ルウルウは走り出した。レークフィア王国の王に向かって、魔物が剣を飛ばしていた。その剣の前に身を躍らせ、ルウルウは国王を守ろうとした。
一瞬のとき――ルウルウの左肩に、剣が突き刺さる。騎士の剣が、深々と突き立った。
「ああーーーーッ!!」
「ルウルウ!?」
ジェイドが血相を変えた。おのれを襲っていた杖や剣を叩き落とし、ルウルウのそばへ走る。ルウルウは床に倒れる。起き上がれない。
「ルウルウ! ルウルウ!!」
「う、うう……!」
ルウルウのまとうドレスに、血が大量ににじんでくる。ルウルウは苦しげに顔をしかめる。傷は痛むというより、熱い。ひどく熱くて、恐怖が心を炙る。なにか言いたいのに、うめき声しか上げられない。
「ルウルウ! しっかりして!!」
カイルが剣をかいくぐり、ルウルウとジェイドのもとへ走ってくる。
「ど、どうしよう、剣を抜かないと!」
「ダメだ、ここで抜いたら出血がひどくなる! 退避する!」
ジェイドが撤退の意志を示す。だが宰相の姿をした魔族は、つまらなさそうに鼻で笑った。
「この程度で、逃げ出されては困るのう」
魔族ディセンは赤黒い瞳で、アッシュを見る。青ざめた顔のアッシュが、ビクリと震える。
「父上……本当に、あなたは……」
「いやいや、喰らったというのは冗談じゃ。肉体はいまもディセンのものよ」
ディセンの顔で、意外なほど優しい口調で、魔物はアッシュに語りかけた。
「どうじゃ? そこなる剣士ジェイドを見事倒してみせたら、ディセンの肉体を返してやろうではないか。そうしてわしはここを去る。わしが去ればディセンの呪いも解ける……」
アッシュが息を呑む。彼の腰にはまだ剣がある。それに手を伸ばす。
「耳を貸すでない、近衛騎士団長よ! 魔物の甘言だ!!」
ハラズーンが叫ぶ。数本の剣を叩いて落とす。
魔族ディセンが手を差し出す。
「父親を助けたいであろう? 近衛騎士団長」
にっこりと笑った顔で、魔族ディセンが優しくアッシュに告げる。
「否、我が息子アッシュよ。……助けておくれ?」
「――ッ!」
アッシュが唇を噛み、剣を抜いた。ルウルウたちに向かって剣を構え、走り出す。
「チッ!」
ジェイドがショートソードを構え、襲いくるアッシュの剣撃を受ける。火花が散るほどの一撃を防ぎ、鍔迫り合いに持ち込む。
「アッシュ、落ち着け! よく考えろ!」
「これしか……これしか、我が父を助ける方法は……!」
ジェイドがなだめようとするが、アッシュは耳を貸さない。騎士の持つロングソードが唸りを上げて、ジェイドに襲いかかる。
「ハァッ!!」
「くぅっ!!」
ロングソードはジェイドの持つショートソードに比べて、間合いが長く威力も高い。騎士団長の腕前を以てすれば、ジェイドのショートソードを叩き落とすこともできるだろう。ジェイドもそれをわかっており、まともに一撃を受けようとはしない。
「ジェ……イド……」
ルウルウはかすむ視界で、ジェイドを見た。長身の騎士と相対する、異国の剣士。その姿を見て、ルウルウは涙があふれそうになる。痛みなど大したことはない。ただジェイドが無事であってほしい――そんな気持ちだけがある。
「カイル……ジェイド、に……魔物、弱点……」
「えっ、えっ、ルウルウ、わかるの!?」
「呪い、しるし……呪いじゃ、ない……」
ルウルウは必死で言葉を紡ぐ。混濁する意識の中、いま思いついたことを伝えようとする。カイルが真剣に耳を傾ける。
「ジェイド! 魔物の弱点……呪いの印だ!」
カイルが泣きながら叫ぶ。その言葉を聞いて、アッシュの勢いが増した。一閃、ロングソードがジェイドのショートソードを打ち上げる。ショートソードがジェイドの手から離れ、宙を舞った。
「カカカ……!」
魔族ディセンが勝ち誇った表情を浮かべ――次の瞬間、目を見開いていた。
「な……?」
ディセンの肉体に、ロングソードが突き立っている。ロングソードの持ち主は、アッシュだ。厳しい表情で、ディセンを見据えている。
「な、にゆえ……ゴホッ」
魔族は血を吐いた。かの者の肉体――呪いの印がある場所を、ロングソードが貫いている。間違いなく、魔族の弱点を破壊している。
「――熱くなっては、剣を振るえない」
アッシュの表情は、いつもの飄々としたものではない。苦しみ、絶望し、静かな怒りに染まっている。
「剣を振るうために、冷静になったまでのこと。……父上が、私に教えてくれた。いつでも冷静であれ、と」
「アッシュ……」
「貴様は魔族だ! 父上の仇!!」
アッシュがロングソードを、魔族の肉体から引き抜いた。大量の血がしぶいて、魔族は倒れる。その肉体が歪んで、悪魔のような姿になる。
「カ、カカ……我が悪意もこれまでか……」
魔族はおかしそうに笑って、ひとつ目を閉じた。ジェイドはショートソードを拾い、魔族に突きつける。
「待て……魔王様のお言葉を伝える……」
「なんだと?」
虫の息のまま、魔族は話し始める。ジェイドたちは様子を見るしかない。
「我が側近を倒せし者、我を打倒せんとする者らよ」
まるでかの者の口が勝手に動いているかのようだ。魔族はメッセージを伝える。
「待っておる。月と星の揃うときまでに、シュヴァヴの山へ入られよ……」
「シュヴァヴ山……?」
聞き慣れぬ地名だ。だが魔王はシュヴァヴ山で待っている、と伝えている。
「タージュの愛弟子ルウルウ、そしてルウルウに与する者らよ……待っておる」
そこまで言うと、魔族は事切れた。その肉体が、もろもろと黒い灰になって消えていく。
「ああ……!!」
アッシュがロングソードを取り落とし、みずからの顔を手で覆って膝をついた。父親の死を知った絶望と、その顔を借りた魔族を倒したという高揚が、同時に彼を襲っているようだった。
「アッシュ殿」
「ジェイド殿……申し訳なかった」
「いや、冷静に剣を振るってくれて、感謝する」
ジェイドが一礼すると、アッシュは顔を手で覆ったままうなずいた。
ほどなくしてブラックドッグも倒される。騒ぎは収束しようとしていた。