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第1-2話 夕暮れの中で突然に

「もう心配ない。この子は、しばらく寝かせてあげて」


 エルフの少年を治療したルウルウはそう言った。そして表情を引き締める。ジェイドに向き直る。


「ジェイド! あなたも服を脱いで!!」

「はぁ!?」

「びしょびしょじゃない! 風邪をひくわ!! ほら、脱いで乾かすの!!」

「わ、わかったわかった! 脱がそうとするな! ひとりでできる! あっち向いてろ!!」


 ルウルウはジェイドに迫った。ジェイドの革鎧も剣帯も衣服も、ひどく濡れている。

 ジェイドはあわてて、ルウルウを振り払う。ルウルウはうなずいてジェイドから離れ、家の中にロープを張る。雨の中、洗濯物を乾かすためによくやる手段だ。


 ロープを張り終わると、ルウルウはもう一枚のシーツをジェイドに渡そうとする。


「はい! これシーツ。これにくるまっといて!」

「わかったって! こっち見るな!」

「別にかまわないのに……」

「こっちが構う!」

「なんで!?」

「まっとうな男は、女の前でパッパと脱がないからな!?」


 ルウルウと距離を取りながら、ジェイドが叫ぶ。いかにも彼らしい拒否の言葉だった。

 ルウルウは納得したようにうなずいた。


「なるほど……あ、でも濡れた服はこっちで乾かすから。渡して」

「あーもう、ホントにお前は……」


 ジェイドは呆れたようにつぶやき、ルウルウを非難する言葉を飲み込んだ。たしかに、服が濡れて体が冷えてしまっている。ルウルウが背を向けたのを確認し、ジェイドは剣帯と革鎧を外した。濡れた服を脱いでいく。体にシーツを巻き付けて、隠す。


「こっち向いていいぞ」

「うん」


しばらくして、ジェイドと少年の衣服がロープにかかった。火の温かさが、衣服を乾かしていく。これなら朝までには乾くだろう。


 ルウルウとジェイドは、暖炉のそばに座った。

 ジェイドは冷えた体を暖炉に寄せ、温まろうとしている。ルウルウは先程まで火にかけていた鍋を、自分の前に置いた。木の杓子で、鍋の中身を小壺に分けていく。薬草を煮込んだ緑色の液体が、白い壺に分けられていく。


「…………」


 ルウルウは薬液を入れた小壺を整えつつ、ジェイドの様子を見る。


 ジェイドの黒い髪は、彼の肩よりすこし長い。瞳も同じ色だ。黒髪黒目は、はるか東方の民が持つ色だと聞いている。肌は健康的に日焼けをして、うっすらと小麦色をしている。くるまったシーツからはみ出ている腕には、いくつか傷跡があって、彼の生活を物語っている。


 彼の容姿は見慣れているが、暖炉の火に照らされたジェイドは凛々しい青年に見えた。たしか彼は今年、二十七歳だったか。ルウルウはぼんやり思い出した。


「……なんだ、ルウルウ?」

「ジェイド……えっと、なにがあったの?」


 眠っている少年に視線を移しつつ、ルウルウはジェイドに問うた。ジェイドをじっと観察していた、とは言いづらかった。


「この子……エルフ族、だよね。初めて見た」

「ああ。そうか。君も初めて見るのか」


 眠る少年の耳殻みみは、人間のそれと比べてかなり長い。肌は真っ白と表現するのが適切なほど白皙で、すこしクセのある髪は見事な黄金色だ。容貌は美しく整っている。それらの特徴は、少年がエルフ族であることを示していた。


 ルウルウはエルフを見るのが初めてだった。エルフの容姿は、本で読んだことがある。秀麗な容姿は幻想的で、まさに第一の神の被造物にふさわしい――と本に書いてあった。そのとおりの美しさを、エルフの少年は持っている。


「いくつなのかな?」

「さぁな、エルフ族は、人間よりかなり長命だと聞く」

「寿命は五百歳くらいらしいよ、本で読んだ」

「人間の十倍か……。なら百三十歳くらいかもしれん」


 ジェイドはエルフの少年を、人間で言えば十三歳くらいと評した。ルウルウもうなずく。エルフの少年の顔には、あどけなさがある。もし彼が人間だったら十三歳くらい、と言えばそう見えるだろう。


「どうして、この子は怪我をしたの?」

「話せば長い。ナディバの街を知っているか?」

「ナディバ……北西にある都市、だね」

「ああ、ここから十キルテほどの距離がある。そこを魔族が襲った」


 ジェイドは暖炉の火で手を温めつつ、語り出す。彼の漆黒の瞳が、記憶をたどり始め、遠くを見る。彼の横顔を、ルウルウは見つめる。ジェイドの精悍な顔つきが、火の明るさに照らされる。


 ジェイドの話はこうだ。


 ナディバは都市国家のひとつである。以前から悪しき魔族に狙われていた。ナディバの領主は自前の軍と傭兵、加えて冒険者を動員して襲撃に備えることにした。


「俺たちのギルドにも要請があってな、俺が行ったんだ」

「冒険者ギルドだっけ。普通、戦争とかには行かないって聞いてたけど……」

「相手が魔族だからな、経験のある者がすこしでも欲しかったんだろう」


 冒険者とは、文字どおり冒険を生業とする、なんでも屋である。経験が少なければ近隣の村や街の困り事を解決し、経験を積めば魔族退治なども行うようになる。ジェイドもまた、魔族とやり合ったことがあるベテラン冒険者だ。


「彼は……カイルは、ナディバに雇われた傭兵団にいてな。それで出会った」

「傭兵団? でも……」


 ルウルウは少年の衣服を見た。彼の所持品に、鎧はない。剣もない。弓矢もない。衣服のデザインも、傭兵という存在のイメージに合わないように思えた。どちらかと言えば、華美なデザインの服のように、ルウルウには思えた。


 ジェイドが続ける。


「カイルは魔法が使える。それで傭兵団にいたらしい」

「魔法使いなの?」

「いや……」


 ジェイドが言葉を続けようとしたとき。

 エルフの少年――カイルが目を覚ました。深い紫色の瞳が、ジェイドを見上げる。


「僕は……道化師、なんだ」

「カイル! 大丈夫か!?」

「ジェイド……」


 ジェイドの呼びかけに、カイルは気だるげに笑って応えた。ジェイドがホッとした表情を浮かべる。カイルは首だけ動かして、あたりを見回す。


「ここは……どこ?」

「ナディバの南東、レハームの森の中だ。安心しろ、安全な場所だ」


 ジェイドがそう語りかける。

 ルウルウもまた、カイルのそばにひざまずき、様子を見る。


「大丈夫? どこか、痛くない?」

「あなたは……?」

「わたし、ルウルウ。ジェイドの……ええと、なんだろ?」


 ルウルウが一瞬首をかしげる。ジェイドとは古い顔なじみだが、友と呼ぶのは違和感がある。ジェイドとの関係を適切に表現する言葉が思いつけない。

 ルウルウがまごまごしていると、ジェイドが口を挟んだ。


知己ちきだ」


 ジェイドはさくっと表現した。カイルがホッと息をついた。安心したらしい。

 ルウルウは穏やかに、それでいて真剣な声で語りかける。


「傷は深くなかったけど、雨で濡れた分、体力を消耗してる。もうすこし、寝てて」

「うん……ありがとう」


 カイルは礼を言って、またすぐ寝息を立て始めた。相当、体力を失っていたらしい。

 ルウルウはジェイドの隣に座り、尋ねる。


「道化師……って?」


 道化師という聞き慣れぬ職業について、ルウルウは聞いてみたくなった。

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