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第1-4話 夕暮れの中で突然に

「ルウルウ、君はとても大切なことを忘れている」


 ジェイドはそう告げ、ルウルウは考え込む。ジェイドはため息をひとつつき、苦笑した。


「今日は、君の誕生日だろ?」

「……あ!」

「十八歳だな。おめでとう、ルウルウ」


 ジェイドの言葉で、初めてルウルウは今日が特別な日だったと思い出した。

 ルウルウの心の中に、嬉しさが押し寄せてくる。胸の中で渦巻いた想いうれしさが、いつのまにか目元に昇ってくる。


「う……うう~~!」


 気づけば、ルウルウの目から涙がこぼれていた。淡青色の瞳からポロポロと涙を流す。

 ルウルウの涙に、ジェイドが狼狽する。


「な、なんで泣く!?」

「う、う、嬉しくて……うぇぇぇん……」

「涙もろすぎだろ……」


 ジェイドは困惑している。

 ルウルウは薬の小壺を床に置き、長衣ローブの袖で涙をぬぐう。それでも、嬉しすぎてあふれた涙はなかなか止まらない。嗚咽をもらしながら、ルウルウはつぶやいた。


「グス……誕生日なんて忘れてた。お師匠様がいらっしゃらないと、忘れちゃうね」

「お師匠様か……」


 ルウルウはなんとか泣き止んだ。

 今度はジェイドが、悲痛な表情で考え込む。


「タージュ殿は、いまどこにいるんだろうな……」


 はぁ、とジェイドが嘆息する。彼はゴツゴツした指を折り、月日を数えた。


「聖杯の魔女殿が行方知れずになって、もう二年くらいになるか」


 聖杯の魔女タージュ。稀代の女魔法使いにして、ルウルウの師匠であり養い親。心優しい魔女は、ここ二年ほど、この家に帰ってきていない。そう、この家はルウルウだけのものではない。もとは魔女タージュの庵なのだ。


「お師匠様はフラッとどこか行くことはあったけど。こんなに長く……どこにいるかわからないのは初めてなんだよね」


 ルウルウの師匠タージュは、放浪癖がある――とルウルウは思っている。ルウルウがひとりで身の回りのことができる年齢になると、「出かけてくる」と数日家を空けることも多くなった。


 二年前にタージュが出かけたときも、数日すれば帰ってくるとルウルウは思っていた。それが十日になり、ひと月になり、半年になり――気づけば二年ほどが経ってしまった。


 ひと月が過ぎた頃は、ルウルウも必死で消息をつかもうとした。ジェイドに頼んで、近隣の街を回ったこともある。山野を歩き回って探したこともある。

 しかしタージュの行方はようとして知れない。いつしかルウルウは、消息のわからない師匠の帰りを家で待つばかりになっていた。


「でも、お師匠様は生きてる……と思う」

「それは、なぜ?」


 ジェイドの問いに、ルウルウは壁にかけ直した杖を見つめた。長い木の枝にツタを絡ませたような杖。先端の羽根と真珠でできた御守りには、強い魔力が宿っている。


「あの杖よ」

「さっき使ったあれか」

「あの杖の御守りは、お師匠様がつけたの。お師匠様が生きてるあいだは、御守りにこめられた魔力が枯れない……はず」


 例えば魔法によって発動する悪しき呪いは、かけた者が死ねば解呪される。タージュの御守りはそれに似ている。御守りには善なる呪いがかかっており、タージュが生きているかぎり魔力は枯れない。御守りは、タージュの生存を伝え続けてくれている。


「お師匠様、わたしのためにあの杖を残してくれたんだと思う。わたしが心配しすぎないようにって……」


 ルウルウはニコッと笑った。泣いたせいで鼻先はきっと赤くなっているだろう。情けない顔だが、嬉しそうでもあった。


「……なぁ、ルウルウ」


 ジェイドがひそめた声で、ルウルウに言う。


「君が十八歳に……大人になったら言おうと思ってたんだが」

「ん? うん」

「君はよくこの家を守ったよ。薬を作る腕も上がってる。だからこそ、俺と……」

「ふあ~~あ」


 ジェイドの言葉を、間の抜けたあくびがさえぎった。大きく伸びをして、エルフの少年カイルが目を覚ます。彼の傷はすっかり癒えたようで、痛そうな素振りもない。


「ああ……よく寝たぁ」

「もう、大丈夫そう? あ、お腹すいたんじゃないかな? ちょっと待ってて、なにか食べ物を……」


 カイルが半裸の身を起こす。彼ののんきな様子を見て、ルウルウは嬉しそうにジェイドの隣から立ち上がった。棚の中にある食料を探しに行く。


「…………」


 ジェイドは続ける言葉を失い、カイルをじっとりとした視線で見据えた。気付いたカイルが、きょとんとジェイドを見る。


「……どした、ジェイド?」

「いや、なんでもない……生きていてよかった、カイル」


 ジェイドは気持ちを切り替えたように、カイルにそう言った。


「ありがとう、カイル。君のおかげで俺も生き残った」

「なに言ってんだ、旦那。おたがいさま、ってやつさ」


 カイルは軽い口調で、ジェイドに応えた。体を起こし、カイルは自身がほぼ裸なのに気づく。紫色の瞳でジェイドを見つめ、わざとらしく身をくねらせる。


「……いやん」

「必要な処置をしてもらっただけだからな!?」

「わかってるって。相変わらずお固くていけねぇや、旦那は」


 ジェイドを「旦那」と敬称しつつ、冗談でからかう。秀麗な容姿で軽口を操る。まさに道化師らしい少年だ。

 棚をあさっていたルウルウが戻ってくる。


「とりあえず、すぐ食べられるもの。こういうのしかないけど……」


 ルウルウはカゴをひとつ、ジェイドとカイルの前に置く。カゴの中には、ナッツやドライフルーツが入っている。さらにヤカンを暖炉の火にかける。ヤカンの中には、配合したハーブと水が入っている。ハーブティーを作るつもりだ。


「やった! ありがとう、お嬢!」

「お、お嬢……? ルウルウ、でいいよ」

「ルウルウか、いい名前だ! 美人だしな!!」


 カイルはナッツを口に放り込みながら、軽口を叩く。ジェイドは肩をすくめ、ルウルウは目を丸くした。

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