三人に魔獣サーペントという危機が迫っている。
「……そうだ!」
ルウルウはやっとなにかを思いつく。あせった口調で、カイルに尋ねる。
「カイル、矢避けの魔法! ジェイドにかけられる!?」
「え、そりゃできるが……?」
「お願い、やって!」
「わ、わかった!」
カイルが矢避けの風魔法を詠唱し始める。ルウルウもまた杖を持ち直し、詠唱を始める。水の攻撃魔法を、唱える。
「水よ、この世をあまねく凍らす氷河となるものよ」
ルウルウはおのれの中で、魔力を編み上げる。おのれの魔力の残量が頼りないのも感じ取る。まだ十分に回復できてないのだ。だが魔力切れが不安などと、言っていられない。いまは全力を尽くさねばならない。そんな気がする。
「我が願いに応え、氷条たる奇跡を示せ!」
ルウルウは、つららを撒き散らす水魔法を発動させた。杖を振り上げ、空中に生じた水の塊を飛ばす。ジェイドとサーペントのあいだを狙う。
「……矢避けの奇跡を示せ!」
カイルもまた、矢避けの風魔法を発動させた。ジェイドを守るための魔法だ。カイルの魔法が、素早くジェイドにかけられる。
ルウルウの飛ばした水の塊が空中に浮かび、氷に変換される。水はつららとなり、鋭い勢いで撒き散らされる。四方八方へ飛んでくるつららから、矢避けの魔法がジェイドを守る。なにも守りがないサーペントに、つららが襲いかかる。
「シャアッ!?」
サーペントは飛翔する氷に、のけぞった。魔法で飛ぶつららすら、サーペントには大した傷を与えられない。だがルウルウの狙いはそこではない。
のけぞったサーペントの喉元で、キラリ、とひときわ強く鱗が光った。大きな鱗だ。
「――!」
ジェイドが動いた。地面を蹴り、サーペントに肉薄する。肉薄するあいだに、ショートソードを持ち直して――
「シャアアアアアッ!!」
大きくのけぞったサーペントの頭が、後方へと崩れ落ちる。ズズンと地響きを立てて、サーペントが倒れた。サーペントはビクビクと痙攣し、やがて動かなくなる。
「はぁ、はぁ……!」
ジェイドは荒く息を吐き、腰の短剣を抜く。護身用のごく短い剣だ。油断なく短剣を構え、サーペントの様子を見る。サーペントの瞳から、生きている光が失われていくのが見えた。
「や、やった……!」
カイルがぐっと拳を握って、勝利を確信する。
ルウルウは杖にしがみつくようにして、様子を見ている。脚が震える。手が冷える。回復しきっていない魔力を使ったのだ。魔力切れ手前のような、不快感が襲ってくる。もう一回、魔法を使えばまた倒れてしまうだろう。
「ジェイド……」
「大丈夫だ、倒した」
ジェイドは短剣を腰に戻す。サーペントの体に足をつき、その喉に刺さったショートソードを抜く。サーペントの傷口から、赤黒い血がどろりと流れた。血が激しく噴き出さなかったのは、サーペントが完全に心停止して死んでいる証拠だ。ジェイドはショートソードに付着した血を払い、剣帯にある鞘に収める。
「ルウルウ、よく知ってたな。喉元に弱点があるって」
「お師匠様の……本にあったから」
ルウルウは気だるげに答えた。そう、彼女は思い出したのだ。サーペントの喉には、一ヶ所だけ柔らかい鱗があるのを。その鱗は、サーペントの唯一の弱点だ。そこを貫くことができれば、サーペントは倒れる。タージュが持っていた本に掲載された知識だった。
ジェイドがニッと笑う。ルウルウとカイルを安心させようとしている。
「カイルもよくやった。矢避けがあって助かった」
「ふいー……あせったけど、なんとかなってよかったぜ、旦那ぁ」
ジェイドはルウルウとカイルのもとに戻り、たがいの無事を確かめる。大きな怪我もなく、サーペントを倒せたようだ。ルウルウもホッと胸をなでおろした。
「ジェイドは……弱点、知ってたの?」
「いいや、確信はなかった。だが東方大陸にも竜はいてな……」
ジェイドは東方大陸の出身だ。顔にかかった黒い前髪を払い、ジェイドが語る。
「竜には、背や喉元に一枚だけ逆さについた鱗があるという。これを逆鱗といい、温厚な竜を怒らせる場所だとも、あるいは一撃必殺の弱点だとも言う……」
ジェイドはサーペントに視線をやる。サーペントは蛇であって竜ではない、とする説もある。だがサーペントにも逆鱗があり、そこは弱点だったのだ。ジェイドとルウルウの知識がたがいに助け合い、勝利をつかんだ。
「助かった、ルウルウ。ありがとう」
ジェイドに礼を言われ、ルウルウはニコッと笑ってみせた。役立てたことが嬉しく感じる。サーペントの弱点を見抜いたときよりも、喜ばしい感情が胸の中に浮かんでくる。ホッとした気持ちと、嬉しい気持ちが混じり合う。
そうこうしていると、サーペントの死骸が変化を始める。全体が真っ黒に染まり、塵のように砕ける。そのまま夜風に乗って、飛ばされていく。飛ばされながら、風に溶けていくようだった。
「しかし……」
ジェイドがサーペントの砕ける様子を見ながら、つぶやく。彼の眉根が寄っている。釈然としない、という様子だった。
「これは賢者の仕業なのか?」
「あ……」
ジェイドのつぶやきに、カイルとルウルウもハッとした。
ここは霊山のふもとの森。魔族は近寄らない場所だ。こんな場所で凶暴なサーペントに出くわすとすれば、それは賢者の術なのではないか。そのことに気づく。
「そ、そうだよ。これ間違いなく……アシャの仕業だ!」
カイルが叫んだ。
ルウルウは唖然とした。魔神を奉じる賢者とは、思っていたよりずっととんでもない人物のようだ。おのれの見通しの甘さに、ルウルウはすこし心がしょげるのを感じた。
カイルがあたりを見回す。闇に閉ざされた森に向かって、叫ぶ。
「アシャ! 見てるのか!? 僕だ、カイルだ!」
「おうよ」
後方から返事があった。三人はバッと振り返る。
いつの間にか、たき火が焚かれている。そのたき火の前に、みすぼらしい老女が座っている。ボサボサに伸びた髪に、ボロボロの長衣をまとっている。薄汚れた顔には深いしわがあり、長い耳がついている。枯れた枝のような杖を持ち、火に当たっている。
「…………」
ジェイドが黙って剣を抜く。ルウルウとカイルの前に出て、油断なく剣を構える。
「あのサーペントは、貴殿の差し金か?」
「だとしたらどないやっちゅうねん?」
老女は、しゃがれた声でそう言った。西方大陸の共通語ではあるが、訛りの強い言葉遣いだ。
「大した怪我もせんと倒せたんやから、かまへんやろ。それぐらいしてもらわな、おもろない」
老女はずけずけとそう言ってのけた。サーペントは彼女の指示でジェイドたちを攻撃した――と老女は言っている。
ジェイドは心を引き締めたまま、老女を観察する。そして、彼女の耳がカイルよりやや短いのに気づく。エルフの個体差というには、明らかに短い耳だ。そうした耳を持つエルフは、つまり――。
「貴殿は……」
「ハーフエルフ。そう思うたやろ?」
老女の答えに、ジェイドが驚いた表情を浮かべる。ギュッと剣の柄を握りしめる。どうやらジェイドの考えていることを、老女は見透かしたらしい。
ルウルウは首をかしげる。耳慣れない単語を聞いた気がする。
「ハーフエルフ……?」
「アシャ! やっぱりさっきのは、アシャの仕業だったんだな!?」
カイルがルウルウたちの疑問をさえぎるように、大きな声を出した。
どうやらこの老女が、賢者アシャらしい。彼女は賢者のイメージとはずいぶんかけ離れている。賢者とは、もっと賢慮な態度が雰囲気に出ている者ではないのか。この老女はまるで妖しげな呪術師である。
「おうよ、相変わらず人間とつるみおるのか」
老女はカイルにそう言って、ケタケタと笑った。小馬鹿にしたような、それでいて納得したような雰囲気がある。そして悠然とした態度で、老女は続ける。
「まだわからんのやったら名乗ったるわ」
呆然とするルウルウとジェイドを小馬鹿にしたように、老女は言った。
「導きの賢者アシャ、とはわしのことや」
ハーフエルフの老女は、あっさりとそう名乗った。
第2話へつづく