「タージュは魔王のとこにおる」
「えっ」
ルウルウは驚いた表情を浮かべたあと、眉をわずかに寄せる。あの優しく善なるタージュが、魔王のそばにいる。その意味が推察できない。囚われているのか、おのれの意志で行ったのか。アシャの言葉からはわからない。
「お師匠様って魔王のところにいるんですか!?」
「言うたとおりじゃ」
アシャがじろりとルウルウをにらんだ。ルウルウは思わずすくんで、黙ってしまう。
それを見かねて、ジェイドが穏やかな口調で尋ねた。
「どういうことだ? 賢者殿は、魔王とは関係がないのか?」
「ハッ! わしは魔神の信奉者やけど、魔王のことは嫌いや。魔族を統一した程度で調子のりくさって、
アシャは魔王を口汚く罵る。どうやら彼女は魔王のことをかなり嫌っているらしい。アシャは
「挙句の果てに、やつぁ魔神そのものに成ることを望んどるんや。ガチで気に入らん!」
「魔王が……魔神に?」
魔神と魔王は別物である。魔神とは世界創生より二番目に生まれた、混沌の化身である。魔神は魔族を造った。その魔族たちの中からいでて、統一王となったのが魔王である。魔王は魔神の被造物に過ぎない、というわけだ。
その被造物たる魔王が、神の座を狙う。不遜な話だ。ありそうな話ではあるが、途方もない話でもある。
「魔王は神になるべく聖杯を盗んだんや。聖杯はこの世に遺っていた、貴重な神の聖遺物じゃしな」
「聖杯で神になることができるのでしょうか?」
「魔王はそう思うとる。じゃからタージュを囚えたんや」
アシャの言葉に、ルウルウは身を前に乗り出した。
「お師匠様を捕まえた、理由は?」
「そら、タージュが聖杯の使い方を知っとるからやろ」
アシャはあっさりとそう言った。
ルウルウはなんとなく納得する。タージュの深い知識ならば、聖杯を途方もない使い方をする方法を知っているのかもしれない。だから魔王はタージュを囚えたのだ。
「あの……それで、お師匠様は無事なんですか?」
「タージュはな、いま聖杯の守護霊となっとる」
「守護霊……?」
「傷つきやすい肉体から魂だけを離し、聖杯に宿る。そうすることで聖杯を守り、誰にも使えんようにしとるんや。まるで鍵のかかった宝箱のように、な」
肉体から魂を離し、魂で自由に動くすべ――ルウルウの知らない魔法だ。聞いただけで、ただの魔法使いでは挑戦もできない高等な魔法だとわかる。だがタージュならばできるのかもしれない、ともルウルウは思った。
ジェイドが尋ねる。
「賢者殿、どうしてそのことを知ったんだ?」
「なんや、種明かしが欲しいんか」
おかしそうにアシャは笑った。汚れた歯が見える。アシャはまた革袋に口をつけて、中身を飲んだ。酒臭い息を吐いて、機嫌よく語りだす。
「わしはエルフと人間のあいだにできたガキでな。どっちからも半端モン扱いされとるが、ひとつだけほかの連中より優れた器官がある。眼ぇや!」
アシャは自身の目を指した。紫色の瞳が、ギョロリと白髪のあいだからのぞく。
カイルが補足した。
「昔から、ハーフエルフには千里眼を持つ者が出るというんだ」
「つまりわしの眼ぇじゃ」
「なるほど……」
ハーフエルフ、つまりエルフと人間の子ども。どちらでもあり、どちらでもない子どもは、エルフからも人間からも嫌われるという。ひどい話だが、差別は根強い。しかもあらゆる物事を見通す眼を持つというならば、気味悪がられることもあるだろう。
アシャはそんな千里眼を使い、西方大陸の物事を見通しているらしい。
「納得いったか? やけど、わしの眼ぇはみせモンちゃうぞ。わしに視てほしけりゃ、それなりの代償がいる」
アシャはケタケタと笑った。どうやら革袋の中身を飲んで、機嫌がよくなってきたらしい。
「魔王がわたしを狙う理由は、なんですか?」
「なんや。タージュから聞いとらへんのか?」
アシャはふむ、と鼻を鳴らした。杖を抱え込むように持つと、低い声で告げる。
「タージュは聖杯を守る宝箱と化した。宝箱にはカギがついとんのが当たり前や。カギは堅牢やが、開ける手段がないわけやない」
紫色の瞳で、アシャはルウルウをじろりと見る。そして杖でルウルウを指す。
「ルウルウ。
「え……!?」
ルウルウは驚いた。信じられない話だ。ルウルウにとってタージュはかけがえのない師匠だが、タージュにとってルウルウがカギになるとは思えなかった。タージュは優しい人だが、情にもろすぎるタイプでもなかったからだ。
「でも、わたしにそんな力があるとは……」
「魔王のアホは少なくともそう思うとる」
アシャはフン、と鼻を鳴らした。魔王など恐れていない、という口調だ。アシャは自身の杖を抱えて、腕を組む。枯れ枝のような腕が見える。
「魔王はどこまでも追いかけてくるぞ。あのアホはしつこいからな」
「つまりそれは、ルウルウを人質に取るということか?」
ジェイドが口を挟んで、尋ねる。タージュの弱点として、ルウルウを使う。魔王の考えそうなことだ。それは納得がいく。
アシャは首をひねり、ルウルウたちを見回した。ルウルウ、ジェイド、そしてカイルを見て、ううん、とひとつうなる。ため息をついて、首を振った。
「そういうことやろ」
アシャが答える。そしてじろりとルウルウを見据える。
「ルウルウ、貴様は魔王と相対せんといかん。師匠を救うならば……否、生きていくのならば、魔王を退ける戦いをせんとならん。運命や」
「運命……」
ルウルウは運命という単語を繰り返した。運命――つまり魔王を倒しタージュを助けることが、ルウルウの必ず行くべき道なのだ。アシャはそう言っている。
タージュを助けることは、おそらく魔王が魔神になることを防ぐ意味もある。仮に魔王が魔神になったとして、世界がよくなるとは思えない。破滅的な未来さえも予想できる。
「魔王が魔神になるんを邪魔するんは、世界にとってもええことやろ」
「覚悟を決めなきゃいけない……のですね」
ルウルウの言葉に、アシャは首を横に振った。
「覚悟が決まる、決まらんは関係ない。貴様は必ずそうなる。魔王と戦うことになるやろ」
「そう、ですか……」
ルウルウは思案する。魔王と戦う。途方もない話に思える。だが運命だと言われれば、そうかもしれない。なにせ師匠タージュが魔王のもとに囚われているも同然なのだ。取り戻しに行くべきなのだろう。
ルウルウの頭の中が、クリアになりつつあった。