翌朝、最後に見張りに立ったアッシュが、全員を起こす。たがいの無事を確かめる。魔王は一切、妨害をしてこなかったようだ。全員が警戒心を持ったが、魔王の意図は計り知れない。
「よし、出立の準備を」
身支度を整え、廟の建物から出る。黄金色の光が、東から差し込んでいる。シュヴァヴ山を朝焼けの中に照らしている。シュヴァヴ山の山頂にはまだうっすらと雪があり、太陽の光の下でキラキラと輝く。美しい光景だ。この山が何千年も聖域と崇められた理由が、理解できそうな光景だった。
「アッシュ殿はここまで、だな」
「はい。王命ゆえ……お許しください」
アッシュが一礼する。彼はレークフィア国王の命令で、これからすぐに王都に戻らねばならない。彼自身もさぞ無念であろうと思われた。
ルウルウがアッシュの前に進み出る。
「ここまで、ありがとうございました」
彼のことを魔王の手先かと疑ったこともあったが、いまは仲間だと確信できる。アッシュもまた、魔王の悪意によって、人生をもてあそばれた者だ。ルウルウたちについていけないことは、きっと無念だろう。
「わたしたち、必ず魔王を退けます」
「はい、期待しています」
別れを惜しみつつも、時間は刻々と進んでいく。ルウルウたちはアッシュと別れ、シュヴァヴ山の麓を歩き出した。
峻険なシュヴァヴ山の麓には、森が広がっている。大きく太い樹木たちのあいだに、低木と草が生い茂る。冬が終わったばかりだというのに、多くの木々に黒々と――濃い緑色の葉がついていた。常緑樹の森のようだ。
「不気味だね~……」
カイルがおっかなびっくり歩きながら言う。森の中はシンと静まり返っている。春だというのに、小鳥の声ひとつしない。ルウルウ、ジェイド、カイル、ランダ、ハラズーン。その五人の足音だけが響くようだ。
森の中には、道がある。アッシュの情報によれば、シュヴァヴ山への巡礼者たちが使う道だという。地面を踏みならしてできた道が、山に向かって続いている。まるで獣道だ。
「きゃっ!?」
ルウルウは木の向こうにあった人影を見て、驚いた。人が木陰に隠れている――と思った。だがそれは石像だった。廟で見たあのエルフの石像を、小さく素朴にしたような像だ。枯れた苔が付着して、まるでモンスターのようだった。
「エルフの霊地だった
ジェイドが言う。
おそらくこのエルフ像は、シュヴァヴ山を守っていた者の姿を写したのだろう。どういう身分の者かはわからないが、石像にして残すほどだ。かつてエルフたちの尊崇を集めていたことがうかがえる。
「やっぱカイルに似てないかい?」
「やめてよ~! 僕、もうちょっと顔がいいでしょ!?」
「ハッハァ! さもありなん」
カイルがランダにからかわれ、ハラズーンが大笑いする。
エルフの石像は、そのあともたびたび道のそばに置かれていた。大きさはまちまちで、いずれもかなり古びている。砕けてしまっているものもある。
「シュヴァヴ山にエルフがいなくなったのち、魔王が拠点にしたのか。魔王が拠点にしたからエルフがいなくなったのか……」
ジェイドが古びた石像を見ながら言う。
森の中で人知れず古びた石像。そこに漂う、寂寥感。黒々とした木々の気配しかない森の中。道はあるが、進めば進むほど、不安が心に蓄積するようだ。
道が、徐々に上りに変わっていく。シュヴァヴ山の
「なんていうか、静かすぎるね」
ランダがあたりを見回す。
シュヴァヴ山には獣の声、小鳥のさえずり、そういったものが一切ない。かといって魔族や魔獣が満ちているわけでもない。不気味な静寂の中にある。
「まるで作り物の中を歩いているようだよ」
ランダが警戒するような口調で言った。
作り物の箱庭――土を入れ、造花の木を植え、石像を置いただけの人工物。そんな箱庭を巨大化させた場所を歩いているような、そんな気さえしてくる。
ジェイドが眉を寄せる。
「魔王の悪意の中に、俺たちはすでにいるのかもしれない」
「ふむぅ……しかして我らは進むしかない! であろう?」
ハラズーンが全員を鼓舞するように、腕を曲げて見せる。竜人戦士の太い腕に、筋肉が盛り上がった。
全員でうなずき合い、森のすきまから見えるシュヴァヴ山を目指す――まではよかった。
「……ねぇ」
ランダが足を止めた。全員が止まる。ランダは、道のそばの石像を指差す。
「この石像、さっきも見なかったかい?」
「え、でも……たくさんあるみたいですし」
ルウルウはそう言いながらも、どこか見覚えのある石像に注目した。なんだかイヤな予感がする。
「いや、さっきのと同じだな」
ジェイドが苦虫を噛み潰したような表情で言う。
ランダが示した石像は、もちろん苔むしたエルフの像だ。その石像には、真っ赤な落ち葉が一枚、左耳を飾るようにひっかかっている。特徴的ではある。
「さっき見て気になったんだ。だから覚えておいたんだけど……」
「つまり、堂々巡りしてるってこと?」
カイルが像をのぞき込む。
先ほど見たのと同じ石像が、ふたたび現れた。その理由は、同じ道を繰り返し通っているということだ。しかし全員、まっすぐ進んできたはずだ。道は曲がってはいなかった。なのに、同じ場所に出た。まるで迷路にハマったかのようだ。
ザァ……と風が吹いた。ジェイドが剣の柄に手をかける。ランダとハラズーンも武器を取り、ルウルウとカイルを囲んで立つ。ザアザアと草木が鳴る。低い風の音は、まるで誰かがルウルウたちを笑っているかのようだ。
「来るなら来い……!」
ジェイドがつぶやく。低い風の音が、強まっていく。やがて地響きのようにゴゴゴゴ……とあたりが揺れる。
「じ、地震!?」
「気をつけろ! 離れるな!!」
動揺するルウルウたちに、ジェイドが鋭く声をかける。
ぷつ、となにかが切れたようだった。
突如、ルウルウたちの足元が消失した。全員が、空中に投げ出される。
「きゃ……!?」
「わあああああっ!?」
地面がガラガラと崩れて、ルウルウたちは地中へと落下していく。地中は空洞になっており、つかまるものもない。明るい場所はあっという間に遠くなる。闇だ。闇の中を、ルウルウたちは落ちていく。
「きゃあああああ……!」
悲鳴を上げているのは誰だ。自分の喉か、他人の声か。誰の悲鳴かもわからないくらいの勢いで、ルウルウは落ちていく。やがて目を閉じてしまう。ルウルウは杖だけを強く握って、落下していった。