待ち合わせ時間ぴったりに、知里さんの知り合いが経営するアメリカンダイナー風のレストランに到着した。ビンテージの木製ドアを開けると、ちょうどコートをハンガーに掛けている知里さんと目が合った。
「薫、お疲れさま。脚本はすべてオッケーもらったから、今日は思い切り楽しんでね。友記子たちはもう来ているみたい」
「ありがとうございます」と言って、私はさっき当たったばかりのチケットを取り出した。
「知里さん、早速いいことがあったんです。なんと、デパートで温泉旅行が当たりました!」
「わあ、すごいじゃない!」と、知里さんは目を輝かせる。
私はチケットを封筒ごと差し出し、「知里さん、どうぞ」と笑ってみせた。「いただき物ですが」
「あなたが行きなさいよ」と、知里さんは私の手にチケットを戻してくる。私は笑いながら首を振った。
「今月は少し休みを取って、一人で気ままな旅に出ようと思っていたんです。知らない街を歩いたり、美味しいものを食べたりする旅がしたいなと思っていて」
私はそう言いながら、もう一度、チケットを知里さんの手に握らせた。
「せっかくペアでもらったのに、一人分だけ使うのももったいないので……。よかったら知里さんが使ってください」
「じゃあ……」と、知里さんは意味ありげに笑った。「とりあえず私が預かっておくわ」
奥の個室に入ると、友記子と航がすでにテーブルについていた。私たちが姿を見せると、二人とも笑顔で手を振ってくれる。
「今日の主役が来ましたね!」
友記子が立ち上がり、私の席を引いてくれた。
「ありがとう。友記子と航は早かったね」
「とりあえず何にする?」と言って、友記子がドリンクメニューを渡してくれた。開かれたページにはソフトドリンクが並んでいる。
「ふふふ」と笑いながら、私はアルコールのページを開き直す。「今日はビールを頂きましょう」
「お、今日は飲むんだ」と航が聞く。私はにっこり笑って答えた。
「今日は、いいことがたくさんあったから」
ほどなくして、全員分のビールが運ばれてきた。冷えたグラスを持ち上げ、知里さんが乾杯の声を上げる。
「頑張った薫の誕生日に、乾杯!」
「乾杯!」
みんなの声に、なんだか胸が温かくなった。
久しぶりに飲むビールは、やっぱり美味しい。でも、前ほどは一気に飲めなくなったなと思いながら、私は水滴の付いたグラスをゆっくり口へと運んだ。
「実は、私たち3人からプレゼントがあります」
友記子がにっこり笑って、リボンのかかった箱を差し出した。お礼を言って箱を開けると、中からは上質なデザインのペンと
「次の物語へ……」
その言葉が胸にじんわりと染みてきて、温かい気持ちが広がった。
――そうか。これでやっと、次の物語に進めるんだ。
「……ありがとう」
思わず涙が滲んで、私は慌てて紙ナプキンを目元に当てた。「ごめん、最近ずっと涙腺がゆるくて」
知里さんが、静かに口を開く。
「その言葉はね、薫がここまで前を向けるようになったことを誇りに思って、私たち3人で考えて贈ることにしたフレーズなの。仕事でも恋愛でも、薫が次の物語を紡いでいけるようにって」
「ありがとうございます。本当に……嬉しいです」
私はノートの文字をそっと指でなぞった。嬉しいなんて言葉だけじゃ、とても足りない気持ちだった。
「でもね」と友記子が腕を組み、少し困ったような笑顔を浮かべる。
「実は、その言葉、ちょっと失敗したかもって思ってるの」
驚いて顔を上げると、3人とも意味ありげに微笑んでいる。
「どういうこと?」
その時、知里さんのスマホからLINEの着信音が鳴り響いた。彼女は画面をちらりと見て、「ちょうどいいタイミングね」と微笑む。
個室の外の廊下で、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。振り返ると、そこには――こわばった表情の理央さんと、緊張した面持ちの蓮さんが立っていた。
突然の登場に、心臓が跳ね上がる。私はとっさに「まずい」と思った。
もしかして……知られてしまった?
理央さんが私に歩み寄り、「薫さん」と言って腕を掴んだ。その手には力がこもっていて、少し痛いくらいだった。
「薫さん、私、言ったよね?」
すがるような真剣な瞳に見つめられ、私は息をのむ。今度は誰かに、自分が味わったのと同じ痛みを味わわせることになるのかと思うと、胸が締めつけられた。
理央さんは、さらに強く私の腕を握りしめて……そして言った。
「私――妹だって、ちゃんと言ったよね?」
一瞬、頭が真っ白になって、何を言われているのか理解できなかった。
次第に、その単語がじわじわと頭の中で形をなしていく。
「いもう、と?」
蓮さんが、私と理央さんの間に割って入る。
「ほら、薫のこの表情……絶対に聞いていないって顔だよ」
「妹の理央ですって、言ったよね? 言ったでしょ? あれ……もしかして、言わなかった?」
混乱する頭で、私はとりあえず事実だけ伝えようと口を開く。
「きいてない……」
理央さんは両手で顔を覆い、「あちゃー……」と小さく声を漏らした。次の瞬間、顔を上げると、なぜか不機嫌そうに蓮さんを指差す。
「薫さん、この人は兄さんだし、たとえ兄じゃなかったとしても、こんな
「……カネィディアン、ナイス……?」
「礼儀正しくて親切だけどお人好しすぎて、
そう言って、理央さんはスマホを操作し、画面を私に見せる。そこには、大量の薪を前に、斧を担いでたくましい腕を誇らしげに見せる金髪の男性の写真が表示されていた。
「これが私のフィアンセ、ルーカス。男の一番の魅力は、何と言っても隆々とした筋肉よ。見て、この立派な腕と胸筋!」
うっとりした表情になって、理央さんは続ける。
「彼はスカンジナビアにルーツを持つカナダ人で、言ってみればバイキングの末裔なの。これぞ機能美って感じの筋肉で、惚れ惚れしちゃわない? それに比べて兄さんは細くて無理。あとヘタレだし」
その時になって、私はようやく思い出した。蓮さんには、カナダの大学院に行っている妹がいるということを――。
蓮さんが少し怒ったように、理央さんをたしなめる。
「理央。まずは薫に謝るべきだろう」
理央さんははっとした表情になって、私の方に向き直った。それから背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。
「薫さん、私の言葉足らずで誤解を生んでしまって……本当にごめんなさい」
目の前で何が起こっているのかをようやく理解したものの、情報量が多すぎて、何と言えばいいのかわからない。
私はただ、その場に立ち尽くすしかなかった。