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第2-2話 留められて(2)

「ん……」


 ルウルウは顔を上げた。どれくらい時間が経っただろうか。

 書物の部屋には窓がなく、正確な時の頃はわからない。だが、昼食を済ませてからかなり時間が経ったはずだ。


「カイル、どう……?」

「くぅ~……くぅ~……」


 ルウルウがカイルの方を見ると、寝息を立ててテーブルに突っ伏している。難解な魔術書を読み疲れてしまったのだろう。


「ふう……」


 ルウルウもため息をついた。自分も疲れている、と感じる。本を読みすぎて、頭の中にさまざまな魔法の記述が渦巻いている感覚だ。


 ルウルウにとって、書物は世界を教えてくれるものだ。タージュの蔵書を読んで、世間で起こっていることを知った。魔法も覚えた。いまやそのすべては灰燼に帰した。家を焼かれたことを思い出すと、いまでもつらい思いになる。


「さて、と……」


 ルウルウはそっと席を立った。カイルを起こさないように、書物を棚に戻していく。


「ん……っ」


 ルウルウは背を伸ばした。書架の高いところに、戻したい本が入りそうで入らない。つま先立ちの体がぐらぐらする。


「お疲れ様です、ルウルウ殿」


 背後から声がかかり、ルウルウが戻そうとしていた本が、誰かの手に取られる。そのまま本は、スッと高い書架に収められた。


「あ……っ、アッシュ様」

「ふふ、失礼しました。戻すのに苦労されておられるようだったので」


 ルウルウに笑いかけたのは、近衛騎士団長アッシュだった。彼が本を戻してくれたのだ。こうして見ると、背が非常に高い――とルウルウは感じた。アッシュはジェイドよりもすらりと長い体躯をしている。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 アッシュはちらりとカイルの方を見やった。カイルはすやすやと寝息を立てている。


「カイル殿も、お疲れのご様子」

「す、すみません……」

「いいえ、こちらの無理なお願いですから」


 アッシュの口ぶりに、ルウルウは違和感を覚えた。


「無理なお願い、とは……?」

「そのままの意味です。宮廷魔術師たちでも解呪できなかった呪いを、たった数日で解けるとは……私も思いません」


 ルウルウはドキリとした。アッシュには、ジェイドたちと話していたことが見抜かれている。


「ですがその数日で、知ることのできる事柄もある」

「……?」


 アッシュの瞳が、ルウルウの淡青色の瞳を鋭く見やる。


「ルウルウ殿は、聖杯をご存知ですか?」

「は……はい」


 ルウルウは正直に答えた。どんなものか見たことはない。だがルウルウは「聖杯の魔女」タージュの弟子である。老賢者アシャからも、聖杯については聞いている。知らない、とは答えられない。

 アッシュがさらに質問を重ねる。


「いま、聖杯はどちらにあるか、ご存知で?」

「聖杯は……魔王が持っていると、聞いています」

「聖杯の魔女タージュ殿ではなく?」


 アッシュの問いに、ルウルウは混乱する。当惑する気持ちが湧いてくる。彼が本当に尋ねようとしていることは、質問の中にはない気がする。

 困惑しながらも、ルウルウはふと気づいたことを尋ね返す。


「……お師匠様を、ご存知なのですか?」

「ええ。といっても、直接お目にかかったことはありませんが」


 アッシュが柔和にほほえむ。だがその瞳には鋭い光が宿っている。彼は言葉を続ける。


「タージュ殿の奉仕していた神殿は、我が国にありますので」


 アッシュの言葉を聞いて、ルウルウはすこしだけ合点がいった。


 聖杯とは、もともと創造神のものであり、のち神殿に収められていた。タージュは神殿に奉仕する巫女であった。だが聖杯が遺失し、タージュは神殿にいられなくなった。

 いまや聖杯は魔王のもとにあり、タージュは聖杯を守るべく魔王のもとに囚われている。

 ――それが、ルウルウの知るタージュと聖杯の行方である。


「タージュ殿は、唯一無二の巫女。多くの魔法を使いこなし、偉大な聖杯への奉仕者であったと伝わっています」


 アッシュが語るのは、神殿に奉仕する者たちの言葉だろう。タージュはなかば伝説的な巫女であり、それゆえに神殿を追放されたのちは「聖杯の魔女」と呼ばれた。その称号には敬意と畏怖、そして懐疑が含まれている。


「いまだにね、タージュ殿が聖杯を持っていると思っている者は多いのですよ」

「聖杯は魔王のもとにあります。お師匠様は、魔王が聖杯を使えないように守っているのだと……賢者様からうかがいました」

「ほう」

「肉体から魂を離し、聖杯とともにあるのだと……」


 ルウルウは内心ドキドキしながら、アッシュに聖杯の行方を語る。


「タージュ殿が、聖杯とともに……なるほど」

「アッシュ様、どうして聖杯のことをお尋ねになるのですか?」

「そうですね」


 アッシュがニッコリと笑う。


「我が国は、難しい問題を抱えています」


 ニコニコと笑いながら、アッシュは深刻な問題を語り始める。


「王政と神殿との相性が悪くなっているのです。神官が政治(まつりごと)に参加する是非や、神殿の軍備とその費用、神殿やその奉仕者たちが納めるべき税など……数え切れないほど、問題がある」

「それは……」


 ルウルウには想像もつかない、社会の問題。


「王政に反発する神官たちさえいます。彼らは、神殿の権威を取り戻すべく、聖杯を探している――という情報を、私たちはつかんでいます」

「え……!?」


 ルウルウは驚いた。


「だからね、ルウルウ殿」


 アッシュが身をかがめ、ルウルウの視線をのぞきこむ。


「神殿の者たちより先に、私たちは貴殿らをお迎えしたのです」

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