アッシュの企みに、ルウルウも気づきつつある。
アッシュのように王政に携わる者たちは、神殿の者たちよりも先にルウルウ一行をもてなした。ルウルウたちを王宮に留めることに成功した。そうするだけの理由がある。
彼らは――聖杯を求めているのだ。
「……聖杯が、ほしいのですか?」
ルウルウがおずおずと尋ねる。アッシュが笑うのをやめて、真剣な表情でうなずいた。
「はい。神殿の者たちを抑えるには、それしかありません」
「どういうことでしょう?」
「聖杯は、神殿にとって唯一無二の至宝です。それが我々の手にあれば、神殿の者たちとて黙らざるを得ない。陛下も、父も……いえ、宰相閣下も、望み通りの政治ができるようになる」
つまり聖杯を盾にして、王政を進めたいということだ。
ルウルウはどう答えるべきか、考える。魔王からタージュとともに聖杯を取り戻し、アッシュたちに渡せばいいということだろうか。
「ルウルウを政治利用するつもり?」
突然、尖った声がルウルウとアッシュに届いた。カイルが渋い顔で立っている。不機嫌そうな顔だ。
「カイル……」
「カイル殿、お目覚めでしたか?」
アッシュは柔和な言葉をカイルにかける。だがカイルはそれを無視した。
「ルウルウは僕たちと一緒に、タージュ殿を探す。それだけだよ」
「それだけなら、なおさら……タージュ殿とともに聖杯を取り戻し、こちらに渡してほしいものですね」
「約束はできないなぁ」
カイルが不機嫌そうに、アッシュに答える。
「僕らはタージュ殿を取り戻して、魔王を退ける。聖杯は僕らに必要なものだ」
「ほう?」
「タージュ殿は聖杯とともにある。タージュ殿を取り戻すとき、聖杯とともに新しい旅に出ないといけないかもしれない」
ルウルウはハッとする。タージュの魂は聖杯とともにある。タージュを完全に取り戻すためには、彼女の魂を肉体に戻す必要がある。そのすべがわかればよい。わからなかったとき――ルウルウたちは、タージュを取り戻すという新たな旅を必要とするだろう。
カイルは唇を尖らせた。
「だいたい、王政に神殿が邪魔なら、王様がきちんと政治をしないとダメでしょ?」
「これはこれは手厳しい。道化師が政治を語るとは」
「道化師だからだよ。不遜な言葉も、道化師の口から出るなら不敬にならない」
カイルの紫色の瞳が、厳しく騎士団長を見据える。
「王とは、国の民のため、最善を尽くす存在だ」
「ええ、もちろん」
「でも本当に……聖杯を手に入れることは、民のためになるのかい?」
「どういう意味でしょう?」
アッシュの口調はとぼけている。
「そのままの意味だよ。神殿の至宝をまるで人質のようにして、平穏な政治ができるとは思えないね」
神殿と王政が相争えば、単なる権力闘争では済まないかもしれない。襲撃が起こるかもしれない。もっと大規模な戦も起こるかもしれない。
「そういうことじゃなくて、もっとやりようがあると思うけど?」
「ほう――」
アッシュの瞳が細くなる。カイルを見下ろし、つぶやく。
「エルフが言うと、実感がありますね――」
「……なんだって?」
カイルの表情が厳しくなる。
ルウルウはおろおろとカイルとアッシュを見ている。
「知っていますよ。エルフは王を失って久しい種族だと」
「……ッ」
カイルが息を呑む。
「王を失った……?」
「はい、ルウルウ殿はご存知ないのですか?」
アッシュが穏やかに笑う。
「第一の神の被造物、美しきエルフ。彼らには王様がいた。だが王が出奔したため、エルフは衰退し、滅び去ろうとしている」
「…………」
「道化師なんて、たいていは人買いに売られた者がなるものです。エルフは身を売らねばならぬほど、落ちぶれてしまっている」
「だまれ!」
カイルが怒りをこめて怒鳴った。
「王を愚弄するか、無礼な泥の短命種が!」
「フフ、図星だったようだ」
泥の短命種――エルフが人間を罵倒するときに使う言葉だ。
ルウルウはカイルがこんなに怒っていることに驚いた。いつもお調子者で臆病な彼に、こんな一面があるとは知らなかった。
カイルはいまにもアッシュにつかみかかりそうだ。ルウルウは彼の腕をつかんだ。
「や、やめてください、ふたりとも!」
「ルウルウ……」
「アッシュ殿、歓待には感謝します。そしてお力になれないことをお詫びします」
ルウルウは内心ドキドキしながら、言葉を考える。カイルの前に進み出て、アッシュと対峙する。
「わたしたちでは、宰相閣下の呪いをどうにかするには……魔王を退けるしかないと思います」
「…………」
「ですから、すぐにここを発ちたいと思います」
アッシュやカイルが言葉を挟まぬよう、ルウルウは一生懸命口を動かす。
「聖杯をお望みであれば、わたしたちの旅が完全に終わってから……一緒に考えたい、です」
一緒に考える――ルウルウの思いつく、最善の方法だ。聖杯が政争の道具になることは、きっとタージュも望まない。どうすればよいのか、知恵を振り絞って考えるべきだ。ルウルウはそう考えた。
「なるほど」
アッシュがうなずいた。
「ご無礼、お許しを。貴殿らの思いは理解いたしました」
アッシュは詫びるように一礼した。
ルウルウは内心、ホッとする。
「おわかりいただけたのなら……よかったです」
「必ずや、聖杯については一緒に考えましょう」
アッシュは「一緒に」を強調する。そしてルウルウたちを図書館から出るように促す。
侍従を呼び寄せ、アッシュはルウルウたちを客間へと連れて行かせた。
「……ふう」
金髪の騎士団長は、ため息をつく。
「やれやれ、聖杯ひとつ思い通りにならないとは」
誰もいない廊下でつぶやき、アッシュは自身の父――宰相の元へと戻っていった。