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第2-1話 迫りくる危機

「ルウルウ、本当に大事なものだけ持て」


 ジェイドはルウルウにそう告げた。彼は黒い瞳に危機感をにじませて、扉の外をうかがう。剣帯に差したショートソードに、右手をかける。


「ジェイド、その……なにが起こって?」

「ここを包囲された」


 抑えた声で、ジェイドはルウルウとカイルに告げる。


「おそらく魔族だ」

「どうして……!?」

「わからん。だが足音が複数、四つ足や地面を引きずる音もした。人じゃない」


 ジェイドはおのれの耳に神経を集中させ、聞き耳を立てる。複数の足音がいっせいにルウルウの家に迫ってきて、距離をすこし取って止まる。相手もこちらの様子をうかがっているらしい。


「チッ、統率がとれてるな……」

「ど、どうするんだ、ジェイド……!?」

「脱出するしかないだろう」


 ジェイドはつとめて冷静に、カイルとルウルウに告げる。


「多勢に無勢、というやつだが……夜闇は無勢の方に味方する。逃げるぞ」

「ひぃ~~!! 無理だって! き、きっとナディバを襲った連中だ!」


 カイルが情けない声を上げた。ジェイドは口元に人差し指を当て、静かにするように促す。カイルがあわてて口を手で押さえる。


「ええと、ええと……」


 ルウルウが家の中を見回す。今までにつくった薬、師匠の所持する本、備蓄した食料――大切なものはたくさんある。心が混乱し、すぐに判断がつかない。


「ルウルウ」


 ジェイドが厳しい表情でルウルウを見る。彼のそんな顔を、ルウルウは見たことがなかった。


「本当に、失いたくないものだけ持て。また手に入るものはあきらめろ」

「……うん」


 ジェイドが言うなら、そうするしかない。ルウルウは覚悟を決めて、壁にかかった杖を取った。師匠タージュの御守りがついた、杖だ。木の枝にツタが絡んだような杖。タージュの生存を伝えてくれるその杖だけを、ルウルウはぎゅっと握った。


「ルウルウ、たしか水魔法に攻撃呪文はあったよな?」

「う、うん。つららを撒き散らすだけなんだけど……」

「それでいい。俺が扉を開けると同時に、七メルテ先に発動させられるか?」


 ジェイドが具体的な距離を持ち出し、できるかどうかを問う。ルウルウは心の中が澄んでくるのがわかった。混乱していた頭の中が、シャンと方向性を得る。


「やる、やってみせる」

 杖を強く握り締め、ルウルウは答えた。

 ジェイドがうなずき、作戦ともいえない見通しを言う。


「魔法が発動し、相手が混乱したら一気に突破する。しんがりは俺がする。カイル、ルウルウ、君たちはまっすぐ走れ」

「まっすぐ走るのはいいけど……どこまで逃げりゃいいんだ?」


 カイルが不安げに言う。ルウルウが答える。


「まっすぐ走ったら、山に入る。木がもっと深くなって、隠れる場所はあると思う」

「そこで朝までしのげれば……なんとかなるな。魔族の連中は朝日が一番苦手だからな。朝が来れば撤退するだろう」

「ええ」

「よし、決まったな」


 ジェイドが扉の取っ手に手をかける。いつでも開けられる体勢だ。

 ルウルウは暖炉の火を消す。あたりが暗くなる。


「ルウルウ、詠唱を始めろ」

「うん」


 ルウルウは杖を縦に持ち、目を閉じた。呪文を詠唱する。


「水よ、この世をあまねく凍らす氷河となるものよ」


 回復魔法のときとは異なる詠唱が始まる。ルウルウの周囲に彼女の魔力が展開し、あたりをほんのり明るくする。詠唱が進むと、空中に水の塊が生じる。水の塊はルウルウの前でクルクルと回転し始める。


「我が願いに応え、氷条たる奇跡を示せ!」


 詠唱が完了する直前に、ジェイドが扉を開け放った。ルウルウはカッと目を見開いた。水の塊に向かって叫ぶ。


「行って!」


 水の塊が、家を飛び出す。七メルテ先の空中へと飛んでいく。水の塊は飛びながら、一瞬でトゲの塊に変化する。トゲは四方八方へとすさまじい勢いで飛散する。


「ギャアッ!!」

「ギイイイッ!?」


 夜闇の中で複数の叫び声がこだました。擦過音を含む声は、人間のそれではない。やはり複数の魔族が潜んでいたらしい。魔族たちはつららに貫かれ、統率に混乱をきたす。


「走れ!!」


 ジェイドの声とともに、ルウルウとカイルは家から飛び出した。まっすぐ前へと走り出す。得体の知れない者たちが、ルウルウの攻撃を受けてうめいている。その中を走り抜ける。


「カイル、こっち!」

「ひえええ!」


 ルウルウは暗闇の中を、必死で走る。森の道なき道は濡れており、足をもつれさせる。カイルがバランスを崩すと、ルウルウはその手を取って走った。


「ルウルウ!」

「ジェイド、大丈夫!?」

「ああ!」


 後方からジェイドの声がする。一番後方しんがりを走っているようだ。その遥か後方から、怖気おぞけの走る気配が追いかけてくるのがわかる。魔族だ。恐怖をこらえ、ルウルウはカイルの手を引いて走る。


 三人はとにかく走った。比較的平坦だった地面が、途中からのぼりに変わる。山の中へと入っていく。しばらく走ると、後方から追いかけてくる気配が途切れた。

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