目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報
第1-1話 霊山の魔獣

 霧の中、ルウルウの前に現れた女性。

 ルウルウの師匠にして、育ての親。聖杯の魔女タージュが立っている。濃灰色のウェーブした髪、緑色の瞳、やさしげな容貌――すべて、ルウルウの記憶と一致するタージュの姿だ。


「ルウルウ、よく来ましたね」

「お師匠様……」


 深みのある優しい声が、ルウルウに語りかける。

 ルウルウの頭は混乱している。なぜここにタージュがいるのか、わからない。二年のあいだ、どうしていたのか。ずっとこの森に隠れていたのだろうか。導きの賢者のことは知っているのか。尋ねたいことが、いくつも頭の中に浮かぶ。


 そんなルウルウの混乱を見透かしたように、タージュが語りかけてくる。


「つらい想いをさせました。ルウルウ、こちらにいらっしゃい」

「お……お師匠様!」


 ルウルウの頭の中では、なにもかも考えが追いつかない。だが体が動いていた。ルウルウはタージュに駆け寄り、抱きついた。


「お師匠様、お師匠様……!!」


 ルウルウの淡青色の瞳から、涙がこぼれた。涙の温かさが、頬に伝っていく。

 タージュは黙って、ルウルウを受け入れた。ルウルウの真珠色の髪を、優しく撫でる。ルウルウが泣いたときに、いつもしてくれた仕草だ。タージュの手は、温かい。


「私の自慢の弟子、ルウルウ。よく頑張りましたね」

「お師匠様、お師匠様……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「謝らないで、ルウルウ。大丈夫ですよ」


 タージュは、泣いているルウルウを優しく慰める。ルウルウはホッとするものを感じた。タージュは楽しく、ときにユーモラスで、とても優しい人だ。泣いているルウルウを、いつも穏やかに慰めてくれた。なにもかもを見通したように、導いてくれた。


「ルウルウ、どうしてここに?」

「お師匠様、それは……」


 ルウルウはタージュに寄り添ったまま、語り始める。

 薬作りをしていたこと。そこに冒険者ジェイドがエルフの少年カイルを背負って逃げてきたこと。少年を治療したこと。魔族に襲われ、家を焼かれたこと。魔族から逃げたこと。導きの賢者を求めて、この森に来たこと。おおよそ、ルウルウの主観でわかることを、語り尽くした。


「お師匠様、本当にごめんなさい……」


 ルウルウは詫びた。魔族に焼かれたルウルウの家は、タージュの家でもあった。タージュが残してくれていたものがたくさんあった。それをみすみす失ったことは、謝らなければならないとルウルウは思っていた。


「もし責めるなら、わたしが責を負います。ジェイドやカイルのせいじゃない……」


 ルウルウは悲痛な思いで、そう言った。事態の見かたによっては、ジェイドやカイルが魔族につけられた責任がある。だが、そうではない――とルウルウは言いたかった。家を捨てて逃げた、その責任はおのれにもある。ルウルウはそう思っている。


「…………」


 タージュは黙って、ルウルウの語るままに聞いていた。そして聞き終わると、ひとつうなずいた。


「よくわかりました……本当に、いろいろあったようですね」

「はい……」


 ルウルウはしゅんとうなだれた。悲しく、恥ずかしい気持ちになる。

 タージュはルウルウを座らせた。たき火を焚いていた場所に、タージュは手をかざす。小さい声で呪文を詠唱すると、ポッと火がともる。簡単な火付けの呪文だ。


 小さく揺れるたき火を見ながら、タージュは語りだす。


「家が失われたことは、仕方がありません。緊急のことだったのですね」

「はい……」

「……薬の数々は惜しいものでしたが」


 タージュもひどく残念そうに言った。

 彼女の言うとおりだ。ルウルウとタージュの家にあった薬は、タージュが作った秘薬も少なくなかった。それらがすべて焼けてしまった。秘薬のレシピを書いた書物も、数多く焼けてしまった。損害は小さくない。


「セイホウサイの粉薬、ウミヒクイドリの塗り薬……すべて焼けてしまったのですね」

「はい……」


 タージュは、特に貴重な秘薬の名前を出す。いずれもタージュが作ったものだ。珍しい材料でつくった秘薬は、ものによっては小国が買える値段で取引されることもある。タージュには欲がなく、いずれも近隣の住民に小さな代償で施していた。ルウルウはそんなことも思い出していた。


 タージュがルウルウの隣に歩み寄る。


「特に、ヒヨスリイバラの煮出し薬は……」

「……!?」


 その瞬間、ルウルウはタージュから飛び退いた。たき火が揺れる。

 タージュがわずかに目を丸くし、ルウルウに手を差し出す。


「どうしました、ルウルウ? なにか……」

「あなた、誰?」


 ルウルウはタージュに、おのれの杖を突きつけた。ルウルウの手はわずかに震えている。だがルウルウは明確に敵意をこめて、キッとタージュをにらむ。


「ヒヨスリイバラの煮出し薬は、わたしだけのレシピです! お師匠様は……一度も作ったことがない!!」


 ルウルウの鋭い言葉に、タージュは虚を突かれたように立ちすくんだ。事実だ。ヒヨスリイバラを煮込んで作る軟膏は、タージュが失踪してからルウルウが編み出したレシピだ。タージュが「失われて惜しい」と言うはずがない。彼女はそんな薬が家にあったことすら知らないはずなのだから。


 つまり、ルウルウの目の前にいるのは、タージュではない。タージュの姿をした、何者かである。ルウルウはギュッと杖を握りしめる。胸の中に怒りが湧いてくる。


「もう一度、聞きます。あなた、誰!?」


 ルウルウは鋭く問いかけた。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?