「わしも聖杯には手を焼いておるからよ」
「……父上?」
宰相ディセンの答えに、アッシュがわずかに眉を寄せて父親を見る。
「第一の神より地に下されし聖杯。その中にたまる酒水を飲まば、第二の神を超えた存在に昇るという」
「第二の神を超える……魔神を超える、存在」
「だがタージュはみずから身を捨て、その蓋になりよった。わずらわしいこと、この上ない」
「――ッ!」
ルウルウは宰相の言葉にゾッとする。ジェイドが厳しい表情になり、腰の剣に手を伸ばした。周囲の騎士がどよめいて、ジェイドを取り押さえようと前に出てくる。ランダとハラズーンが騎士たちを止めようと、揉み合いになる。
「まさか、貴殿か!」
騎士たちと揉み合いになりながら、ジェイドが叫ぶ。
「宰相ディセン、魔族たるは貴殿か!?」
「カカカ」
宰相ディセンは杖を掲げ、トン、とひとつ床を叩いた。
「見立て誤ったのう、東より来たりし勇士どもよ」
ディセンの言葉とともに、騎士のひとりがふらりとよろめき、仰向けに倒れる。その耳から黒い光がツタのように伸び、全身を覆っていく。
「な、なんだ!?」
「魔族となる呪いだ! 皆を退避させろ!!」
貴族たちが当惑する中、ジェイドが叫ぶが――間に合わない。
黒い光のツタに覆われた騎士が、ごぼりと膨らむ。鎧が弾け飛び、その肉体が巨大な獣に変じていく。複数の頭がある、巨大な猟犬に似た姿だ。
「ブラックドッグ……!?」
漆黒を帯びた、猟犬型の魔獣。地獄からの使者とも言われる、多頭の猟犬。鋭い爪と牙が黒く光り、よだれを垂らしながら咆哮する。
――ガオオオオオオンッ!
「きゃあああああーッ!」
「化け物だ!!」
「に、逃げろ!!」
魔獣の出現に、貴族たちがパニックを起こす。国王は青ざめて玉座に座り込んでいる。騎士たちが剣を抜いて、魔獣を取り囲む。ジェイドたちは自由になる。
「父上、どういうことです!?」
アッシュが狼狽した声を上げた。
「父上、か」
ディセンが含み笑いをする。
「年
宰相の瞳が、赤黒く変色する。そして地の底から響く声で話す。
「存外、美味ではあったぞ」
「喰った、のか!?」
ジェイドの言葉に、アッシュも青ざめる。
「外道が!」
ランダが反応した。矢を素早く弓につがえ、ディセンに向かって放つ。ディセンが杖を掲げると、矢が逸れて浮き上がり、天井へと突き立つ。
「チッ、矢避けか!」
「カカカ、あまりこちらに構っておると……」
ディセンの姿をした魔族が、笑う。同時に、猟犬型魔獣が雄叫びを上げた。魔獣を取り囲む騎士の円陣のうち、目の前にいる騎士に襲いかかる。
「うわぁッ!!」
「慌てるな、応戦しろ!!」
騎士たちが次々と魔獣に応戦し、怪我をした者を助けて下がる。魔獣は前足と複数の頭を振るって、騎士たちを薙ぎ払おうとする。
貴族たちは我先にと逃げていき、侍従たちがあとを追うように逃げ惑う。国王もまた近衛騎士に囲まれて退避しようとしている。
「すこし、この国を乱そうか」
ディセンの姿をした魔族がつぶやく。
ブラックドッグが吠え立てた。頭を下げると、その背の毛がザワザワと逆立つ。
「あ……っ!」
ルウルウは反射的に飛び出していた。ブラックドッグの背から、黒い光のツタが射出される。それは国王を狙っている――ルウルウは自身の杖を掲げた。
「水よ、我が願いに応え、飛泉の奇跡を示せ!」
呪文がルウルウの中で魔力を編み上げる。ルウルウが杖を振り下ろす。同時に大量の水がどこからともなく奔流となって現れ、ブラックドッグに襲いかかる。ブラックドッグの足元がすくわれて、体勢を崩す。射出されたツタが逸れて、玉座のすぐ上の壁へと突き立って消える。
「ほう、それは新たな呪文か」
「っ、はぁ……!」
ディセンが興味深そうにつぶやく。
ルウルウはへたり込みそうになったが、耐えた。図書館で学んだばかりの呪文を唱えたためか、体に脱力感が襲ってくる。魔力の消費が多い。
「――ハァッ!!」
ディセンに向かって、ジェイドがショートソードを振り上げた。ディセンは杖を掲げ、ジェイドの剣撃を防ぐ。火花が散る。ディセンの杖は、ただの老人用の杖ではないようだ。杖の周囲に風が渦巻く。
「カカカ、どうじゃ? 風の防御は、そら、攻撃にも使えるぞい」
ディセンが右手をかざす。彼の手から杖が離れて浮き上がり、ジェイドに襲いかかる。ジェイドはショートソードで杖の攻撃を防ぐ。まるで剣と剣が交わるように、杖とショートソードが打ち合う。
「チッ、風の力で杖を操っているのか!」
飛んでくる杖をショートソードで押さえつつ、ジェイドが舌打ちする。
「そらそら、杖一本だけではないぞ?」
ディセンの口元が邪悪に笑う。左手をかざすと、新たな風が次々と発生して渦巻く。風は騎士たちの手から武器を取り上げ、空中でグルグルと回転させる。そして次々とジェイドやランダ、ハラズーンにも襲いかかる。
「――避けて!!」
ルウルウは叫んだ。騎士の手から離れた剣の一本が、国王に狙いを定めていた。ルウルウは駆け出した。国王の前に立ちはだかろうとして――そこへ、剣が飛んでくる。