ジェイドたちは、しばらく東の方角へと歩いた。雄大な山脈が見える方角だ。山脈は霊山ハーリス山を中心としており、山から流れ下る川ぞいには村々がある。
ジェイドたちはとある村に立ち寄った。
村長は、タージュとその弟子ルウルウを知っていた。彼女たちが作る薬と、村でできた産品を交換したことがあるという。そのおかげで、ジェイドたちは休む場所を得た。村長の家で、ルウルウを寝かせる。
「……ぁ」
「目が覚めたか、ルウルウ」
ルウルウはベッドに寝かされていた。魔力切れで冷えていた体は、寝具のおかげで温まっている。ベッドの横に座っていたジェイドが、ルウルウに語りかける。
「すまない、ルウルウ」
「ジェイド……?」
「守ってやれなかった」
そう言われて、ルウルウはチクリと胸の中が痛んだ。ルウルウは首を横に振る。
「ジェイドのせいじゃ……ない」
ジェイドが彼自身を責めているとしたら、ルウルウは悲しいと思った。
ルウルウの返答に、ジェイドは表情をわずかに緩ませた。すこしだけ、彼も安堵したのかもしれない。だがすぐに、ジェイドが表情を引き締める。
「魔王が狙っている――と聞いた。心当たりはあるか?」
「お師匠様、かな……」
ルウルウ自身は心当たりがない。彼女は、住処だったレハームの森からろくに出たことがない。となれば、行方知れずのタージュのことが関わっているのだろう。
「タージュ殿が狙われるとすれば……」
「お師匠様は……聖杯の魔女って呼ばれてた」
ルウルウは上半身を起こした。ベッドのそばにある杖を見る。強い魔力がこもった御守りが、杖の先端で揺れている。
「ずっと昔、お師匠様は神殿にお仕えしていて……そこで聖杯を守っていた、って」
「その、聖杯というのは?」
「第一の神が、世界の水を生み出すために造った
第一の神――西方大陸で、世界の創造神とされる神のことだ。その神は世界を造り、人間を造り、エルフを造った。その神にならって、たくさんの神々が生まれて世界は成り立っている――とされている。
「なるほど、神の聖遺物か。聖杯はいま、どうなっているんだ?」
「失われた……って、お師匠様はおっしゃってた」
ルウルウは昔の話を思い出す。詳しいことはタージュも語らなかった。だがタージュが神殿から離れるほどのことが起こったのだろう。いまのルウルウにはそう理解できた。
「聖杯消失事件だろ? 知ってるよ」
部屋の扉が開いて、カイルが入ってきた。手には食事の入ったカゴがある。パンとチーズ、それに飲み物の入った容れ物。村長が気を遣って、よこしてくれたのだろう。
「お腹空いたろ? ルウルウ、旦那、飯にしようや」
カイルはベッドの横の床に、どっかと座る。カゴを置き、チーズをパンに乗せ、ジェイドとルウルウに渡す。
「いただきまーす! あむ……っ」
カイルが元気よくパンを頬張る。ジェイドが表情を緩ませ、パンを口にする。
ルウルウは食欲をあまり感じなかった。しかし男ふたりが食べているのを見ると、なんだか食べられるような気がしてきた。ゆっくりパンを口に運ぶ。
「……おいしい」
焼けた麦の香りと甘み、チーズのやさしい風味と塩気。噛めば噛むほど、食欲を湧かせる味がする。ルウルウは夢中でパンにかじりついた。
「ほら、ルウルウ。ジュースも飲んで」
カイルが木のカップに、容れ物から果汁水を注ぐ。ルウルウに渡す。カップの中身は、春先だけ採れるベリーを絞った汁を、清浄な水で割っただけのジュースだ。
ルウルウはパンを咀嚼しながら、カップに口をつけた。甘酸っぱく、すっきりとした味わいが喉をすっきりさせる。ゴクゴクと飲み干す。
「ぷはぁ……っ! おいしい……!」
「ああ、
「よかったな、ルウルウ。その食べっぷりなら当分死なねぇや」
カイルが軽口を叩く。
ジェイドがカイルに視線をやる。
「それで、カイル」
「ん? なんだい旦那?」
「聖杯消失事件、とはなんだ?」
「なんだ、旦那も知らねぇのか」
カイルがニヤリと笑って、得意げになる。
「聖杯を管理してた神殿から、聖杯がなくなったって事件だよ。盗んだ犯人はわからなかったらしいが、神官や巫女が何人か追放されたって」
「じゃあ……お師匠様も」
ルウルウは困惑したが、合点もいった。神殿から管理していた聖杯が消え失せ、タージュは責任を取ったのだろう。世捨て人のような生活をしていた理由も、納得できた。世界の表舞台に合わす顔がなかったのかもしれない。
ジェイドが食べかけのパンを置き、考え込む。
「仮に……そのとき聖杯を魔族が盗んだとしよう。タージュ殿が狙われる理由はなんだ?」
「聖杯を使うための知識がいる、とかかねぇ?」
カイルの言葉に、ルウルウはうなずいた。タージュの知識があれば、神の聖遺物を正しく発動させることができるのかもしれない。聖遺物にどんな力があるのかは知らないが、力があるとすれば凄まじいものであることは想像できる。
「だから……お師匠様はいなくなったのかな?」
タージュの失踪が、彼女自身の意志だとしたら。
そう考えて、ルウルウは納得がいく。
「お師匠様は、魔王に狙われてる……だから、わたしを置いていったんだ」
「ルウルウ、それは……」
「大丈夫、わかってる。わたしは捨てられたわけじゃない。家のほうが安全だから、置いていったんだね」
昨夜まで、ルウルウは魔族に襲われたことがなかった。タージュの失踪から二年、わずかなようでいて年若いルウルウには長い時間だ。ルウルウはひとりで暮らすことで、十分に成長した。
「魔族を撃退するだけの力をつけるまで、わたしを守ってくれていたんだ……」
「そういうことなのか」
「うん、たぶん……」
タージュの家はルウルウを守ってきた。しかしルウルウが大人になったいま、役目を終えたのかもしれない。だから魔族に襲われたのだろう。ルウルウにはそう思えた。そう思いたかったのかもしれない。
「さて、これからどうするか……だな」
ジェイドが軽く頭を抱える。魔族に追われた以上、ルウルウが二度と襲われない保証はない。むしろタージュの手がかりとして、狙われ続けるだろう。つまり、この村にいつまでも滞在はできない。
「それなんだけどさ」
パンを食べ終えたカイルが、ジェイドとルウルウを見る。
「導きの賢者に、助言をもらうのはどう?」
カイルはあっさりとそう言った。
つづく