ルウルウとタージュの家が、焼かれてしまった。
泣きじゃくるルウルウを、ジェイドが慰めている。
「……ええと……」
カイルがオロオロと、ジェイドとルウルウの周囲を回る。長い
ジェイドがハッと頭を上げる。
「カイル?」
「だ、誰だ!? そこにいるのは!」
カイルは木立に向かって、叫んだ。木立の奥から、詠唱が聞こえてくる。
「――
「しま――っ!」
ジェイドが立ち上がり、カイルを突き飛ばそうとしたが、遅かった。
バチッと音がして、カイルが頭を大きく揺らす。彼の流麗な顔から表情が消え、中空を見つめる。目の焦点が合わなくなる。
「けひ、けひひひ!」
カイルが甲高く笑い声を上げた。頭を抱え、ガシガシとかきむしる。瓦礫を拾い、ジェイドたちに襲いかかる。
「カイル!」
「ひぁっはぁーー!!」
カイルの一撃を、ジェイドは避ける。やむを得ず、ジェイドはカイルを突き飛ばす。カイルが尻もちをついたあいだに、うずくまるルウルウを立たせる。
「ルウルウ!」
「あ……ああ……」
「敵だ! 魔法使いだ! 混乱の魔法を使ってくる!」
ルウルウはハッと、涙で歪んだ視界であたりを見る。木立の中で、何者かが詠唱しているのを感じ取る。ジェイドは敵だと言った。つまり、ルウルウの家を焼いた犯人ということか。ルウルウの心の中が、澄んでいく。
「ゆる……せない……」
ルウルウはつぶやいて、杖を強く握った。
「ルウルウ! だめだ!」
「水よ、この世をあまねく閉ざす黒雨となるものよ!」
ジェイドの制止も効かず、ルウルウもまた詠唱を始める。
詠唱には体内で魔力を編み上げる重要な役割がある。通常であれば、綺麗に編み上がっていく魔力を感じながら、慎重に唱えるのがよいとされる。
「我が願いに応え!」
しかし今のルウルウの詠唱は、荒々しいものだった。ルウルウの体内で、竜巻のように魔力が編まれる。彼女の全身に、痛みとも快感ともつかない感覚が走る。
「
ルウルウは叫び、杖を木立に向けた。編み上がった魔力が放たれる。同時に木立の中から、敵が魔法を放った気配がした。
ルウルウの魔法が一瞬早く発動する。ルウルウの魔力が
「ぎゃああああああっ!!」
木立の暗がりの中から、フラフラと人影が歩み出てくる。人間の魔法使いだ。迅雷に撃たれ、かなりのダメージを負っている。ばたり、と魔法使いは地面に倒れる。
「――あ、あれ?」
カイルが正気に戻る。手から瓦礫を落とし、キョロキョロとあたりを見回す。
「ジェイドの旦那、僕はなにして……?」
「カイル、ルウルウを頼む!」
ジェイドはカイルの腕をつかみ、ルウルウのもとへ向かわせる。ルウルウはへたり込み、茫然自失となって荒く息を吐いている。カイルはあわてて、ルウルウのもとへ行く。
ジェイドは倒れた魔法使いのもとへ走る。ショートソードを抜き、魔法使いに突きつけた。魔法使いは喉元に剣を突きつけられ、怯えた表情を見せた。
「ひい……!」
「答えろ。ナディバを襲った魔族どもの差し金か?」
「……だとしたら……どうするのだ……」
「なぜ俺たちを襲った?」
「命令……だからな……」
ジェイドの問いに、魔法使いはたどたどしくながら素直に答える。ジェイドは油断なく、周囲の気配も探る。囲まれてはいない。おそらく、朝日が昇って魔族たちは撤退し、人間の魔法使いだけが残ってジェイドたちを狙ったのだろう。
「誰の命令だ、答えろ!」
「ひ、い……! ま、魔王様だ……!」
「魔王、だと?」
「ひ、ひひ、おれを倒したくらいでいい気になるなよ!」
魔法使いがひきつった顔で笑う。怯えと狂気に満ちた笑みだった。
「お前たちはなぁ! 狙われてんだ! 魔王様に! ざまぁ見ろ! ひひ、ひひひひ!!」
「貴様!」
ジェイドが締め上げようとすると、魔法使いが叫ぶように笑った。次の瞬間、魔法使いの肉体が青い炎に包まれる。ジェイドはあわてて飛び退く。
「あ……ああ……あが……! ま、魔王様ぁ……魔王様、永遠なれ……!!」
炎に包まれた魔法使いの口から、魔族を
ジェイドも、ルウルウもカイルも、燃える魔法使いの最期を呆然と見つめる。魔法使いが燃えたのは、三人の能力ではない。魔法使い自身に、自害のための呪いがかかっていたのだ。
青い炎の中で、魔法使いの肉体が骨になり、灰になってもろもろと崩れ去る。壮絶な最期だった。
「……はぁ」
ジェイドが唖然とした声でため息をついた。カイルとルウルウの方を向く。
「旦那ぁ……」
「カイル、ルウルウ。怪我はないか」
「あ、ああ。僕は大丈夫。でも、ルウルウが……!」
カイルはへたり込んだルウルウを抱きしめるように、支えている。ジェイドは二人に近づき、膝をつく。ルウルウの様子を見る。
「ルウルウ、しっかりしろ」
ジェイドがルウルウの顔をのぞきこむ。ルウルウの顔面は蒼白になっていた。唇から血色が失われ、体を震わせている。
「さむい……ジェイド……わたし……死ぬの……?」
「たぶん魔力切れだ。死にはしない。大丈夫だ」
ジェイドはルウルウを抱き寄せて、彼女の後頭部をなでた。ルウルウの真珠色の髪が、朝日を反射して美しく輝く。
「大丈夫だ……大丈夫」
ルウルウを安心させるように、ジェイドは何度もそう言った。やがてルウルウの全身から力が抜け、彼女は意識を失った。
「ルウルウ!」
「大丈夫だ、魔力切れで気を失ってるだけだ」
ジェイドはルウルウを背負った。ルウルウの杖を、カイルに持たせる。
「とりあえず、無事そうな里に出るぞ。これからのことは、そこで考えよう」
「あ、ああ。そうしよう、旦那」
ジェイドの言葉に、カイルは同意した。
ここでまごついているわけにはいかない。夜が来れば、また魔族たちが襲ってくるかもしれない。あるいは魔族に心を奪われた人間が、昼間のうちに襲ってくるかもしれない。この場を離れるのが先決だった。
ジェイドはルウルウを背負い、カイルとともにその場を離れる。一瞬だけ、ジェイドは焼け跡を振り返った。タージュの家――ルウルウの育った場所は、もうない。守ってやれなかったことが、ジェイドの胸の中で火傷のような痛みを生む。
「……旦那?」
「行こう。朝日があるうちに」
ジェイドは前方に視線を戻した。もう振り返らない。カイルとともに、歩き出す。ジェイドの背中で眠っているルウルウの体が、ひどく頼りなくジェイドには思えた。