ルウルウ、ジェイド、カイルはハーリス山麓の森に到着した。鬱蒼とした森に、巡礼者の道が続いている。森に入っていく。道を外れないように、歩いていく。
「カイル、賢者がどこにいるか、わかるか?」
「山に近づけば近づくほど、アシャのテリトリーだと思う」
「……山を登り始めても、見つからなかったら?」
「大丈夫、アシャは僕たちのこともお見通しさ。どこかで見てるんじゃない?」
カイルの気楽な言葉に、ジェイドが呆れたように肩をすくめた。
森は深かった。大きな樹木が何本も生えている。まだ春先だというのに、深い常緑を保った木々が、ルウルウたちを見つめているようだ。
「もうすぐ、
ジェイドが木々のすきまから、太陽の角度を見る。まだ日暮れではないが、山際は暗くなってくるのが早い。
ジェイドの主導で、ルウルウたちは野営の準備に入った。大きな樹木の影に平たい地面を見つけ、そこに陣取る。焚き火の準備をする。水や食料は、先の村で分けてもらったものだけだ。
まだ春先の、肌寒い時期である。木の実を取るには季節が早すぎる。山菜はあるが、食べられるようにするには、調理の手間がかかりすぎる。生でかじってもいいが、腹を壊すリスクを考えると
「ねぇ、ジェイド」
たき火を囲みながら、ルウルウが尋ねる。
「冒険者のあいだでの導きの賢者って、どういうホラ話なの?」
「そうだな……千里眼でなにもかも見通すとか、不死身の肉体を持っているとか、そういう感じだな。出会って魂を吸われた者もいる、竜をけしかけられた者もいる、という噂もある」
ジェイドの答えは、いかにも冒険者たちが好みそうなホラ話だった。冒険者たちが憧れ、冒険者たちが苦難する相手として作られた、賢者という虚像。酒場で酒を飲み、その勢いで話が大きくなっていったのかもしれない。
ルウルウは考え始める。
ルウルウの師匠であるタージュも、「聖杯の魔女」と呼ばれてずいぶん大変だった時期があるらしい。何十人もの兵士に押しかけられたとか、貴人から金銀財宝を積まれたとか、タージュはずいぶんおもしろい話をしてくれたものだ。タージュの語り口がこれまたユーモラスで、幼いルウルウは夢中になった。
いま思えば、あれはタージュのホラ話だったのかもしれない。幼子を楽しませる物とてない森の中で、タージュはルウルウを情感豊かに育ててくれた。そう考えると、ルウルウの胸がキュッと痛む。思い出が消えないのはわかる。それでも、場所を失ってしまったことは悲しいことなのだ。
「……ルウルウ?」
カイルがルウルウの顔を心配そうにのぞきこむ。ルウルウはハッとして、夕食のドライフルーツを口に放り込んだ。モグモグと噛んで、飲み込む。甘酸っぱい風味が、ルウルウを現在に引き戻す。
「カイル、同族のよしみがあると言ったな。アシャはどんな顔をしている?」
ジェイドがカイルに尋ねる。
カイルはポリポリと頭を掻いた。黄金色の巻き毛が揺れる。
「うーーん、そうだなぁ」
カイルは、ジェイドとルウルウを手招きした。ふたりが顔を近づけると、カイルは声をひそめた。
「すっごい小汚い、んだ。醜いと言ってもいいかもしれない」
「……は?」
カイルの言葉に、ジェイドが怪訝そうに眉を寄せる。ルウルウも首をかしげた。
エルフ族は本来、種族全体が眉目秀麗という特徴を持っている。第一の神が雲からエルフ族を作ったときに、祝福として絶対的な美しさを与えたのだと伝わっている。
つまり、小汚く醜いエルフというのは、矛盾した存在だ。
「……それは、ホラ話か?」
「いいや、マジマジ。マジの話よ」
ジェイドが確かめるように、カイルに尋ねた。カイルはあっけらかんと答える。
「……本当にエルフなのかも怪しくなってきたな」
「いやいや、そういうのもいるんだって! 会えばきっとわかるから!!」
カイルが大きな声で熱弁するので、ジェイドとルウルウは彼から顔を離す。
ルウルウはひとつうなずいた。
「カイルが言うなら、きっとそういうエルフもいるんだね」
「ほらぁ~、ルウルウはわかってくれるよな! な! 旦那ぁ!」
「俺だけが頭が硬いみたいな言い方するな」
三人は顔を見合わせて、ドッと笑った。
ルウルウは楽しさを感じた。悲しみは心の底に、沈んだまま確かにある。それでも、人は笑う。楽しく話して、焚き火の温かさを分け合って、笑うことができる。
それを理解すると、ルウルウの瞳が熱くなった。涙があふれそうになり、ルウルウはなんとか我慢した。何度も、目を瞬かせる。
「ルウルウ」
笑いをおさめたジェイドが、真剣な声で語りかける。
「大丈夫だ。どんな奴が出てきても、油断しない。今度こそ、俺は……」
次は必ず守る――とジェイドが言ってくれている。ルウルウにもそれが理解できた。ルウルウは確信と嬉しさをこめて、ジェイドにうなずいて見せた。
「信じてる、ジェイド」
「ああ」
ルウルウは右手をジェイドに差し出した。ジェイドも右手を出し、握手する。彼のゴツゴツとした手が、冷たいような温かいような、不思議な感触を伝える。ジェイドの手は、ルウルウよりもずっと経験豊富で世界を知っている。そんな雰囲気がある。
「ねえ、ジェイド。ジェイドは、賢者さんに聞きたいことはないの?」
「俺か?」
握手した手を解きながら、ルウルウはジェイドに尋ねた。ジェイドがきょとん、と目を丸くする。漆黒の瞳を伏せて、考え込む。
「……いや、ない」
しばし考えて、ジェイドはそう結論づけた。彼らしい答えだ、とルウルウは思った。
カイルが身を乗り出す。
「え、ホントにないの、旦那?」
「タージュ殿のこと、魔王のこと。それはルウルウが訊くべきことだろう。ルウルウが訊いて、俺たちに共有するならなんら問題はない」
カイルの確認に、ジェイドはそう答えた。道理だ。ルウルウの師匠タージュと魔王の関わりは、弟子であるルウルウが尋ねてこそ、価値がある。
「俺個人で、賢者に聞きたいことはない」
「そうなんだ。ま、旦那らしいっちゃ旦那らしいや」
「そういうカイルはどうなんだ?」
「うーん、そうだなぁ」
カイルは黄金色の前髪を指に絡め、くるくる回しながら考え始めた。