ジェイドがカイルに、賢者に尋ねることはないかと
「僕はこのまま、傭兵団に戻らなくてもいいかどうか、とか」
「あ……」
そう言えばそうだ。カイルは、傭兵団長に買われた道化師なのだ。カイルの身柄は本来、傭兵団に戻さねばならない。
「もしナディバで傭兵団が負けたなら、逃亡したって怒られない……と思うけど」
魔族と戦った傭兵団が、もし敗走していたら。そうであれば傭兵団は評判を落とし、所属する兵が逃亡することも想像できる。逃亡したところで、大して追われるわけでもない。逃亡兵は故郷に帰るか、冒険者にでもなって日銭を稼ぐことになる。
「カイルは……戻りたく、ない?」
「そうだね」
ルウルウのおずおずとした確認に、カイルはあっけらかんと答えた。
「飯は出るけど、売られて買われるのは……いろいろ大変なんだ」
明るく語っているが、カイルの紫色の瞳には底知れぬ苦労がよどんでいる。眉目秀麗な少年エルフの道化師――その人生は、きっと大変なものだったろう。
「いろんな場所に送られて、いろんな人間……エルフや亜人も見てきた。でもそろそろ、自由になってもいいんじゃないかって、思うときもある」
カイルは、ルウルウとは正反対の境遇だ。
ルウルウは、自由の身であるが、レハームの森から出たことはほとんどない。一方のカイルは、束縛された身であるが、世界中を見てきたのかもしれない。
そんなふたりが、いまここで旅をしている。奇妙な縁というべきだろうか。
「だから、アシャに訊いてみて答えが得られたら……まぁできれば戻らずに済む見通しが立てばいいんだけどね、あっはっは」
カイルはケラケラと笑った。彼のこの明るさは、道化師という役割にはぴったりだと思える。周囲を明るくする天性が、カイルにはあるのかもしれない。
ルウルウはそんなカイルを見て、胸の中に湧き出るものを感じていた。
「……わたし、カイルのことももっと知りたい」
「へへぇ?」
「どんな亜人に会ったの? どんな国に行った? 嬉しいこと、あった?」
「はは、そんないっぺんに聞かれても……」
ルウルウの質問攻めに、カイルが苦笑した。
ジェイドがわずかにほほえんで、焚き火に枯れ枝をくべる。小さな火がパチパチと音を立てる。赤色から黄色のグラデーションをつけて燃える炎は、春先の夜を温める。
「じゃあ、どんな国に行ったかの話からしようかなー」
「うん、お願い!」
カイルがひとつ空を見上げて、視線を焚き火に戻す。焚き火からは細く白く煙が上がり、夜空へと吸い込まれていく。春先はまだ夜が長い。いずれ明ける夜だが、人を不安にさせるには十分な暗さがあった。
「それじゃあまず西にあった大国のお話……」
カイルの話が、おもしろおかしく始まる。ルウルウはそれを聞きながら、ふと焚き火に視線を落とした。
さあっと風が吹いた。冷たい風だ。ルウルウは身を震わせ、顔を上げる。
いつの間にか、カイルとジェイドの顔がぼんやりと薄まって見える。ああ、霧が出てきたのか。と理解するのと同時に、あたりが見えぬほどの霧で覆われる。
「ジェイド? カイル?」
ルウルウは立ち上がった。足元で、焚き火が消える。あたりが闇に閉ざされる。ルウルウはあわてて、隣に横たえてあった杖を拾った。真珠の御守りがあしらわれた、タージュの杖。ぎゅっと握って、あたりを見回す。
「ジェイド! カイル!! どこ!?」
ルウルウは声を張り上げた。答えがない。あたりは暗いが、白っぽい霧が出ているのはなぜか知覚できた。一歩踏み出すのもためらわれるほどの、霧だ。
「ジェイド……」
困り果てた子犬のように、ルウルウはあたりを見回す。杖を強く握ると、必死で呪文を思い出そうとする。霧を晴らすような呪文は知らないが、なにか役立つ魔法を知っていたかもしれない。そう思って、自分の知識と格闘する。
「……どうしよう」
いい呪文を思い出せない。ルウルウは立ちすくんだ。
その時――地面を踏みしめる音がした。靴で地面を歩く音だ。
「ジェイド? カイル?」
ルウルウは呼びかけてみる。霧がすこしだけ、晴れる。夜闇の中に、ぼんやりと白い人影が浮かんで見える。
「ルウルウ」
人影が呼びかけてきた。霧がさらに晴れて、相手の顔がハッキリと見える。
その者は、濃灰色の長い髪をしている。真っ白なローブを重ね着しており、手には杖を持っている。緑色の瞳でほほえんで、ルウルウを見た。
「お師匠様……?」
「ルウルウ、よく来ましたね」
ルウルウの師匠、聖杯の魔女タージュその人であった。
第2章につづく