それからは早かった。ジェイドが村人と交渉し、食料を分けてもらう。カイルの着替えも調達した。いつまでも血痕と矢の穴が残る服は、着ていられない。長袖のシャツと着古したマントを手に入れた。
ルウルウは村のそばで、薬草を摘んだ。春のまだ早い時分に、その芽を摘める薬草はそう多くはない。それでも傷や腹痛に効く薬草が採れた。布袋の中に入れて持つ。もし使わなくても、そのうちドライハーブになっているはずだ。
ルウルウがタージュの弟子ということもあり、村人は好意的だった。中には水魔法や回復魔法を見たがる者もいたが、ルウルウは魔力切れを起こしたばかりだ。貴重な魔力の無駄遣いはできない、と断った。その代わり、ルウルウは薬草の使い方を教えて感謝された。
そうこうするうちに、昼になる。村を出立することになる。
「明日の朝までいればいいのに」
村人たちは気遣って言ってくれたが、そうもいかない。魔族がルウルウを追ってくるかもしれない。村が襲撃に巻き込まれるかもしれない。それならば、村を発って霊山に近づいた方が安全だ。ジェイドがそう判断した。
霊山は、単に険しい深山幽谷というわけではない。魔族を寄せ付けない、不思議な力を有しているのだ。ゆえに賢者アシャは住処として、ハーリス山を選んでいるのかもしれない。
ハーリス山のふもとまでは、一日もかからない。次の夜には、森の中へ入れるだろう。森の中へ入れば、ルウルウも慣れた環境になるだろう。彼女は十八歳になるまでずっと、森の中で育ってきたのだから。
準備を終えて、ルウルウたちは村を出発した。村人たちが名残惜しそうに、ルウルウに手を振ってくれた。
「ありがとう、さようなら!」
ルウルウは揃えた装備を背負い、マントをまとって、杖を手にして歩き出した。ジェイドもカイルも、装備を背負っている。マントは村人のお古で、かなり使い込まれているが、暖かかった。
「なぁ、ルウルウ。魔力切れ、大丈夫か?」
カイルがルウルウの横に並んで、話しかけてくる。
カイルも魔法使いだ。魔力切れのつらさは、理解しているだろう。
「大丈夫、寝たし、ごはんももらったし……明日には治るよ」
「そう? ならいいけど」
ジェイドが口を挟む。
「魔力切れを治す薬はないのか?」
「旦那、そりゃ無理なんだ」
カイルがチッチッチッと、舌を鳴らして指を振る。得意げに解説を始める。
「魔力ってーのは、魔法を使うための体力と同じだ。走りすぎて体力がなくなったヤツに、薬を飲ませてもまた走れるわけじゃない。一番の薬は、休養と栄養ってわけ」
カイルの言葉に、ルウルウが続ける。
「魔力切れには、回復魔法も効かないしね……」
「そう言われればそうだな」
ジェイドが納得したように、うなずく。
ルウルウの言ったとおり、魔力切れを補填する魔法はない。他者から魔力を譲り渡すような魔法も、確立されていないはずだ。つまり現状、魔力切れは自然回復しか方法がない、というわけだ。
「……ルウルウ、本当に大丈夫か?」
「歩くだけなら、問題ないよ。魔力もゆっくりだけど回復していくと思う」
ジェイドの懸念に、ルウルウは笑って答えた。もともと、ルウルウはレハームの森の中を走り回って育った。鬱蒼とした木々のあいだを走れるし、木にも登れるし、泉で泳げもする。人並みに体力はあるだろう。
「……村の人たちを危険にさらすわけにはいかないし」
ルウルウはそう言って、うしろを振り返る。前へ進むたび、村が遠くなっていく。北西の方角には、ルウルウが育ったレハームの森があるはずだ。さほど距離は離れていないはずだが、ずいぶん遠くへ来たような気もする。
これが旅か、とルウルウはぼんやり思った。
「ちくしょう、魔族さえ来なければなぁ」
カイルがいつのまにか拾った小枝を振りふり、つぶやく。魔族に襲われなければ、ルウルウもこんな旅をしなくてよかったかもしれない。
ルウルウは心配そうに、自分と同じ境遇の街を思った。
「ナディバの街は、大丈夫かな……」
「いまの俺たちじゃ、知るすべもない。歯がゆいが、アシャを訪ねた結果しだいで、どうするか決めよう」
ジェイドがそう言って、道を歩く。さきほどの村でも、ナディバの街の状況はまだわかっていなかった。大きな都市同士ならともかく、僻地にある村々への情報の伝わり方は遅い。それが普通のことなのだが。
正しい状況を把握できない。不安が募るが、やるべきことから進めていくしかない。
「足元、気を付けろ」
三人が歩く道は、細い。霊山ハーリスへと続く、巡礼者だけが通るような頼りない道だ。前夜まで降っていた雨で、ぬかるんでいる。三人分の足跡がつく。
道端には、春先の草が芽吹いている。気の早い草には、ささやかな花が咲いているものもある。昇りゆく太陽に照らされて、キラリと光っている。木々の先端にも芽が出て、黄緑色の宝石を飾ったようだ。
「…………」
ルウルウはその光景を見て、美しいと感じた。こんなときでも、心は自然の美しさを理解している。守るべき家を失った残酷な出来事と、美しい世界とのアンバランスさ。不思議な気持ちにさせられる。
「きれい、だね」
「ルウルウ?」
ポツリとつぶやいたルウルウに、ジェイドが近寄る。
ルウルウは続けた。
「綺麗だね、世界は……こんなにもキラキラしてる」
ジェイドが不安そうな、それでいて安堵したような表情になる。ルウルウの心情を
「行こう、ルウルウ。いいことは……生きていれば、必ずある」
「うん」
霊山ハーリス山、そのふもとはもうすぐだ。
昼間の太陽が、ぬかるんだ道をどんどん乾かしていく。空気を温めていく。時折、休憩しながら三人は道を歩いていく。
「ここが、入り口か」
三人はようやく、ハーリス山のふもとの森に到着した。