「ルウルウ、君はとても大切なことを忘れている」
ジェイドはそう告げ、ルウルウは考え込む。ジェイドはため息をひとつつき、苦笑した。
「今日は、君の誕生日だろ?」
「……あ!」
「十八歳だな。おめでとう、ルウルウ」
ジェイドの言葉で、初めてルウルウは今日が特別な日だったと思い出した。
ルウルウの心の中に、嬉しさが押し寄せてくる。胸の中で渦巻いた
「う……うう~~!」
気づけば、ルウルウの目から涙がこぼれていた。淡青色の瞳からポロポロと涙を流す。
ルウルウの涙に、ジェイドが狼狽する。
「な、なんで泣く!?」
「う、う、嬉しくて……うぇぇぇん……」
「涙もろすぎだろ……」
ジェイドは困惑している。
ルウルウは薬の小壺を床に置き、
「グス……誕生日なんて忘れてた。お師匠様がいらっしゃらないと、忘れちゃうね」
「お師匠様か……」
ルウルウはなんとか泣き止んだ。
今度はジェイドが、悲痛な表情で考え込む。
「タージュ殿は、いまどこにいるんだろうな……」
はぁ、とジェイドが嘆息する。彼はゴツゴツした指を折り、月日を数えた。
「聖杯の魔女殿が行方知れずになって、もう二年くらいになるか」
聖杯の魔女タージュ。稀代の女魔法使いにして、ルウルウの師匠であり養い親。心優しい魔女は、ここ二年ほど、この家に帰ってきていない。そう、この家はルウルウだけのものではない。もとは魔女タージュの庵なのだ。
「お師匠様はフラッとどこか行くことはあったけど。こんなに長く……どこにいるかわからないのは初めてなんだよね」
ルウルウの師匠タージュは、放浪癖がある――とルウルウは思っている。ルウルウがひとりで身の回りのことができる年齢になると、「出かけてくる」と数日家を空けることも多くなった。
二年前にタージュが出かけたときも、数日すれば帰ってくるとルウルウは思っていた。それが十日になり、ひと月になり、半年になり――気づけば二年ほどが経ってしまった。
ひと月が過ぎた頃は、ルウルウも必死で消息をつかもうとした。ジェイドに頼んで、近隣の街を回ったこともある。山野を歩き回って探したこともある。
しかしタージュの行方はようとして知れない。いつしかルウルウは、消息のわからない師匠の帰りを家で待つばかりになっていた。
「でも、お師匠様は生きてる……と思う」
「それは、なぜ?」
ジェイドの問いに、ルウルウは壁にかけ直した杖を見つめた。長い木の枝にツタを絡ませたような杖。先端の羽根と真珠でできた御守りには、強い魔力が宿っている。
「あの杖よ」
「さっき使ったあれか」
「あの杖の御守りは、お師匠様がつけたの。お師匠様が生きてるあいだは、御守りにこめられた魔力が枯れない……はず」
例えば魔法によって発動する悪しき呪いは、かけた者が死ねば解呪される。タージュの御守りはそれに似ている。御守りには善なる呪いがかかっており、タージュが生きているかぎり魔力は枯れない。御守りは、タージュの生存を伝え続けてくれている。
「お師匠様、わたしのためにあの杖を残してくれたんだと思う。わたしが心配しすぎないようにって……」
ルウルウはニコッと笑った。泣いたせいで鼻先はきっと赤くなっているだろう。情けない顔だが、嬉しそうでもあった。
「……なぁ、ルウルウ」
ジェイドがひそめた声で、ルウルウに言う。
「君が十八歳に……大人になったら言おうと思ってたんだが」
「ん? うん」
「君はよくこの家を守ったよ。薬を作る腕も上がってる。だからこそ、俺と……」
「ふあ~~あ」
ジェイドの言葉を、間の抜けたあくびがさえぎった。大きく伸びをして、エルフの少年カイルが目を覚ます。彼の傷はすっかり癒えたようで、痛そうな素振りもない。
「ああ……よく寝たぁ」
「もう、大丈夫そう? あ、お腹すいたんじゃないかな? ちょっと待ってて、なにか食べ物を……」
カイルが半裸の身を起こす。彼ののんきな様子を見て、ルウルウは嬉しそうにジェイドの隣から立ち上がった。棚の中にある食料を探しに行く。
「…………」
ジェイドは続ける言葉を失い、カイルをじっとりとした視線で見据えた。気付いたカイルが、きょとんとジェイドを見る。
「……どした、ジェイド?」
「いや、なんでもない……生きていてよかった、カイル」
ジェイドは気持ちを切り替えたように、カイルにそう言った。
「ありがとう、カイル。君のおかげで俺も生き残った」
「なに言ってんだ、旦那。おたがいさま、ってやつさ」
カイルは軽い口調で、ジェイドに応えた。体を起こし、カイルは自身がほぼ裸なのに気づく。紫色の瞳でジェイドを見つめ、わざとらしく身をくねらせる。
「……いやん」
「必要な処置をしてもらっただけだからな!?」
「わかってるって。相変わらずお固くていけねぇや、旦那は」
ジェイドを「旦那」と敬称しつつ、冗談でからかう。秀麗な容姿で軽口を操る。まさに道化師らしい少年だ。
棚をあさっていたルウルウが戻ってくる。
「とりあえず、すぐ食べられるもの。こういうのしかないけど……」
ルウルウはカゴをひとつ、ジェイドとカイルの前に置く。カゴの中には、ナッツやドライフルーツが入っている。さらにヤカンを暖炉の火にかける。ヤカンの中には、配合したハーブと水が入っている。ハーブティーを作るつもりだ。
「やった! ありがとう、お嬢!」
「お、お嬢……? ルウルウ、でいいよ」
「ルウルウか、いい名前だ! 美人だしな!!」
カイルはナッツを口に放り込みながら、軽口を叩く。ジェイドは肩をすくめ、ルウルウは目を丸くした。