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第1-2話 霊域シュヴァヴ山(2)

 翌朝、最後に見張りに立ったアッシュが、全員を起こす。たがいの無事を確かめる。魔王は一切、妨害をしてこなかったようだ。全員が警戒心を持ったが、魔王の意図は計り知れない。


「よし、出立の準備を」


 身支度を整え、廟の建物から出る。黄金色の光が、東から差し込んでいる。シュヴァヴ山を朝焼けの中に照らしている。シュヴァヴ山の山頂にはまだうっすらと雪があり、太陽の光の下でキラキラと輝く。美しい光景だ。この山が何千年も聖域と崇められた理由が、理解できそうな光景だった。


「アッシュ殿はここまで、だな」

「はい。王命ゆえ……お許しください」


 アッシュが一礼する。彼はレークフィア国王の命令で、これからすぐに王都に戻らねばならない。彼自身もさぞ無念であろうと思われた。

 ルウルウがアッシュの前に進み出る。


「ここまで、ありがとうございました」


 彼のことを魔王の手先かと疑ったこともあったが、いまは仲間だと確信できる。アッシュもまた、魔王の悪意によって、人生をもてあそばれた者だ。ルウルウたちについていけないことは、きっと無念だろう。


「わたしたち、必ず魔王を退けます」

「はい、期待しています」


 別れを惜しみつつも、時間は刻々と進んでいく。ルウルウたちはアッシュと別れ、シュヴァヴ山の麓を歩き出した。


 峻険なシュヴァヴ山の麓には、森が広がっている。大きく太い樹木たちのあいだに、低木と草が生い茂る。冬が終わったばかりだというのに、多くの木々に黒々と――濃い緑色の葉がついていた。常緑樹の森のようだ。


「不気味だね~……」


 カイルがおっかなびっくり歩きながら言う。森の中はシンと静まり返っている。春だというのに、小鳥の声ひとつしない。ルウルウ、ジェイド、カイル、ランダ、ハラズーン。その五人の足音だけが響くようだ。


 森の中には、道がある。アッシュの情報によれば、シュヴァヴ山への巡礼者たちが使う道だという。地面を踏みならしてできた道が、山に向かって続いている。まるで獣道だ。


「きゃっ!?」


 ルウルウは木の向こうにあった人影を見て、驚いた。人が木陰に隠れている――と思った。だがそれは石像だった。廟で見たあのエルフの石像を、小さく素朴にしたような像だ。枯れた苔が付着して、まるでモンスターのようだった。


「エルフの霊地だった証明あかし、だろうな」


 ジェイドが言う。

 おそらくこのエルフ像は、シュヴァヴ山を守っていた者の姿を写したのだろう。どういう身分の者かはわからないが、石像にして残すほどだ。かつてエルフたちの尊崇を集めていたことがうかがえる。


「やっぱカイルに似てないかい?」

「やめてよ~! 僕、もうちょっと顔がいいでしょ!?」

「ハッハァ! さもありなん」


 カイルがランダにからかわれ、ハラズーンが大笑いする。

 エルフの石像は、そのあともたびたび道のそばに置かれていた。大きさはまちまちで、いずれもかなり古びている。砕けてしまっているものもある。


「シュヴァヴ山にエルフがいなくなったのち、魔王が拠点にしたのか。魔王が拠点にしたからエルフがいなくなったのか……」


 ジェイドが古びた石像を見ながら言う。

 森の中で人知れず古びた石像。そこに漂う、寂寥感。黒々とした木々の気配しかない森の中。道はあるが、進めば進むほど、不安が心に蓄積するようだ。


 道が、徐々に上りに変わっていく。シュヴァヴ山の山裾やますそに入ったようだ。いずれ背の高い木々のある場所は途切れてしまうだろう。低木の続く、峻険な山らしさが出てくるのも時間の問題だ。


「なんていうか、静かすぎるね」


 ランダがあたりを見回す。

 シュヴァヴ山には獣の声、小鳥のさえずり、そういったものが一切ない。かといって魔族や魔獣が満ちているわけでもない。不気味な静寂の中にある。


「まるで作り物の中を歩いているようだよ」


 ランダが警戒するような口調で言った。

 作り物の箱庭――土を入れ、造花の木を植え、石像を置いただけの人工物。そんな箱庭を巨大化させた場所を歩いているような、そんな気さえしてくる。


 ジェイドが眉を寄せる。


「魔王の悪意の中に、俺たちはすでにいるのかもしれない」

「ふむぅ……しかして我らは進むしかない! であろう?」


 ハラズーンが全員を鼓舞するように、腕を曲げて見せる。竜人戦士の太い腕に、筋肉が盛り上がった。

 全員でうなずき合い、森のすきまから見えるシュヴァヴ山を目指す――まではよかった。


「……ねぇ」


 ランダが足を止めた。全員が止まる。ランダは、道のそばの石像を指差す。


「この石像、さっきも見なかったかい?」

「え、でも……たくさんあるみたいですし」


 ルウルウはそう言いながらも、どこか見覚えのある石像に注目した。なんだかイヤな予感がする。


「いや、さっきのと同じだな」


 ジェイドが苦虫を噛み潰したような表情で言う。

 ランダが示した石像は、もちろん苔むしたエルフの像だ。その石像には、真っ赤な落ち葉が一枚、左耳を飾るようにひっかかっている。特徴的ではある。


「さっき見て気になったんだ。だから覚えておいたんだけど……」

「つまり、堂々巡りしてるってこと?」


 カイルが像をのぞき込む。

 先ほど見たのと同じ石像が、ふたたび現れた。その理由は、同じ道を繰り返し通っているということだ。しかし全員、まっすぐ進んできたはずだ。道は曲がってはいなかった。なのに、同じ場所に出た。まるで迷路にハマったかのようだ。


 ザァ……と風が吹いた。ジェイドが剣の柄に手をかける。ランダとハラズーンも武器を取り、ルウルウとカイルを囲んで立つ。ザアザアと草木が鳴る。低い風の音は、まるで誰かがルウルウたちを笑っているかのようだ。


「来るなら来い……!」


 ジェイドがつぶやく。低い風の音が、強まっていく。やがて地響きのようにゴゴゴゴ……とあたりが揺れる。


「じ、地震!?」

「気をつけろ! 離れるな!!」


 動揺するルウルウたちに、ジェイドが鋭く声をかける。


 ぷつ、となにかが切れたようだった。

 突如、ルウルウたちの足元が消失した。全員が、空中に投げ出される。


「きゃ……!?」

「わあああああっ!?」


 地面がガラガラと崩れて、ルウルウたちは地中へと落下していく。地中は空洞になっており、つかまるものもない。明るい場所はあっという間に遠くなる。闇だ。闇の中を、ルウルウたちは落ちていく。


「きゃあああああ……!」


 悲鳴を上げているのは誰だ。自分の喉か、他人の声か。誰の悲鳴かもわからないくらいの勢いで、ルウルウは落ちていく。やがて目を閉じてしまう。ルウルウは杖だけを強く握って、落下していった。

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