魔族の囲みを突破し、ルウルウたちは山の中へと入っていた。
「よし、まいたか……?」
「ひえっ、ひえっ、ちょっと、ちょっと待って……!」
ジェイドが後方を確認していると、カイルが情けない声を上げた。カイルの息は上がりきっている。ゼエゼエと荒く息を吐いて、肩を上下に揺らす。
「ぜぇ、ぜぇ、もう、大丈夫そう……?」
「朝までまだ時間がある。どこかへ潜むぞ」
「ど、どこかって……」
「……あ!」
ルウルウがなにかに気づく。山の深い木々の中に、大きな草むらがぽつんとある。ルウルウの背丈より高い草むらに、ルウルウは入っていく。
「やっぱり……」
草むらの中は、小さな住処のようになっていた。外からは草むらだが、中に入ると木材や布で草を支えているのがわかる。窓のような穴もある。地面はむき出しだが、踏み固められた固さがある。
草むらに見せかけた、小屋――ルウルウには心当たりがあった。馴染みの猟師に聞いた話と合致する。
ジェイドがルウルウに尋ねる。
「なんだ、ここ?」
「たぶん、猟師さんの使う小屋だと思う。夜になったときに泊まるんだって」
「なるほどな。悪いが、使わせてもらおう」
「や……休める~!」
ジェイドとカイルも、草むらに偽装した小屋に入る。ジェイドは剣帯からショートソードを外し、いつでも抜けるように構える。入口側に座る。
一方、カイルは小屋の奥に陣取って、どさりと倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」
「生きててよかった」
疲労困憊のカイルの背を、ジェイドが軽く叩いた。三人で身を寄せ合うようにして、休む。ひどく寒いが、疲れのせいでルウルウはウトウトとまどろむ。
山の中を、風が吹き抜けていく。夜闇に包まれた木々が、ザワザワと音を立てる。北風だ。春先の冷たい夜が、時間を緩慢に刻んでいく。
「ん……」
すきま風のにおいに、ジェイドが鼻をスンと鳴らした。
「なんだ……?」
「……どしたの、ジェイド?」
「わずかに……焦げくさい、ような気がする」
ジェイドは小屋から出ると、剣帯にショートソードを戻す。そばの木にするりと登っていく。ルウルウも続いた。山野の木に登るくらいなら、ルウルウにもできる。
ジェイドが木の上から、あたりを見回す。もし魔族が山に火をつけたのなら、さらに逃げねばならない。だがそうではなかった――北の方角、レハームの森の中で火柱が上がっている。赤い炎が黒い煙を上げて、夜空へと立ち昇っていた。
その様子を、追いかけて登ったルウルウも見ることになる。
「あ……!」
ルウルウの家が燃えている――と思い至るまで、そう時間はかからなかった。ルウルウは思わず木の上で前に踏み出そうとして、ジェイドに止められる。
「ルウルウ! 落ちるぞ!」
「家が……家が!」
ルウルウはあわてて、ジェイドを振りほどき、木を降りた。ジェイドが追って降りてくる。なにごとか、とカイルが草むらの小屋から出てくる。
走り出そうとしたルウルウを、ジェイドが引き止める。
「ダメだ、ルウルウ!」
「だって、だって……!」
「魔族の罠だ、戻ってくるように仕向けてる!」
ジェイドが断言すると、ルウルウは一瞬、口をつぐむ。ジェイドの言うことはもっともだ。あの火は失火ではない。魔族が、ルウルウの家に火を放ったのだ。ルウルウたちが気づいて戻ってきたところを襲う算段なのは、容易に推測できた。
「あ、あ……!」
ルウルウの目に涙が溜まる。こうしているあいだにも、家は燃えているだろう。大切な本も、作った薬も、柔らかい寝床も、炎に呑まれているのだろう。焦燥感と悲しさ、そして悔しさが胸の中にあふれる。
カイルが言いづらそうに、ジェイドに同意する。
「ムチャだよ、ルウルウ。魔族がウヨウヨしてる中に戻るなんて」
「……お願い」
カイルとジェイドの言うことは、十分に理解できた。だが頭で理解しても、心がついていかない。ルウルウの淡青色の瞳から、大粒の涙がこぼれた。
「ジェイド、お願い……! すこしだけでいいから……!」
ルウルウの懇願に、ジェイドが頭を抱えた。どうしたらよいか、迷っている。しばしの沈黙ののち、ジェイドが口を開く。
「……朝日がさしたら、戻るぞ」
「旦那ぁ!」
カイルが悲鳴のような声を上げた。
ジェイドはそれに応えなかった。戻るべきでないという気持ちと、戻るしかないだろうという気持ちのあいだで、板挟みになった表情だ。
それでも――戻るというジェイドの判断に、ルウルウは感謝した。
「ありがとう、ジェイド……!」
草むらに偽装した小屋に、三人で入る。会話はない。夜風の寒さに耐え、朝が来るのをひたすら待つ。時間が経つのが、ひどく遅く感じられた。
「……朝、だ」
日の出が始まり、あたりがうっすらと明るくなってくる。小屋を出ると、東の空を太陽の光が染め始めているのがわかった。東の方角にある大きな山脈の肌が、白々と照らされている。
「戻るぞ、油断するな」
ジェイドが言う。すでに火柱と黒煙は見えなくなっている。
山を降り、レハームの森の中を注意深く進む。焦げくさいにおいが、濃くなっていく。さいわい、魔族には出会わなかった。魔族は朝日が苦手である――と、ジェイドが言ったとおりだ。
やがて、ルウルウの家がある場所の近くに出る。ルウルウは足を早めた。
「あ……!」
三人の視界に、燃え落ちた家屋が飛び込んでくる。
ルウルウの家は、黒い残骸になっていた。屋根が崩れ落ち、柱が焦げ、中にあったものも黒く焼けてしまっている。
「あ、ああ……!」
ルウルウは湿った地面にへたり込んだ。足腰から力が抜けて、上半身を寒気が震わせる。胃に不快感が襲ってくる。頭がガンガンと痛む。
「あ……う、うう……! うう、う……! ああ……!」
言葉にならないうめき声を上げ、ルウルウの瞳から涙がこぼれた。淡青色の目から落ちた涙が、地面をさらに濡らしていく。
「あ、あ……! ……なさい……ごめん、なさい……!」
師匠タージュと過ごした、大切な家を守れなかった。その想いが、ルウルウに詫びの言葉を漏らさせた。
「お師匠様、ごめんなさい……!」
「ルウルウ」
「う、あ、うあああぁぁ……!」
大きくしゃくりあげて、ルウルウは泣き出した。熱い涙が目からあふれ、朝の北風にさらされて頬の上で冷たくなっていく。
追いついたジェイドが、ルウルウの前にひざまずく。泣いているルウルウの頭を、抱き寄せた。
「すまん、ルウルウ。俺のせいだ。油断していた」
「あああぁ……! わぁあああぁ……!」
ジェイドの詫びる言葉に、ルウルウは首を横に振った。振ったものの、なぜそうしたかはルウルウにもわからなかった。ひたすら悲しい気持ちが胸を貫き、ルウルウは泣いた。