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第3-1話 藪に秘めし想い(1)

 ジェイドたちが決着をつける、すこし前に時間は戻る。


 ルウルウは、ドーン家の隠し谷へと忍び込もうとしていた。隠し谷が見渡せる山肌の木々に身を隠して、谷の様子を見る。ひとりではない。複数人の仲間がいる。ジェイドとカイルではなく――ランダの配下たちだ。


「あそこだ」


 ルウルウは藪からそっと頭を出した。峻険な谷間に、集落がある。だがそこでうごめいているのは、魔獣たちだ。魔獣の世話を、囚われた人間たちが行っている。痩せ細った人間たちに、小型の魔族がムチをくれている。


「ゴブリンだ」


 ルウルウについてきた、ランダの配下がそう言った。小型の魔族ゴブリンは、人間の子供ほどの大きさだ。緑色の肌をむき出しにしており、異形の顔は悪意に満ちている。


 ルウルウがゴブリンを見るのは初めてだった。ゴブリンは、タージュの持っていた本で読んだとおりの姿をしている。ルウルウは不思議な驚嘆を覚えた。


「ダメダメ、驚いてる場合じゃない」


 ルウルウは首を横に振った。

 ランダの配下のひとり、クナルがルウルウの隣に来る。クナルは灰色の髪をした壮年の男だ。彼はランダとともに長くこの地で冒険者をしていたらしい。今はランダの義賊仲間となっている。


「あそこの大きな建物が、魔獣を作り出す心臓部だ」


 クナルが集落の中の建物を指し示す。隠し谷の奥に、比較的大きな建物がある。丈夫そうな石造りの屋敷だ。


「……すごく頑丈そうですね」

「もし戦争でトーリア城が陥落したら、あそこを要塞代わりに使うらしい。だから丈夫な造りになってるんだと」


 クナルはルウルウに視線をやった。ルウルウはうなずく。

 作戦はこうだ。日暮れとともに、隠し谷の心臓部を攻撃する。混乱に乗じて囚われた人々を解放する。囚われた人々の中には、こちらに呼応して戦う者も出るだろう。

 単純明快な作戦だ。とはいえ、本来はもっと慎重に計画を進めるべきことだ。


「ランダの姐御も、ムチャを言ってくれるぜ。作戦を今日にしろ、だなんて」

「そう……ですよね」


 ランダとルウルウたちが邂逅したことにより、作戦決行が早まった。ランダはグレッグたちの目を欺くためにジェイドたちについて行った。ジェイドはランダの代わりにルウルウを作戦の要として、クナルたちに託した。


 つまり、ルウルウたちにもまごまごしている時間はない。ジェイドたちと示し合わせた時間に、攻撃を開始するしかない。


 太陽が山の向こうへ沈もうとしている。春の夕暮れがあたりを赤く染めている。示し合わせた時間が迫っている。


「よし、ルウルウ。準備してくれ」

「は、はいっ」


 クナルの指示で、ルウルウは杖を構えた。雷を発生させる魔法を唱え、心臓部たる建物を破壊する――そういう作戦だ。


 ルウルウは詠唱を開始した。自分の中で魔力を編み上げていく。潤沢な魔力が、ルウルウの中で思い通りに編み上がっていくのがわかる。以前よりおのれが成長しているのを感じる。


 水魔法の中でも特に強力な、雷の魔法――強い力が、ルウルウの周囲にうずまき始める。


「――水神鳴みずがみなりの奇跡を示せ!」


 ルウルウは淡青色の瞳をカッと見開いた。ルウルウの周囲に光が生じて、バチバチと音を鳴らしながら収束する。轟音とともに収束した光が放たれ、隠し谷へと一直線に飛んでいく。


 雷鳴があたりを震わせた。雷は心臓部たる建物に直撃し、大きく破壊する。石壁が吹き飛び、谷の集落の中へ吹き飛ぶ。破壊された建物から、もうもうと黒煙が上がる。ゴブリンたちが逃げ惑っている。


「よぉし! 行くぞォ!」


 クナルが叫び、ランダの配下たちが喚声を上げる。興奮した叫びを聞いて、ゴブリンたちがさらなる異常を察知する。混乱しているようだ。


 混乱したゴブリンを見て、囚われていた人々も立ち上がった。魔獣を世話する道具を手に、ゴブリンたちに殴りかかっていく。道具がなければ瓦礫をつかみ、ゴブリンを打ち据える。そこにランダの配下たちが加わり、魔族を討滅していく。


「ルウルウ、もう一撃頼む!」

「は、はいっ!!」


 クナルの指示で、ルウルウは再度、雷をんだ。腹の底を打つような轟音とともに、隠し谷の建物が破壊されていく。建物の中で生成されていた魔獣たちは、ひとたまりもない。逃げるヒマもなく、死んでいく。


 燃え上がる集落を見て、ルウルウは足を止めた。


「あ……」


 おのれの家が、魔族に焼かれたときを思い出してしまう。急に全身が冷たくなるような気がして、脚が震えた。


「ルウルウ、どうした? 魔力切れか?」

「クナルさん……い、いえ、違います。大丈夫です」


 ルウルウは強がったが、杖をぎゅっと握って耐える。その様子を見て、クナルはルウルウの肩を叩いた。さすがにルウルウの心細さに気づいたようだ。


「すまんな、無理をさせたようだ。ここからは俺たちがやる。ルウルウは控えてくれ」


 ルウルウは杖にすがったまま、黙ってうなずいた。山の中、隠れていた場所へと向かう。

 集落からは、喚声が断続的に上がっている。人間たちが勝利しつつあるのだ。ゴブリンたちは倒され、魔獣たちは焼き払われる。火の粉と黒煙が、隠し谷を覆っていく。


「…………」


 もともと隠れていた藪の中に、ルウルウは身をひそめた。しゃがむと一瞬、ホッとする。だがいつまでも気を緩ませているわけにもいかない。顔を上げて、陥落する隠し谷を見つめた。


「……ジェイド、カイル……ランダさん……クリスティア様……」


 ここにいない者たちの名を呼ぶ。ジェイドとランダなら、この隠し谷攻めを利用して、グレッグたちを追い詰めるだろう。ミーザーンから魔王の目的や居場所も聞き出せるだろう。そう信じている。


 だがそれとは別に、心細い。ひどく頼りない気持ちになる。

 魔王と戦うには、今日と同じようなことが重なるのだろう。魔族に苦しめられる人々を助け、魔族を討つ。魔獣と戦う。


「できるかな、自分に……」


 ルウルウには頼れる仲間がいる。ジェイドもカイルもそれぞれに強い。しかしおのれはどうだ? と自問自答する。多少の魔法は使えるが、なにかが足りないと思う。なにが足りないのか――と、藪の中でおのれに尋ねる。


「ううん……やらなきゃ、いけないの」


 足りないものは、すぐにわかった。覚悟だ。ルウルウにはまだ少しだけ、覚悟が足らない。ゆえに燃え盛る隠し谷に入ることを躊躇したのだ。


 ルウルウは静かに立ち上がった。杖を構える。

 隠し谷はひどく燃えていて、魔族や魔獣だけでなく囚われていた人々も逃げ惑う段階に来ている。このままではまずい、とルウルウは感じていた。


「水よ、この世をあまねく潤す快雨かいうたるものよ」


 ルウルウは詠唱を開始する。水魔法の詠唱だ。いままで使ったことがない、大きな魔法を唱える。


「我が願いに応え、豊穣たる奇跡を示せ!」


 パァッとルウルウの周囲を明るい光が照らした。ルウルウの四方八方へと魔法が広がる。魔法は地面や草木から湿り気を浮かせ、高く空へと放り投げる。空へ投げられた水気は、集まって雲となり――雨となった。


 サァサァと音を立てて、雨が降り出す。隠し谷を燃やしていた火の勢いが弱まっていく。火にまかれそうになっていた人々も、落ち着き始める。そんな彼らを、クナルたちが誘導して脱出させていく。


「ほぅ……」


 ルウルウは思わずしゃがみこんだ。魔力切れではない。ホッとしたのだ。杖を頼りにまた立ち上がる。彼女に向かって、隠し谷の中から手を振る者がいる。クナルたちだ。作戦が成功したのを示している。


 ルウルウは手を振り返した。彼女たちの勝利が近かった。

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