ルウルウは、タージュに鋭く問いかけた。目の前のタージュはタージュではない、という確信を持っている。
「あなた、いったい誰!?」
タージュは差し出した手をゆっくり下ろしていく。悲しげな表情だ。しかしすぐに、タージュの口元がにやぁっとイヤな笑みを浮かべる。一歩、前に出る。
「ルウルウ」
「近寄らないで! 誰なの!?」
「タージュですとも、我が弟子」
「嘘! お師匠様じゃない!」
ルウルウは必死で叫ぶ。恐ろしい。くやしい。そして腹立たしい。目の前の者に
ルウルウは迷っている。杖を突きつけたはいいが、魔法を撃つべきか迷う。タージュではない、タージュの顔をした者と戦う――ためらいがある。霧の中に、おのれの心もあるようだ。
「ルウルウ! そこかい!?」
カイルの声がした。次の瞬間、霧の中からジェイドが飛び出す。ジェイドはショートソードを抜き、タージュの首を横に薙ぎ払った。一閃の早業だった。タージュの首が断ち切られ、頭部が前へと転げて地面に落ちる。
「……っ!」
さすがにルウルウは立ちすくんだ。偽物とはいえ、師匠の顔をした者だ。その首が落ちたことに、動揺してしまう。
「ルウルウ!」
「ジェイド……!」
ジェイドがルウルウの前に立ちはだかる。ジェイドは油断なく剣をかまえ、タージュだった者に対峙する。
ルウルウはわずかに安堵した。混乱した心が鎮まったわけではないが、ジェイドがいてくれることに心強さを感じる。
タージュだった者の肉体は、立ったままだ。斬られた首からは血が出ない。肉体はそのまましゃがみこむと、タージュの頭を拾った。まるで生きている者の仕草だ。拾われたタージュの頭がジェイドたちの方を見て、にんまりと笑った。
「くく、くくく」
「貴様……魔族か!?」
「いやいや、このもてなしは気に入らんかったか」
ジェイドが鋭く問いかける。
タージュだった肉体に抱えられた頭部が、すらすらとしゃべる。口調も声音も、いままでとは違う。しゃがれた老女のような声がする。ただ者ではない。
「せやったら、趣向を変えたろうやないか……」
タージュの顔をした首がそう言うと、霧がいっそう濃くなる。タージュの肉体が、霧の向こうへ下がる。姿が見えなくなる。
「くくく……フフフフ……」
含み笑いの声が、あたりに響く。笑い声は不気味にこだまして、ルウルウたちの不安を煽る。ルウルウはあたりを見回した。霧が濃く、タージュだった者の姿は見えない。いったいなにを仕掛けてくるのか。見当もつかない。
ジェイドが大声で呼びかけた。
「カイル! やれるか!?」
「あいよ!」
ルウルウの後方からカイルの声がした。霧にまぎれているが、どうやらたがいの位置はわかっているらしい。ルウルウはまたわずかに不安が薄れるのを感じた。
「風よ、この世をあまねく吹き上げる
カイルが近くで詠唱している。後方の霧のむこうで、彼の魔力がほのかに発光する。カイルの魔力が編み上げられていくのがわかる。
「我が願いに応え、
カイルの言葉とともに、つむじ風が吹き荒れる。その場にいる全員の髪がバサバサと吹き上げられる。つむじ風は濃い霧を晴らしていく。たき火をも消してしまう。あたりが星明かりで照らされる。
霧が晴れると、ジェイドとルウルウの後方に、カイルの姿も見えた。
「カイル!」
「ルウルウ、よかった! 旦那も!」
「ああ。助かった、カイル」
三人は集まり、彼らの前にいるタージュだった者と対峙する。霧が晴れて、姿が見えるようになったのだ。カイルがフウッと息を吐いた。紫色の瞳で、カイルは目の前の者をにらむ。
「旦那、ルウルウ。こいつぁ、間違いなく……」
カイルが言いかけた途端、タージュだった者の姿が変わる。全身が闇のように真っ黒になったかと思うと、メキメキと音を立てて巨大化する。腕や足は失われ、巨大な丸太のような姿が、星明かりの中で黒く浮かび上がる。
「こいつぁ……こいつぁ……!?」
カイルが絶句して、目の前にいる者を見上げる。ジェイドとルウルウも言葉を失う。
巨大な黒い影が白色に変化し、星明かりを反射する。姿が見える。わずかな光をも反射する、強靭な鱗に覆われた存在――
「魔獣だ!」
「シャアアアアアーーーー!!」
ジェイドが前に出ると同時に、魔獣サーペントが咆哮を上げた。空気と金属を硬くこするような、不快な音が放たれる。ジェイドが顔をしかめる。ルウルウとカイルは思わず耳をふさぐ。
「ルウルウ、カイル、下がれ!」
「ルウルウ……こっち!」
カイルが耳の不快感に顔をしかめながら、ルウルウの手を取った。さらに後方に下がる。カイルがルウルウの前に立ちはだかってくれる。ルウルウを守ろうとしてくれているのが、わかった。
「シッ!」
ジェイドは素早く踏み込んだ。サーペントの体に、ショートソードの一撃を浴びせる。ザリッといやな感覚がして、剣が滑るように弾かれる。火花が散る。ジェイドは素早く、後方に下がる。ショートソードを構え直す。
「シュルルルル……」
サーペントは口を閉じ、長い舌をシュルシュルと出して翻す。獲物を狙っているときの、蛇の仕草そのものだ。そのギラギラとした眼が、ジェイドを狙っている。ジェイドにスキが生まれる瞬間を狙っている。
「くそ……」
ジェイドは歯噛みした。たき火の炎はとうに消え、あたりはほぼ闇である。視界がかなり危うい。ジェイドは夜目が悪い方ではないが、森の中の暗さが敵になる。
対するサーペントは、鱗が星明かりを反射していて位置はわかる。だが弱点はわからない。鱗に剣は通らない。無理に一撃を繰り出そうものなら、ショートソードの方が折れてしまうかもしれない。武器が折れれば、ジェイドの攻撃手段もなくなる。そうなればかなり危険だ。
だが戦わないわけにはいかない。このサーペントに背を向けて、逃げおおせられるとは思えなかった。
ジェイドはなるべく、ルウルウたちにサーペントを寄せないよう、おのれの立ち位置に注意する。油断なく殺気をサーペントに送り、サーペントが意識をそらさないようにする。
「シャアッ!」
サーペントが体勢を変えた。長い尻尾が振り上げられる。
ジェイドはタイミングを見計らい、真横へと飛んだ。いままでいた場所に、サーペントの尻尾が振り下ろされる。轟音とともに、地面が大きくへこむ。
「こっちだ、バケモノ!」
ジェイドはサーペントの真横に回り込み、ショートソードで薙ぐ。剣と鱗がこすれあって、火花が散った。鱗は斬れず、サーペントは無傷だ。
それでも、ジェイドは攻撃の手をゆるめない。ショートソードを折らないように、威嚇のような攻撃を繰り出す。サーペントの注意を引いて、ルウルウたちを守る算段だ。
しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。いずれ限界が来るのは明らかだった。そのことはルウルウとカイルにも理解できる。
「カイル、どうしよう……!?」
「どうしよう、たって。な、なにか弱点……とか……」
カイルも考えあぐねているようだ。こちらから出せる手札は限られている。
「弱点……」
ルウルウは杖を握り、必死で考える。サーペントのことは多少ならわかる。タージュの所蔵していた本に、記述があったはずだ。打開策を思い出そうと、ルウルウは必死で記憶をたぐる。魔獣サーペント、その弱点を思い出そうとする。
長いようでいて、一瞬の時間が過ぎていく――。