の城は、輝く水の光に照らされていた。