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第2-1話 亡霊の湖(1)

 暗澹あんたんたる地底湖のそばは、じっとりと暑い。湖を満たす水が、光とともにわずかに熱を帯びているからだ。その暑さは体力をじりじりと奪い、思考を鈍らせる。

 ルウルウたちは、そんな湖畔で信じられない言葉を聞いた。


「エルフの王、カイルティプシ様がご帰還なされたので!」


 エルフの亡霊ハクームは、嬉しそうにハッキリとそう言った。青い光の玉に生えた短い手足を、パタパタと動かす。まるで機嫌がよい子供のようだ。


「カイルティプシ……カイル!?」


 ルウルウは驚きの声を上げた。ジェイドたちも同様だ。全員が目を見開いている。ルウルウは身を乗り出した。


「カイルティプシって……カイルのことですか!?」

「はい! 左様でございます」


 亡霊ハクームは、陽気にハッキリと答えた。カイルがエルフの王――どういうことだろうか。ルウルウたちにはまったく理解が追いつかない。


「カイルがエルフの王様……って……?」

「そのままの意味でございますよ、ルウルウ様!」


 ハクームは亡霊とは思えない明るい口調で言う。敵意は感じない。だがまともな精神があるのかどうかなのかも判断できない。狂っていてもおかしくない――そんな口調だった。ハクームは言葉を続ける。


「カイルティプシ様は、第一の神が雲より創りしエルフの、選ばれし王! 千五百年の長きに渡り、試練をおつとめくださって――このたび、聖地シュヴァヴ山にお戻りなされたのです!」

「試練……とは?」

「もちろん、魔王様のご麾下きかとしてのおつとめでございます!」


 カイルが魔王の麾下、つまり魔王の仲間だとハクームは言っている。

 ルウルウは軽いめまいを覚えた。肩の傷痕がズキズキと脈動して、わずかに痛みだす。おのれの動揺が、できて間もない傷痕にさわっているようだ。


「ちょ、ちょっと待ちな……!」


 ランダが頭を押さえて、ルウルウたちを手招きした。寄れ、という合図だ。ハクーム以外の全員が頭を寄せ合い、小声で話す。


「……どう思う?」

「カイルティプシって……絶対、カイルのことですよね?」

「どういうことだ、ジェイド。カイルはエルフの王であることを隠していたのか?」

「情報が多いようで少なすぎる。もっと聞き出すべきだ」


 四人は素早く相談を終える。ジェイドがパーティを代表し、ハクームに向き直る。ジェイドの黒い瞳が、青く光るハクームを見据える。


「ハクーム殿、質問していいか?」

「はい! もちろんでございます、ジェイド様」

「カイルティプシ王とは、我々がカイルと呼んでいた者のことで間違いないか?」

「はい! もちろん。左様でございます!」


 ハクームの返事に、ジェイドが困惑の表情を浮かべる。


「カイルは……魔王の麾下だと言ったが」

「左様でございます! エルフ族の悲願のため、カイルティプシ様は魔王様にお仕えしているのです!」

「あいつ……アタシらを裏切っていたのか!?」


 ランダが我慢できず、そう叫んだ。誰もがそう思っている。

 ハクームがクルクルと回る。意外だ、と言いたげな声音でハクームはランダに答える。


「はて、裏切るとは? カイルティプシ様は魔王様のお言いつけを果たされていたに過ぎません!」

「魔王がアタシらの敵だと知りながら、隠していたんだよ!?」


 ランダがハクームに食ってかかる。

 彼女の気持ちは、全員が理解できる。カイルはこの旅では古参だった。道化師であり、全員の中のムードメーカー。一緒に苦楽をともにしてきた。だが――それが裏切りの旅だったとしたら、許せない気持ちもわくというものだ。


 ランダの肩を、ジェイドがつかんでなだめる。


「やめよう。ここで議論しても、カイルの本意はわからない」


 ジェイドは黒い瞳をハクームに向ける。深い憂慮の色が浮かんでいる。


「ハクーム殿、我々はカイルティプシ王に会わねばならない。どこにいる?」

「はい! 湖の中心に、城がございますでしょう! あちらに!」


 ハクームが短い手で、地底湖の中心を示す。中心には、巨大な岩場でできた城がある。


「カイルティプシ王は、皆様がこちらにいらしたら、迎えに行けとおっしゃいました! ですので――」


 ハクームのハキハキとした言葉とともに、湖を満たす水が揺れた。淡く光る水が盛り上がっていく。光の玉が大量に集まり、水面から浮かび上がってくる。集まった光は、湖の中心部にまで届く橋を形成していく。


「我らでお連れいたします! さぁさぁ、お渡りください!」


 大量の光の玉で構成された、青く光る橋が生まれる。

 ルウルウは橋を見つめて、眉を寄せた。一歩踏み出す勇気が出ない。


「あの、この橋は……」

「我らエルフの亡霊でつくる、城までの道でございます! 大丈夫、途中で崩れたりいたしませんとも!」


 ルウルウは困惑しつつ、ジェイドを見た。ジェイドはうなずく。橋を渡って、カイルのもとへ行こう――という意志だ。ランダとハラズーンもうなずく。


「亡霊の橋……なかなか肝っ玉を試されそうではないか」


 ハラズーンが立ち上がり、前へ進み出る。体の重さでいえば、パーティの中でハラズーンがもっとも重たい。亡霊の橋は、まず彼の体重に耐えられなければならない。


 ハラズーンが数歩、光る橋を踏む。橋のかたちに変化はなく、揺れもない。ハラズーンが進むと、わずかに明滅するだけだ。ハラズーンは振り返って、うなずいて手招きする。大丈夫だ、という合図で間違いない。


「行くよ、ジェイド、ルウルウ」

「ああ」

「はい……!」


 ランダ、ジェイド、ルウルウも続く。全員が光る橋を踏む。橋は、表面は柔らかいようでいて、中は固く締まっているように感じられた。不思議な感覚だ。一歩一歩進むと、橋が静かに明滅する。

 そうしてルウルウたちは、地底湖の上を歩き出した。

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