背中越しに伝わる蓮さんの鼓動は、壊れそうなほど速くなっていた。
天井に映るプラネタリウムの星々が静かに瞬き、淡い光が部屋を優しく満たしていく。無数の星が寄り添うように、私たちを包み込んでいた。
蓮さんの唇が、首筋から耳元へと滑る。ため息とともに、そっと耳を甘噛みされた瞬間、全身が震え、熱がこみ上げるのがわかった。
抗いがたい衝動に駆られ、私は肩越しに彼を見上げる。……頬に息がかかるほど近いのに、唇が触れそうで触れないのが、もどかしくてたまらない。
「蓮さん……」
小さく名前を呼ぶ。彼は何も言わず、私が動いたことで離れた唇を、甘い吐息とともに再び耳に寄せた。
私は焦れて、上半身ごと蓮さんの方へ向き直った。彼の瞳は抑えきれない熱でわずかに潤み、揺れている。それでも、ためらうかのように、手を伸ばしてこない。
星の光がゆらめくなか、彼の短いくせ毛が青白く照らし出される。それを指先でつまみ、人差し指にくるりと巻くと、蓮さんが微笑んだ。
「薫は、僕の髪が好きだね」
あ、バレてる。
私はちょっと笑いながら、髪に触れた手をそのまま彼の後頭部へと滑らせる。指先が、柔らかな髪に埋もれた。
「うん、大好き……」
そっと彼を引き寄せる。彼の瞳がわずかに揺れた。
唇が重なった瞬間、蓮さんの息がかすかに乱れ、唇がわずかに
それからしばらく、触れるだけのキスが繰り返された。私たちの熱が溶け合い、愛おしさが募っていく。
蓮さんは、理性と衝動の狭間で揺れるように、ゆっくりと甘噛みするようなキスを返してくる。私はその刺激に耐えられなくなって、そっと唇を離した。
彼は追いかけるように顔を寄せ、もう一度、柔らかく唇を重ねる。さっきよりも……少しだけ深く。
でも、それはほんの一瞬だった。彼は自分を抑えるように唇を離し、小さく息をついた。
「……祐介くんが、帰ってくるかもしれない」
──そうだった、私はそんなことを伝えてしまったのだ。
蓮さんは、私の頬にそっと手を添える。熱を持った手のひらが肌に触れ、長い指が耳たぶを挟んだ。ぞくぞくする感触に、さっきまでの余韻が蘇ってくる。
「祐介くんは……帰ってくるんだよね?」
彼の声に滲んだ、諦めきれない想いを感じて……私は正直に答えることにした。
「……帰ってくる可能性は、あります」
蓮さんの眉がわずかに動く。
「可能性がある……パーセンテージで言うと?」
「……三から五パーセントくらい?」
彼は静かに息を吐き、呼吸を整えた。
「つまり、帰ってこない確率のほうが圧倒的に高い、ということ?」
「そうとも言えます……」
プラネタリウムの星の光が蓮さんの瞳に映り込み、深く揺らめいた。その色はいつもよりも濃く、熱を帯びているように見えた。
蓮さんはもう一度、優しく噛むようにキスをした。そして……今度こそ、私を深く捉えた。
それまで抑えていた衝動が、堰を切ったかのように溢れ出す。求めるように絡みつく彼の熱に呼吸を奪われて──私は逃げ場を失い、蓮さんの首にしがみついた。
息が続かなくなり、私は彼の唇から逃れた。荒くなった呼吸を整えながら、蓮さんは低く囁く。
「薫……いい?」
答える代わりに、彼のカットソーの裾に指をかけ……ゆっくりと、熱を帯びた背中に手を滑り込ませた。蓮さんが、小さく息を呑む。
「薫も……俺に、触れたかった?」
低く掠れた声が、耳元で響く。私は、滑らかな肌をそっと撫でながら頷いた。
彼は微笑もうとしたけれど、熱情が邪魔をして、頬が少しだけ歪んだ。その表情が愛おしくて──私はもう一度、彼にそっとキスをした。
プラネタリウムの星がゆっくりと揺れながら、私たちの影を静かに照らしていた。
祐介が帰ってきたのは、翌日のお昼過ぎだった。
どうやら、まだ蓮さんとは顔を合わせたくないらしい。彼が会社へ行ったのを見計らい、ひっそりと戻ってきたようだった。
「おかえり。伊吹くんとは、どうなった?」
そう声をかけると、祐介は軽く息を吐き、肩をすくめながら小さく笑った。
「まあ……もう20年近い付き合いだからな。こんなことで友達をやめたりしないよ」
努めて軽い調子を装いながら、祐介はソファに身を沈める。その動作はいつもよりもゆっくりで、滲む疲労感を隠しきれていなかった。
それでも、彼の言葉の端々には、吹っ切れたような響きがあった。伊吹くんのことは、もう許すと決めたのだろう。だけど──それですべてが終わったわけじゃない。祐介の表情には、まだ解決していない問題への不安が影を落としているようだった。
「……で、ダークレイス社の件は?」
「ああ、三浦さんと話したよ。春木の最新作は、ダークレイス社にくれてやることにした。そうすれば、伊吹を訴えたりしないってさ」
祐介は淡々とそう言ったが、私は気づいていた。彼は──本当は、悔しくてたまらないのだ。
それでも、もし訴えられれば、伊吹くんの立場が危うくなる。古い体質と噂のシルベストレ製菓なら、社内での評価が下がるのは目に見えているし、やっと通った伊吹くんの商品企画がお蔵入りになる可能性だってあるだろう。
祐介の気持ちを考えると、かける言葉が見つからなかった。
「……ミルクティー、淹れるね」
せめて、祐介が好きな甘い飲み物を。そう思い、私はキッチンへ向かった。
アッサムのリーフをポットに入れ、沸騰したばかりのお湯を注ぐ。そして、ふわりと立ちのぼる紅茶の香りを深く吸い込んだ。少しでも、自分の気持ちを落ち着けるために。
ミルクを加えた紅茶をマグカップにたっぷり注ぎ、リビングへ戻る。祐介はカップを受け取りながら、小さく「サンキュ」と呟いた。
「好きなだけ甘くしていいよ」と言いながら、アカシア蜂蜜のボトルもテーブルに置いた。だけど、彼はそれには手を伸ばさず、無言のままミルクティーを口に運ぶ。
──祐介が、紅茶を甘くしないなんて……。
カップを片手に、祐介はしばらく窓の外を眺めていた。ミルクティーは彼の膝の上で次第に熱を失い、表面に薄い膜が張っていく。
やがて彼は視線を落とし、小さく息をついてから私を見た。そして軽く肩をすくめ、まるで何でもないことのように言った。
「あ、姉ちゃん──俺、作家を辞めることにしたから」