ルウルウはジェイドの隣に座っている。暖炉の火が揺れている。
「道化師……って?」
ルウルウの質問に、ジェイドがシーツにくるまったまま答える。
「王や偉いさんについて、笑わせたり無礼な言をしたりすることが許されているやつだ」
「そんな職があるんだ。……でも、傭兵団に王様がいるの?」
「まぁ、似たようなもんかな。傭兵団の団長がそばに置いていたらしい。純粋なエルフは珍しい。人買いに売られて、傭兵団にたどりついたようだ」
「そうなんだ……」
ルウルウは、眠っているカイルの顔を見た。
この大陸で人身売買は珍しいことではない。と、ルウルウは聞いたことはあるが、実際に売られた者を見るのは初めてだった。この少年エルフは、見た目よりずっと苦労人らしい。
「カイルは、風魔法の使い手だ」
「風魔法……なるほど、矢避けの魔法かな?」
「察しがいいな。そのとおりだ」
ルウルウは妙に納得した。
矢避けの魔法は、風魔法の基本だ。風を操って、飛んできた矢を防ぐことができる。戦場でかなり役立つ魔法だ。矢避けの魔法を使えるなら、傭兵団もカイルを重宝したことだろう。
「あれ? でも……矢避けの魔法はあったけど、撃たれたんだね」
「それはカイルの落ち度じゃない」
ルウルウの疑問に、ジェイドが答える。彼の口調は苦虫を噛み潰したようだった。
「今回は魔族の方が
「出したはずって、なにがあったの?」
「同士討ちだ」
「ええ……!?」
ルウルウは驚いた。
ジェイドはさらに苦々しい表情になる。乾き始めた黒髪を、後頭部でひとつにまとめて紐で縛る。フウッと息をひとつ吐く。
「おそらく精神に作用する魔法を使われたんだろう。ナディバの正規軍と傭兵団が、味方同士で戦い始めたんだ」
魔法にはさまざまな種類がある。火を起こし、水を湧かせ、風を巻き、土を練る。そんな素朴な術から発展に発展を遂げ、他者の肉体や精神に作用する魔法もある。
ルウルウは推測する。ひとの精神を混乱させる魔法はたしかに存在する。だが一方で、都市を守るために集結した軍すべてを混乱させるには、相当な技量がいる。魔族の軍は、かなり高位の魔法使いを抱えているようだ。
「俺はなんとか、混乱の魔法にはかからなかったようだった。だが、味方の矢がこちらを狙って放たれてな」
「それで……!?」
「やられると思ったが、そこに矢避けの魔法がかかった。カイルがかけてくれたんだ。自分も狙われていたのに、な」
ジェイドを狙った矢はそれた。矢避けの魔法のおかげだ。ジェイドは難を逃れた。
一方、ジェイドをかばったカイルは、矢で撃たれてしまった。しかも二本の矢が、カイルの背中に突き立った。ジェイドは魔族との戦闘を諦め、カイルを担いで、戦線を離脱したという。
「俺は同士討ちの輪を突破して、逃げてきたんだ」
「十キルテも、走ってきたの?」
「そうするしかなかった。魔族の包囲網もかなり厚くなっていたようだし」
ジェイドはおのれの頭を左手で押さえた。非常に困った様子だった。
「はぁ……ギルドの義理を果たしに行ったが、とんだ災難だった。仕方ないことだが」
ルウルウはなんとなく理解する。
ジェイドはさっぱりした気質で、どこか生真面目な男だ。今回も、ほかの冒険者が嫌がった依頼を、仕方なく引き受けてしまったのだろう。ジェイドのおかげで、冒険者ギルドは依頼者――おそらくナディバの領主に対して、面目を保ったことだろう。
結果として、ジェイドは災難に見舞われたわけだが。
そんなジェイドが、ルウルウを見る。申し訳なさそうな表情だった。
「すまなかった、ルウルウ。驚かせたな」
「ううん」
ルウルウは首を横に振った。にっこりと笑って、ジェイドに答える。
「ジェイドが無事でよかった」
ジェイドが、黒い瞳をぱちくりと瞬かせた。そしてぎこちなく暖炉の火を見て、つぶやく。
「いや、本当に……そういうところ、がなぁ」
モゴモゴとつぶやくジェイド。彼がなにを言いたいのか、ルウルウにはわからなかった。
ジェイドが意を決したように、ルウルウを見る。漆黒の瞳が、ルウルウを見つめる。
「ルウルウ、君は大事なことを忘れている」
「大事なこと?」
「ああ、とてつもなく大事なことだ」
ジェイドにそう言われて、ルウルウは考え込んだ。ジェイドと約束したことがあったか。それとも今日作った薬に入れ忘れたものがあったか。あるいは少年エルフの治療に手抜かりがあったか。考えてみて、いずれも違うだろう、と思った。
考え込むルウルウを見て、ジェイドがため息をついた。